葬儀に向けて

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父を見送ったその夜は、ほとんど眠ることができず朝を迎えた。
午前10:00から葬儀屋さんと、式に向けての打ち合わせ
これまで、自分が長男であることなどを意識せずに生きてきた親不孝者だったけれど
父をみとったその10分後には、病院の会計に出向き、入院費支払いの手続きや霊柩車の手配、
死亡診断書の受け取りなどをしなければならなかった。長男なのだ。
病院の霊安室で、係員の方に「ご遺体の搬送はどうしますか?」と問われた時に僕は
「あ、僕今日ステーションワゴンで来てますから、後部座席を倒せば何とかなるかな?」
と答えたら、お医者さんたち含め、そこにいた人が全員フリーズしていた。
僕はその時、もちろん冗談を言ったわけではなく「父が遺体になっている。」ことを
結局は受け入れてなかったのだなと、翌朝反芻して、苦笑した。
今もきっと受け入れていなくて、受け入れるために僕は式を執り行うのかも知れない。
結局のところ、父は黒塗りのトヨタ・クラウンの遺体搬送車で教会まで運ばれた。
メルセデスをお願いすることもできたそうだが、料金は倍になる。
そういう選択まで父の死の数十分後には迫られるのですね。
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葬儀屋さんは、それでも現実的な選択肢の数々を、丁寧に提示してくださり
平安な気持ちで打ち合わせを進めることができた。
葬儀に来て下さった方が、父という一人の人生に触れてくださり
私たちが確信しているものについて、分かち合ってくださるような式にしたいと願います。
父の希望通り、下記のかたちで、父の司式を執り行います。
前夜式:4月5日(日)18:00より
告別式:4月6日(月)13:00より
会場:立川駅前キリスト教会
〒190-0022 東京都立川市錦町2-1-21
TEL 042-525-2615
http://www.ekimaechurch.org/where.asp
式両日とも、JR立川駅東口に案内板をもった方がたっています。
父のためにお祈りくださった皆様に、心から感謝します。
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父の招天

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病院近くのファミリーレストランで夕食をとり、病室に戻ると父の心拍が
今までに見たことがないほどに落ちていました。お医者さんと看護師さんから
「お父様の気に入っておられる服を、ご家族に持ってきてもらってください。」
と告げられ、家族に電話をしました。
父は、家族の到着をまち、皆に囲まれたところで、2009年4月2日22時25分に、
心配を停止し、呼吸をすることを終え、間質性肺炎のため天に召されました。
この10日間、24時間、お医者さんも看護師さんも本当に良くしてくださりました。
なによりも父はベストをつくしていました。
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全ての管を看護師さんたちに外してもらい、気に入っていた普段着に着替えさせてもらった父
でも、もうすでに父が旅立ってしまって、空家のようになった父の体だと解りました。
3月24日に、私がイタリアへ戻る前日に病院に運び込まれ、私は荷造りを中断し
病院に駆け付けたとき、酸素マスクを使いながらも父には明確な意識がありました。
そして私は父と二人だけで、数時間語り合う時間をもちました。
息苦しさを押しのけるように、父は言葉を振り絞っていましたので
私は父の声に耳を傾けました。
「今日、病院から帰れると思ったのだが、良くない肺炎なのか。またイタリアに行きたい。」
「きちんと謝ることができなかった。お前にも悪かった。おれはきちんと謝りたかった。」
「お前はもっと絵を描いて、型破りな牧師になればいい。」
「俺はカトリックも、プロテスタントも信じないけれど、お前が良く人前で
話している愛のことなら信じる。神は宗教じゃなくて、愛のことなんだな。」
「おれに何かあったら、葬儀はキリスト教式で、お前に司式をしてほしい。」
これが、父が私に語った言葉でした。
「お前がいると、話し続けたくなるから、今日はもう戻って、また明日な。」
これが、父と交わした最後の言葉でした。
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父の希望通り、下記のかたちで、父の司式を執り行います。
前夜式:4月5日(日)18:00より
告別式:4月6日(月)13:00より
会場:立川駅前キリスト教会
〒190-0022 東京都立川市錦町2-1-21
TEL 042-525-2615
http://www.ekimaechurch.org/where.asp
式両日とも、JR立川駅東口に案内板をもった方がたっています。
父のためにお祈りくださった皆様に、心から感謝します。
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八日目

