夏の終わり

2016-08-30-12

今日のミラノは朝から雨が降っていましたが、お昼前には止みました。
日課の公園散歩(だけ)を楽しみにしている愛犬ハンナを連れて、池のほとりを歩いていると、ひんやりとした秋の風が水面から吹いてきました。

ああ、今年も夏が終わるのだなと、毎年この時期は感傷的になります。
インターネットで日本のニュースを見ながら、東北に上陸した台風が大きな被害をもたらさないようと祈りました。

イタリアの中部地震のことを覚えて、日本からも「どのような支援の窓口がありますか?」という問い合わせをいただくようになりました。

わたしたちも、所属元の教会連盟のイタリア人牧師とそのことを相談したく、メールを書いていますが「今はバカンス中です。」という自動返信のメールがかえってきます。

「うーむ、こんな時に。」と一瞬想ったりもするのですが、こちらの人々が牧師を含めて「しっかり休むときに休む。」という習慣は良いことだと思っています。

バカンスの語源はラテン語で「空っぽ」をあらわすvacuusです。
イタリア人は、牧師でも夏は最低でも二週間からの休みをとります。

最初の一週間で体の休養と頭のリセット、つまり何もせず空っぽ(vacuus)にして、最後の一週間で何か新しいものをインプットしてフル充電させて仕事に戻ってくるのです。

一年を通して見ると、そのほうが仕事の質を高めていくのだと思います。
バカンスからイタリア人の牧師達がもどってきたら、おそらく長期的になるイタリア中部地震の支援の窓口について、具体的にここでお知らせいたします。

その際は、どうぞよろしくお願いします。

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イタリア中部地震への祈り

2016-08-25-14.02.48-HDR

イタリア中部が2016年8月24日未明にマグニチュード(M)6.2の地震に見舞われたとき、僕はそこから150キロ離れたリッチョーネというアドリア海に面した街にいて、真夜中4時、突然の揺れに起こされました。

最近この街に引っ越したご夫妻を訪問して、そのお宅に寄せて頂いたのだけれど、この家の主のイタリア人は、その瞬間に津波を恐れて、家を出て外の様子を見に行ったのです。

おそらく東日本大震災以降、イタリア人(特に海辺に住む人々)の中には地震と津波がイコールになっているのでしょう。でも、翌朝の報道で津波の心配がないことがアナウンスされてからは、人々はビーチに出て余暇を過ごしているように見えました。

しかし、次第に被害の規模が把握されると、この地で過ごしていたわたしたちの心にも哀しみが拡がって行きました。こちらのテレビなどでコメンテーター達からは「なぜこの地震を予知できなかったのか。」というコメントも聞かれるようになりました。

2009年4月に300人以上の死者を出したイタリア中部ラクイラでの地震のあとは、科学者ら7人が「地震を予知できなかった。」ということで殺人罪で起訴され有罪判決が下されたことが大きな議論となっていました。

その後この裁判の被告であった科学者たちは控訴し、2014年に「地震は予知できない。」という逆転無罪判決を、やっとのことで勝ち取った経緯があるのです。

しかし、今現在はそのような責任論は次第に声を潜め、生存率が大幅に下がるとされる「発生から72時間」近づく切迫感が高まり「ひとりでも多くの人が瓦礫の下から救い出されるように。」という祈りのような思いが報道からも伝わってきます。

今(2016年8月27日零時)の時点では、死者は278名と報道されています。

僕自身も8月26日までリッチョーネにとどまり、祈りつつ、これから何をできるのか考えていました。ブログの写真は、地震の翌日の8月25日に、サンマリノ共和国の山に登り、被災地への想いを寄せてシャッターを切った一枚です。

今は、同じイタリアにいながらも、自分は無力だと感じてしまうことがあります。そんなときに「祈るしかないな。」と心の中で呟いてしまいます。

しかし今は確信していることは「祈りは、一番初めに来るべきだ。」ということです。「微力だけどなにかをしよう」と考える前に、「最善で力強い手段」である祈りを使いたいのです。

今僕は、イタリアのミラノに先ほど戻ってきていて「イタリア中部地震発生から72時間」を数時間後に迎えようとしています。イタリア時間の8月27日午前3時半(日本時間同では10時半)すぎに迫る中、こう祈ります。

