母を訪ねて

昨日、日本に無地到着しまして、一夜明け、介護老人保健施設に入所している母を訪ねました。
母は認知症がだいぶ進んでいるのですが、僕の存在や名前は認識ています。
僕の顔を見るなり「今回は選挙ために来たの?」と謎の言葉をかけられましたが、前回には「生協の仕事はどう?」と聞かれたのでおそらく「宣教」ということばの響きに近い仕事をしている人という事になっているのでしょう。
施設の職員が、リハビリをかねて母に切り絵の指導をしていましたが、母の方が逆に「この色紙は、ここにおいて」と職員に指示を出していました。
これは、かつて自分が知的障碍者施設で図画工作をしていたので、自分はここでも「先生」として働いていると思い込んでいるためです。
施設の人に僕のことを「息子はムサビを出て、中学校の美術教員をしていたのよ。」と紹介していましたが、それは死んだ父のプロフィールなので、色々混ざっているんだろうなと思いました。
母と一緒に、一時間くらい切り絵をして過ごしました。
向き合って会話をしても噛み合わないので、一緒に作業をするのは良いなと思った次第
なによりも、まだ生きていてくれて会いに行けるという事がありがたいのです。
今度は、旧いアルバムでも持って施設を訪問しようと思います。

 

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嬉しい再会 すべて時にかなって美しい。

今日のミラノ賛美教会礼拝には、ロンドンから二つのファミリーが参加してくださり、乳幼児が3人もいて賑やかでした。それはとても幸福な光景です。

なによりも、このミラノからロンドンへと巣立っていったMさんが、いまでは立派なお母さんになって、素晴らしい家族を築いている様子を垣間見て、深い慰めと励ましを受けました。

神のなさることは、すべて時にかなって美しい。

伝道者の書3章11節のことばが胸に響き、神に感謝の賛美を捧げました。

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美しい猫

我が家に猫がやってきた。

といっても期間限定だ。

 

教会メンバーのSファミリーがしばし旅に出るということで、その間お預かりにすることになったトーフくん。

この子がなんともフォトジェニックなのだ。

 

甘えん坊で、寂しん坊なのに、カメラを向けるとキリリとして、モデル気質

猫って本当に美しい。

 

画家たちが、自分と暮らしていた猫をモチーフにしてきたことがよく解る。

この子を観ていると、自分も絵筆を握りたくなってムズムズする。

 

 

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イタリアのゴミ税

昨年の秋、10年ぶりに引っ越しをした。

ミラノ市内から、ミラノ郊外の小さな町へ

 

当然、転居届をして住民票を移すのだけれど、その後イタリアらしいトラブルがチョクチョク起こる。

これはイタリアで暮らす中で定番の出来事

日々これらのことと戦うのが日常ともいえる。

 

ミラノで正規の賃貸契約をすると、居住者には年に一度、ゴミ税(ゴミを出すことにかかる税金)が科せられる。

納税額は、住んでいる家の広さや居住者の数などから算出され、僕の場合はだいたい年200€くらい。

日本円にすると年2万6千円くらいでしょうか。安くはないですよね。

 

で、今年の6月くらいでしょうか。

ミラノの市役所(コムーネ)からお手紙が来ました。

 

「あなた2018年分のゴミ税が未納よ。」という督促状です。

昨年、確かに転出届を出したのに。

そして、ゴミ税はいつも滞納しない様にきをつけて、全て収めてきているのに。

そして、新しく暮らし始めた町に、すでにゴミ税を納付したのに。

 

こういう場合、ミラノでは市役所に直接出向いて即日解決とはならない。

なにか市からの請求に不服がある場合は、不服申請の予約を取りなさいと言われる。

その日付はだいたい3か月後くらい後の日にちを指定されるのです。

 

で、その日が今日だったのです。

市役所に出向くと、窓口の女性は幸いとても感じの良い方でした。

そしてコンピューターを操作しながら、色んな画面を検索しつつ

「どうして、こんな請求になってしまったのかしらねー。」と言いながら上司に相談したりしています。

その方も画面を覗き込みながら、あーでもない、こーでもないと言っている。

 

だれもが、こんがらがってしまったシステムに巻き込まれてしまっている。

これが、イタリアを象徴する光景なのかなと、僕はぼんやりと、事の成り行きを見守っておりました。

結局窓口で一時間以上、彼らが絡まった糸をほぐしていくのを見届け、無事に請求書の無効を宣言してもらったのでした。

 