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新しい年度になった。
独立行政法人系の、この病院に配属された新人にとっては初日らしく
今朝は、父のベッドの周りで、先輩看護師が新人看護師に点滴機器の
説明や「今この患者さんは・・・」といった説明をする声で僕は目覚めた。
ミラノに残している犬のハンナの夢をみていたところだった。
散歩の途中にハンナとはぐれてしまい、地面の下からハンナの鳴き声がする夢
今僕は立川の病院で、ハンナは地球の裏側にいるのだな。
毎夕ごとに、若い担当医は丁寧な説明をしてくれる。
「ここまで、心臓がもちこたえていることは奇跡的です。
単に延命処置ということではなく、自力呼吸回復に希望をつなぎましょう。」
そして、きちんと現実も話してくれる。だから信用できる。
「腎臓の機能低下が進んでいます。明後日までに尿が出なければ、もう処置できません。
電気ショックなどの延命は望まないということで良いですね。今晩がヤマです。」
父は眠りながら、闘っている。
「今までで一番、危険な状態にある夜です。」
そう説明を受け続けて、今日で八日目になる。
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祈られているということ

旅が多いので、枕が変わっても熟睡できる。
でも、さすがに、体調の変調を告げる病室のアラームでは飛び起きてしまい、眠りが薄い。
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僕にあてがわれた簡易ベット、飛行機の旅だとしたら
ファーストクラス並みの広さ、そう思うと快適だ。
父が倒れ、人工呼吸につながれ、眠らされ、
いつ心肺停止があるかわかりませんと告げられてから、
気がつくと一週間が経過している。
病院に日中やってくる母には疲れが見える。
夜は僕に任せてよ。そういって母を返して病院のそばで夕食をとる。
病室に戻り、消灯時間になってから簡易ベットに横たわる。
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暗闇の中に、ICUのモニターの光が浮かび上がり、規則的な
人工呼吸器のポンプの音が響き渡る。
不思議と、そういう父との空間に安らぎを覚える時がある。
病と闘っている父の姿に涙をする時もあるが、生命維持装置という
人工的な胎盤の中で、父が養われているような安堵を見出すこともある。
医師から、今後の治療方針と現状に関して説明を受けた。
間質性肺炎の症状が、ストロイド剤の大量投与で多少和らいでいる。
もう少し、自力呼吸(すなわち全身麻酔の解除)に希望をつなぎたい。
しかし、一週間の治療で、体が悲鳴をあげている。
おそらく胃腸に潰瘍ができている。治療のストレスか、投薬の副作用
血圧が低下傾向にある。
腎機能が落ちている。
複数の原因が考えられる。
血栓が生まれている。
いつ心停止の引き金が引かれるかわからない。
その言葉を、反芻しながら簡易ベッドに横たわる。
父につながっているたくさんのチューブの一つになって
今夜も父につながっていたい。
多くの人に祈られている。
そのことを感じる。
父の病状に劇的な変化は見られないが
僕の心には平安が保たれている。
それこそが、祈りが結んでいる実です。
どうもありがとう。
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昨日、立川の教会で

病室に置いてもらった簡易ベッドで目覚めると、良く晴れていて、日曜の朝だった。
父の状態は変わらないので、あまり病院から離れるわけにもいかず、近くの教会で
礼拝をささげることを決め、「立川キリストの教会」を訪れた。
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教会で伝道者の福島さんと、おそらく6年ぶりの再会
第一声が「お父様の経過は?」だった。そうか、一斉送信した
祈りのメールを読んでくださっていたのだ。
福嶋さんのメッセージは、昔と変わらず明確で、力があるものでした。
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そして、恒枝さんとは、おそらく10年ぶりくらいの再会ではないだろうか。
なんと、彼は今日がこの教会は最後で、来週からは水戸へ行ってしまうのだそうだ。
一週間ごだったらかなわなかった再会に、不思議な導きを感じた。
目の前に、困難が横たわっているようなときにも、神の計画は変わらず
神のなさることは、すべて時にかなって美しい。
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モニター

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集中治療室の窓からは、整然と並んだ公務員住宅がよく見えます。
人工呼吸器による、父の規則的な呼吸音を聞きながら、おそらく家族の団欒があるであろう
人々の暮らしに思いを馳せます。
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窓の外に目をやるのは、ちょっとした気分転換で、すぐに室内に視線を戻し、
モニター上に数値化された父の状態をチェックします。
一分間に102回、心臓を拍動させている父
体内に酸素を94パーセント送ることが出来ている父
一分間に17回呼吸をしている父
もう五日間も眠りつづけている父
眠っているはずなのに、「愛してるよ」と語りかけると
涙を流す父
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猫のコビ

六年前にイタリアでの生活を始めるのと引き換えに
いくつもの大切なものを手放した。というか捨てた。
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猫のコビもそのひとつ(一匹)だ。
西多摩郡の瑞穂町に住んでいたころ、勝手に僕の家に住みついて、
子猫まで出産した猫のコビは、僕と一緒に引っ越しを繰り返したけれど
イタリアに連れていくことはできなかった。
コビは父の仕事場に引き取られ、愛された。
父が入院してから、忘れてはいけないタスクの一つは
父の代わりにコビに餌をやり、トイレを掃除し、撫でてやることだ。
父がこの六年間、そのことを欠かさずに世話をしてくれていたのだ。
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もう13歳になった、お婆さん猫のコビは、
父の不在をあきらかに寂しがっている。
僕の膝にしがみつくように乗ってきて、降りようとしない。
お見舞いに、コビも一緒に行けるといいのになと思う。
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父のことを語るときに