この祈りは、災害救援チームCRASH創立者のJonathan Wilson によって、ハイチ地震の後に書かれた文書から教えられたものです。

1 奇跡を必要としている人のための祈り
救援チームが迅速に、瓦礫の下にいる人に到着する奇跡
救助犬が破壊微妙なに おいを感じ取ってくれる奇跡
生存者のちょうど真上にあるの破片が動かされる奇跡
救援チームはたくさんの訓練と努力を重ねながらも、この時ばかりは何よりも奇跡を必要としています。

2 救援チームのための祈り
チームメンバーたちは、度重なる余震の恐怖の中で絶えず任務に当たっています。
彼らが安全に作業をし、休息を得られるように、勇気づけられながら仕事ができますように。

3 被災者の心のための祈り
恐ろしい光景を見てしまった家族のために
愛する人のことを心配している人たちのために
自分自身の安全が心配でたまらない人たちのために祈ります。

4 子どもたちのための祈り
身体的には「元気」でも、慰めを必要としている子どもたち
抱きしめられて大丈夫だと安心させてもらう必要のある子どもたち
安全な環境を必要としている子どもたちのために祈ります。

5 イタリアのための祈り。
政府や決定権のある人が、知恵と正義をもって大切な決断をすることができますように。
また、ここに不正や悪が忍び込むとがなりように。

6 自分自身のための祈り
愛のない自分に、今すぐあわれみの心が与えられ、またその思いが大きくされていきますように。

日本でも、世界各地でもそうであるように、災害からの復旧には長い時間がかかります。今後、イタリアの教会連盟を通して、どのような支援が可能なのか情報を頂き、皆様にもシェアさせていただきます。

この長い拙文を最後まで読んでくださったあなたのうえにも、神様からの祝福と平安がありますよう、イタリアからお祈りしています。

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ルターの足跡② ルターの生家

ルターは鉱山労働者だった父ハンスと母マルガレータの次男として1483年11月10日にアイスレーベンで誕生しました。
その後、マンスフェルト、マグデブルクで勉学、のちにエアフルト大学で神学を学ぶようになりました。
「ルターの生家」は、1693年に記念館として再建されたものですが、ドイツ語圏で最古の博物館としても重要な意味を持っています。
内部を見学できるようになっているのですが、その展示方が実にユニークなのです。

写真のように、ルターの家庭のリビングを当時のように再現しています。

温かみのある木製の家具や、陶器の食器たちが、絵画的に空間に配置されています。

そして、耳をすますと家族の静かな会話が聴こえてくるような音響的な仕掛けもなされています。

そんな家族の風景のなかに、世界を変えた宗教改革者の誕生があったことを訪問者にイメージさせる素敵な演出です。

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ルターの足跡① アイスレーベン

 

イタリアで暮らす中で、これまで何ども受けてきた質問があります。
それは「キリスト教のプロテスタントって何?」という言葉です。

外務省のホームページによると、イタリアは「99%がカトリック教徒の国である。」と書かれています。

私はそのような国で、はじめてプロテスタントの日本人牧師として宣教師ビザを与えられました。

イタリアに来て、外国人局でビザや滞在許可証の申請をする際にも、審査をする担当官から

「プロテスタントは、カトリックと何が違うのか?」

「プロテストというけれど、何を抗議しているのか?」

「そして今も私たち(カトリック)に何かを抗議しているのか?」

「ルターの何を尊敬しているのか?マリアよりも彼の方が好きか?」

そんな質問を受けてきました。

日本で暮らしていたころには、自問してみたこともなかったことです。

2017年はルターが「95か条の論題」とよばれる文章を、教会の扉に貼り付け(たと言われ)てからちょうど500年。

そこから何が始まり、何が変わってきたのでしょうか?

そして何が今も変わらないでいるのでしょうか?