こうして一日が終わっていく。

ミラノのよくある風景です。

 

 

 

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さよなら夏の日

イタリアでは突然に夏が終わる。

昨日まで刺すような陽射しに包まれて焼け付くようだったのに、夜に雷と共に強い雨が降りしきり朝になると夏が終わっているのだ。

犬のハンナは外に出るとすぐに風の変化の匂いに気がつき、草原をわたってくる秋の匂いを受け止めていました。

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エディンバラ Edinburgh20180802-0805

カンファレンス参加のためにエディンバラで3泊4日間過ごした。

仕事だったし、プログラムもぎっしりと詰まっているのだけれど、少しだけ自由な時間を頂き街を歩いた。

 

実は、スコットランドがとても好きだ。

おそらく訪れたのは、今回で4度目くらい。

 

ラテン系の地中海諸国にはない、グレイな感覚があって、どこか母国日本と通じている感じがある。

もし許されるならプライベートでいつまでも旅していたくなる国だ。

 

低くかかる雲

夏でも冷たさを感じる、潮の香りがする風

 

寂しい感覚がいつの季節にもあって

仕舞い込んでしまった記憶が、ふとたちが上がってくる。

 

また導かれたら、ここの丘に立ちたいなと思いました。

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Japan 20180705-0730

2018年の7月5日から30日までの間、母国日本にいた。

 

札幌から始まり、御殿場でのカンファレンスで公的なスケジュールを終え、成田へ向かう直前に、久米小百合さん(異邦人のヒットで知られた元・久保田早紀さん)と「移動と死」というテーマでトークイベントを行った。

(イベント10日前に、告知として行った配信版トークは→こちら

 

今回は日本にいる友人たちには、日本への一時帰国を知らせなかった。(不義理してごめんなさい。)

プライベートの時間は、介護老人保健施設にいる母に会いに行くことにしたかったのだ。

 

もう自立した生活ができなくなった母は、投薬の管理、食事の管理、入浴などを医療介護スタッフのお世話になりながら暮らしている。僕が施設から去るときには、いつも寂しそうにこちらを見つめていた。

夕暮れ時の光を背負った富士山のシルエットと「今度はいつ日本に来るの?」と尋ねた母の震える声が、欧州に戻った今も脳裏に焼き付いている。

 

 

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献児式

7月最初の日曜日、ミラノ賛美教会の礼拝において献児式を執り行いました。

献児式とは、文字通り「子供を神様に捧げる式」ですが、両親の信仰告白であり、また祈りです。

 

子供の命は神からの恵みによるものであり、また神の所有であること、

そして子どもは神から託された大切な宝物として、愛し、育て守りぬいていくという宣言の時でもあります。

神様の御心に沿って、子供を育てるという決意表明とも言えるでしょう。

 

ですが、子供は両親の願いどおりにが育たないものです。(ある意味、それも健全なことです。)

ですから、献児式の証人とされた教会は、同じように全力でご両親の子育てをサポートしていくことを決断します。

神の恵みと、周囲からのサポートが無ければ子育ては出来ないからです。

 

子どもたちに、愛をもって信仰を継承することは、両親と大切な教会の務めです。

それを怠れば、教会は数十年後になくなってしまうでしょう。

 

厳粛な気持ちをもって、この幼子の頭に手をおき、祝福の祈りを捧げさせて頂きました。

一同が喜び満たされた、特別な時間となりました。

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夏が来た

「ねえ、夏が来たよ!」とハンナが何度もこちらを振り返りながら、尻尾をふっている。

背の高くなった草たちを、ウサギのように飛び越えながら「幸せだな。楽しいな。」と笑っている。

 

ここのところ、やたら複雑に絡まった人間世界のアレコレで疲弊して、眠れなくなったり、涙して祈った日々だった。

でも、神様が創った自然を味わって賛美している犬を見ていると、自分は何も思い悩む必要なんてないんだなと教えられました。

全ては神の御手の中にあるのだから。

今日もありがとう。ハンナ

世界は、それでも素晴らしいね。

 

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羊の母子と向き合う。

今日の散歩道では、群れから離れて、子供たちを見守りながら草をはむ羊の母子と出会いました。

犬のハンナと羊のお母さんは、距離感を保ちながら見つめ合っていました。

昨日は灰の水曜日、そしてキリストが十字架に向かわれて歩んだ40日間を覚えるレントの季節に入りました。

今日の木曜礼拝では、ヨハネの福音書11章を開き、ラザロの「死」について、そして「命」について考えようと思います。

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