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多くの人前で語るとき、自分の信仰の原点について証しするとき
僕は折にふれて、父のことを語ることがあった。
初めて公にしたのは2007年のミラノ、つい最近では2008年末のカリフォルニア
そして先日の埼玉でのカンファレンスにおいても、父のことにふれた。
いずれにしても300名から500名近い聴衆を前にしてのパブリック・スピーカーとしてだ。
つい昨日のこと、ある方からメールで「お父様について語るのは最初で最後にする。と
2007年のときに言っていたのに、また語ったのはなぜですか?」と問われた。
ある人からは、「もっと、お父さんことについて語られたらどうですか?」
といわれたことがある。父について語るということは、自分について語り
自分の闇を覗き込み、それを人前で光の前に差し出す行為だ。時々きつい
そのことについて、僕も考えていたときに父が倒れた知らせを受けた。
そして、意識のあった父と僕は二人だけで数時間話をした。
そして、はっきりと僕は理解したことがあった。
父については、もう触れたくないという思いと、父を語ることで
もっと語らなければならないものがあること
父を許しているようで、許していなかった思いがあったこと
もっともっと、だれよりも息子として愛していることを伝えたかったこと
父は今日も麻酔で眠らされている。
「それでも、話がわかっておられる場合が有るんです。」
そう言っていたお医者さんの言葉を信じて、夜の病院で
僕は自由に父に語りかけている。
久し振りで、父と旅に出て、どこかのホテルのツインルームに泊まっている。
そんな錯覚を覚えて、すこしだけ僕は笑ってしまった。
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Intensive Care Unit

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昨夜から集中治療室に簡易ベッドを借りて、夜通し父の傍にいることにした。
深く眠らされた父の口には、人工呼吸器から伸び出した管が挿入されている。
今や父の肺は、自ら酸素を体に送り込むことが出来ない。
複雑で高度な医療機器が、その機能を代行して、父は命を維持している。
時折夜勤の若い二人の医師が、この機器の設定について話し合っている。
先輩の医師が、後輩に、機会のオペレーションを教えているのだ。父の体には触れずに
このような機器がなければ、父はもう命を絶っていたのだろう。
機械が送り出す規則的なポンプの音を聞きながら、薄く眠ったり
巡回の看護師さんがケアする物音や、アラーム音で何度も目を覚ました。
父の手を握り、肩をさすり、髪をなでて、声をかけて見る。
「今回は本当に死ぬかと思ったよ。」そう言って目を覚ます父の声を想像してみた。
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父について

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とてもパーソナルなことだが、昨日からの父のことを記そうと思う。
それは、信仰をもっているあなたに、祈りによる助けが欲しいから。
3月24日の朝五時に、76歳の父親が呼吸困難に陥り、搬送された知らせを受け
立川にある災害医療センターに駆けつけた。
父は圧力式の酸素マスクによって呼吸を助けられ、意識も明確
医師から、膠原病を起因とする、間質性肺炎と診断され、親族には
なるべく傍にいるようにというアドバイスをうけた。
僕は3月25日(水)にイタリアへ発つための荷造りをしているときに知らせを受けた。
航空券の日程をキャンセルし、スコットランドでのメッセンジャーとしての仕事もキャンセル
させていただいた。
父にそのことを告げるととても嬉しそうだった。
「お前が、牧師に向いているなんて思わなかったよ。世界を飛び回っているんだな。」
浅い呼吸繰り返し、酸素マスクを曇らせながら父はそう言った。
一緒に写真を撮りたいと言い出したので、写真を一緒に撮った。
「お前は、もう一度絵を描くといいよ。おれもイタリアをスケッチブックをもってまわりたい。」
僕がそばにいると、一生懸命話そうとするので、そのつど心電図や血圧計のアラームが鳴る。
俺は大丈夫だから、今日はもう帰るといい。父はそう言った。そうだね、また明日の朝に
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今朝がた、父はもだえ苦しみ、非常な危険な状態に落ちっいたそうだ。
病院に駆け付けると、全身麻酔で眠らされ、気管に酸素チューブが口から注入されていた。
手を握り、話しかけると頷くことができる。
昨日父はこう言っていた。
「お前ともっと、話がしたい。心のこととか、愛のこととか。」
僕も、そのことについて話すことを願っている。心から。
もう一度、そういう時間が与えられますように。
私の神様、僕を通して、父に触れてください。
目を覚ますまで、手を握ります。
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