そのことを、いわゆる【学問】としてではなく、500年前に想いをはせて、ルターの足跡を辿る旅に出てみようと思いました。

自分は本当にまだ、何も知らない。そういった真っ新な気持ちで、ひとつひとつ、ルターに縁のある街を巡って観ました。

このブログが、同じようにルターゆかりの地を旅することを願っている方の一助になれば幸いです。

最初に訪れたいのは、アイスレーベンです。
ここは、ルターの生涯のはじまりであり終着の町だからです。

マルティン・ルターが1483年11月10日に生まれ、一時滞在中の1546年2月18日に亡くなりました。
正式な町の名称は「ルターシュタット・アイスレーベン (Lutherstadt Eisleben)

ドイツ連邦共和国ザクセン=アンハルト州マンスフェルト=ズュートハルツ郡に位置し、同郡で2番目に大きな都市です。
1946年以降、都市名に「ルターシュタット(ルター都市)」を冠するようになりました。

アイスレーベンとヴィッテンベルクにあるルター記念建造物群は、1996年からユネスコの世界遺産に登録されています。
ルターが幼少の頃に住んだアイスレーベンには、ルターに関する資料はあまりありません。

しかし実際に訪れてみると、とても小さな街ながら、至る所に、ルターの生き様が深く刻み込まれているのです。

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「人間の価値について」津久井やまゆり園の事件に寄せて

 

2016-08-06 16.56.32

津久井やまゆり園の事件から今日でちょうど二週間経ちました。

僕は事件の一報を、日本からミラノへ移動している間、トランジット先のパリで知ったのです。

 

それから仕事でドイツ、スペインと旅をしていましたが、どこにいても、何をしていても

この事件のことが、ズシリと重たい宿題のように、頭の片隅にありました。

 

いまだに、あの「凄惨な出来事」がわたしたちに何を語りかけているのか。

今の時点で、自分の中で整理できないでいます。

 

ですが、そのことを、そのままの状態で言語化しておこうと思います。

長文になりますし、言うまでもなく不完全な文章です。

何故なら、私が破れ目のある不完全な存在だからです。

 

「障害者なんて死んだ方がよくないっすか」

 

植松聖容疑者は、殺傷事件を起こす半年前にこの施設で勤務中に、笑みを浮かべながら同僚に話しかけていたといいます。(朝日新聞7月27日の報道)

 

この同僚の方は、この時何と答えられたのでしょうか?

きっと驚愕し、戦慄が走ったことでしょう。

 

もし、自分がこの時に問いかけられた当事者だったとしたら

何と答えることができたのでしょうか?

 

これが、僕に刺さっている「宿題」です。

 

「なんてことを言うんだ君は。すべての命には、地球より重い価値があるのだ。」

これは、おそらく模範解答ですし、僕の100パーセントの真意です。

 

しかし、長らく意思の疎通もできず(と、私たちは思っている。)、自力では食事どころか排泄すらできない人々のお世話をしてきた彼の薄笑いは消えないでしょう。

ですから、何かを達成したかのように見える、植松容疑者の逮捕時の笑顔が、僕の脳裏からいつも消えないのです。

 

考えてみると、この時代を共に生きる私たちは「この時代の嘘」を空気のように吸っているのです。

それを、時に「文化」といい「価値観」とも呼んでいるのです。

 

ですから、心情の深い部分で植松容疑者を支持してしまう人もいるのではないでしょうか。

そのような言説も、事件後ネットなどで目にすることがあります。

 

植松容疑者の非人道的な行為を糾弾することは当然のことですが、私自身が、この時代に偽られることなく、本物の価値を生きているのか、今一度検証してみたいと思います。

 

今私たちは今、大量生産のモノで溢れている世界を生きています。

そうすると、モノは気づかないうちに、私たちの価値観に影響を与えるようになっています。

 

はじめに、モノというのは、どういうふうにして価値が決まるかということを考えてみます。

市場原理から言えば、ご存知のように。モノの値段は需要と供給のバランスで決まります。

 

もちろん、売る人は、作るのにどれだけコストがかかったかということを計算し値付けをしたいのだけれども、「これだけ情熱を注いだのだから、これだけお金を払ってほしい。」と言っても、使う人がそれだけの価値を認めなかったら誰も買ってくれない。

 

それが市場(マーケット)です。

 

このようなモノに満ち溢れた社会の中で私たちは、毎日、毎日、そのようなマーケットの価値観で判断して生きているのです。

 

そして、いつのまにか、私たちの社会は、人間に対してもそのような価値基準で判断するようになってしまっているのではないでしょうか。

 

もはや当然のように、人の存在(Being)を観るのではなく、何をできる人なのか(Doing)で価値を量ってるのです。

 

すると、生まれつき障害を抱えている人や、病気の人や、年をとっていろんな事ができなくなった人が、社会の隅に押しやられてしまう。

 

実際に日本では、このような人々は世間からは隔絶されたところにある施設に押し込められることが多いのです。(私の暮らすイタリアでは、意識的に共存する環境が作られています。)

 

現代社会は、その人が役に立つ間は尊重しますが、役に立たなくなると、ある意味では捨てられてしまう。

このような価値観が蔓延して社会に浸透し、今や私たちはそのような事にすっかり慣らされてしまっている。

 

私たちは知らない間に、そんな「時代の嘘」の影響を受けているのではないでしょうか。

 

自分が何か一生懸命、仕事ができている間は満足しているけれども、この先、自分で自分の事をできなくなると、人から見向きもされなくなるのではないかという潜在的な恐れを抱えています。

 

そうすると、「ああ、自分なんて、この世の中にいなくたっていいのだ。」という気持ちになってしまいます。

すなわち、お互いに人間をもモノと同じように、人にとって役に立つかどうかで評価するわけです。

 

ところで、イエス・キリストは、人間の価値をどう見ていたのでしょうか。

(突如、宗教的な切り口になって申し訳ありません。牧師なのでお許しください。)

 

そのことについて語っている聖書の個所が、ルカの福音書15章8節から10節にあります。

 

15:8 また、女の人が銀貨を十枚持っていて、もしその一枚をなくしたら、あかりをつけ、家を掃いて、見つけるまで念入りに捜さないでしょうか。

15:9 見つけたら、友だちや近所の女たちを呼び集めて、『なくした銀貨を見つけましたから、いっしょに喜んでください。』と言うでしょう。

15:10 あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちに喜びがわき起こるのです。」 

 

イエスはここで、生涯で一度だけ、人間を「お金」にたとえました。

その意味で、とてもユニークなたとえ話です。

 

それ以前のたとえ話では、イエスは人間のことを羊にたとえています。

そのほかにも、ぶどうの枝にもたとえました。

そのように、イエスが人間を何かにたとえる時には、いつも、命のあるものを取り上げています。

当たり前です。なぜなら、人間は生きている、命があるものだからです。

 

ところが、一回だけ、命のないものにたとえた。

イエスは何故、人間をお金のような、命のないものにたとえたのでしょうか?

それは、イエスがここで特別に、人間の価値について教えようとされたからです。

 

モノは、人間にとってどれだけ役に立つかで価値が決まる。

ところがお金は違うのです。

たとえば、一万円札

これは日本銀行が、これを造り「これが一万円だ。」と言ったら、もうそれが一万円と決まります。

一万円の本当の値段(製造コスト)は約22.2円だそうです。

 

しかし、一万円の値段は、私たちが、これはどれだけ役に立つかで決めるわけではないのです。

発行した人が一万円だと決めたら、世界中で一万円なのです。

 

このように、お金の価値の決まり方は、モノの価値の決まり方と違うのです。

これが、イエスが人間をお金にたとえた理由のひとつです。

(本当はもっと深い意味があるのですが、ここでは述べません。)

 

人間の価値とお金の価値と、どう関係があるかということを、もっと理解していただくために、一つ聖書の個所を読んでいただきたいのです。

 

創世記の1章27節には

「神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。」

とあります。

 

神さまが人間を創造された時に、「神のかたちに、人間を創造された」と書かれているのです。

この「かたち」ということばは、「肖像」とも訳される言葉です。

お金には、大体どこの国でも、だれかの肖像が刷られています。

そして、その肖像があることによって、お金の価値が決まるわけです。

価値が、その肖像によって込められているということです。

 

丁度それと同じように、私たち人間も、神さまのかたちが、一人一人にプリントされているので、価値がそこで込められている、もう決まっているのです。

人間にとって役に立つかどうかではなくて、創った方(神)が価値を込めているのです。

この場合、「神のかたち」とか「神の肖像」というのは、いったい何のことかと言うと、別に絵がプリントされているわけではありません。

神さまの人格、神さまのきよい性質、神さまの創造的能力、また知恵、そしてなによりも、神の愛が人間の中にみられるというのです。

すべての人間はそれほど、神さまに似せられて、素晴らしいものをいただいています。

 

創造者が、被造物の価値を宣言したのですから、被造物である私たちが互いの価値を論じ合う余地はありません。

 

イザヤの43:4節において、神様はヤコブにこう告白されました。

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」

あなたを創られた神様が、あなたの価値を決めたのです。

だから、人の役に立つかどうかということではなく、一人一人の人は、誰もが素晴らしい価値をすでに与えられているというのが聖書のメッセージです。

 

あまりにも、話が長くなりました。

話を最初に戻しましょう。

 

今の時点で、僕が植松容疑者の同僚として、彼から

「障害者なんて死んだ方がよくないっすか」と言われたら、こう答えるでしょう。

 

「僕たちに、誰が生きていて良くて、誰が死んで良いなんて決められないよ。僕らは神ではないのだから。」

「彼らが、僕らの理解を超えるハンデを追っていたとしても、僕らの理解を超えた使命をもって、今日も生かされているんだ。」

 

神の与えてくださった使命を生きるということは、他の人にはわからない喜びと充実感を与え、満足を与えます。

他者の評価は、もはや関係ありません。

自力で踏ん張って生きることに降参し、神の御手に帰ると、誰もがそのように生きることができるのです。

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バルセロナ 泥棒市場

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今日からバルセロナ入りしています。

季節的にはベストシーズンということがあり、この時期はホテルの宿泊費が高騰します。
そういうこともあり、町の外れに当たるGLORIES(グロリアス)という地区に宿をとりました。

(余談だけれど、この地名は「神の栄光」という意味で、いつも「すごい地名(駅名)」だなと思う。)

地下鉄のGLORIES駅からエレベーターで地上に出ると、今日は度肝を抜かれる光景が拡がっていました。

 

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駅前の広場に、実に多くの人々がそれぞれ敷布を拡げて店を出している。

もともと、ここには市が経営する市場があるのだが、それとは趣が異なっている。
売られているものが、いかにも「盗品」ばかりなのだ。

誰かの家にあったのだろうなという洋服、靴、宝石、時計
そして誰かのカバンの中にあったのだろうと思われる、スマートフォンや貴金属など

僕も、ミラノ暮らしで二回も空き巣に入られたし、スリにやられた経験もある。
幸いバルセロナではまだ経験していないけれど、どこも同じだなと思わされました。

彼らも、生活のために盗みをやっているのだろうし、盗んだものは売りさばいて金に換えたいはずだ。

 

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そんな市場に、呆然と立ち尽くしていたら、パトカーに乗った警官たちがやってきた。

すると、皆あっという間に店じまい、30秒もしないうちに姿を消してしまった。

そして、すぐに戻ってきて再び店を開いていた。

きっと警察官たちもパトロールはポーズなのだろう。
本気で摘発しようとはしていないようだった。

やれやれ

明日、自分のカバンの中身がここに並ばないようにしなければと

気を引き締め、この地区に「神の栄光」が回復することを祈りながら宿に向かって歩いたバルセロナの午後でした。

 

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パリのテロに寄せて

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【喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。】(新約聖書)
今は、全ての人がショック状態で、どうしていいのかわからなくて、SNSなどで、いろんな意見が飛び交っているのかも知れない。
そして、僕もまだ冷静になれずにいるのかも。
そのような不完全な人間の、不完全な文章をお許し下さい。
不愉快に感じる人には、あらかじめ、謝罪します。
130人がパリで殺された直後に、SNSなどでは、その原因はフランスにもあるとか
(もちろんあるでしょう。)
ベイルートでも多くの一般市民が殺されているのに、それを無視するのは差別だとか
(僕が言われた言葉です。それなりに傷つきますね。無視していないです。)などの
「正しい意見」に違和感を覚えます。
僕とって、パリには愛する(神の)家族である教会の人々、そして大切な友人たちが暮らしているので、今はただ、パリで死んでしまった人たちを悼ませてほしい時なのです。
そして、愛する人を失った家族に寄り添いたいのです。
そのような悲しみにある人は僕だけではないと想像できます。
また、哀しむ人に寄り添う方法は、それが不完全であったとしても、なにも表明しないよりは、慰めになるのです。
私たちは、世界の哀しみに目を向け、祈るべきです。
そのためには、身近な悲しみに、きちんと目をむけることからはじめるのが良いのです。
隣人の哀しみに共鳴できなければ、遠くの人の悲しみを想像して愛することなどできないからです。
ひとつの悲しみは、他の悲劇と比較することに意味はありません。
また、人は立ち直って、他の人を励ますためにも、哀しい時には、喪に服するべき時があり、ただ悲しみに向き合うべき時があるのです。
今は只、そこにある悲しみに向き合い、哀しんでいる人々とも喪に服していたいだけなのです。
【泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。嘆くのに時があり、踊るのに時がある。】旧約聖書より

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Milano 20150118

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ミラノ賛美教会で礼拝を捧げ、黙示録2:8-11から「あなたは実際は富んでいる。」
と題して礼拝メッセージを取り次ぎました。
韓国語翻訳を担当してくださったタイさん、イタリア語翻訳をしてくださったマコさん
いつも心を一つにして、大切な奉仕を担ってくださる彼らに心から感謝します。
今日は、ミラノで信仰をもち、2010年に日本で神学を学ぶために巣立っていった
明日香さんが、神学校卒業を前に、これからのビジョンを分かち合うために
ミラノ賛美教会に里帰りしてくださり、私たちの間にも大きな喜びが溢れました。
これからも、いつでも、このホームに休みに来たり、充電しに来てください。
そして、今日はスコットランドのエディンバラからミオさんが初めて来てくださったり
バリトンの留学のために来られている青年が、初めて教会に来られたことなど
嬉しいことがたくさんある日でした。
キリストのからだである教会に植えられて「実際は富んでいる。」自分であることに
心からの感謝が溢れました。
10年前の今日

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パリ 追悼と抗議大規模デモ行進

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昨夜は、色々な思いが頭を巡ってしまい、うまく眠れなかったのですが
午前中には教会を開けられることになったため、礼拝を捧げるために早朝に牧師館をでました。
教会堂があるバスチーユ界隈は、路地裏も警察車両が占拠していて
まさに今は「有事」のパリなのだと実感させられました。
地下鉄の駅の多くが封鎖されていたりして、交通の乱れもあり
昨日に急きょ礼拝時間を変更したにもかかわらず、多くの人が教会に集い
心からの礼拝を捧げらることがゆるされ、神の憐れみと備えに、感謝が溢れました。
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礼拝後に青年たちとランチを共にし、牧師館に戻った後
二人の教会メンバーと再度合流し、追悼と抗議大規模デモに加わりました。
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この日は、全ての路地が人々で埋まり、そして誰もが行進に加わっていました。
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パリのレピュブリック広場には、オランド大統領の呼びかけで集まった世界40以上の
国や機関の首脳に加え、100万人を超える市民らが集まったそうです。

一連のテロで犠牲となった17人を追悼し、テロに屈しない決意を示す行進を目の当たりにし
個人主義たと言われるフランス人の、連帯と団結を示す底力に圧倒されました。
そのような中で、心の中で思ったことは「射殺されたテロ実行犯を追悼する人はいない。」
という事実についてです。
彼らは卑劣で憎むべき犯行を行った、加害者であることに異論はありませんが
同時に彼らもまた、貧困や無知を背景としたカルト的な教えの犠牲者であったようにも思うのです。
今はただ、哀しむものとともに哀しみ、批評的な立場でいたくないとも思わされました。
「みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。」と、心の中で祈りました。
10年前の今日

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Paris 20150110

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アムステルダムの教会で礼拝メッセージを取り次ぎ、その足で駅に向かい列車で三時間
パリの北駅に戻ると、武装した警官やパトカーが集まっていて物々しい空気でした。
地元の報道によると、若者たちが爆竹を鳴らしたことで、
急きょ北駅が封鎖されたとのことでした。
もう少しタイミングが遅ければ移動も難しくなったことでしょう。
駅にはS夫妻が迎えに来てくださり、小さなレストランで食卓を囲むとホッとしました。
テロ事件の後、最初の週末を迎えたパリは、平常を取り戻そうとするパリジャンの心持ちを感じることができました。
1月11日(日)15時からのパリ・プロテスタント日本語教会の礼拝でメッセージを取り次ぐため
今回パリに戻ってきたわけですが、パリ市当局からの通達により、セキュリティ上の理由で
急きょ、いつもの教会を開けることができなくなりました。
パリ市が所有される教会を使って礼拝を捧げているわけですが、
教会の三十年の歴史の中でもこんなことは、はじめてのことです。
あらためて、海外において、外国人として礼拝を捧げられることは
当たり前のことではないのだと再認識させられました。
その後の交渉で、礼拝時間を朝10時ー11時半に変更し
17 rue sainte antoine 75004のいつもの教会堂の堂地下で
礼拝を捧げることができるようになりました。
主の守りと導き、そして平安があるよう、祈ります。
10年前の今日

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