パリのテロに寄せて

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【喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。】(新約聖書)
今は、全ての人がショック状態で、どうしていいのかわからなくて、SNSなどで、いろんな意見が飛び交っているのかも知れない。
そして、僕もまだ冷静になれずにいるのかも。
そのような不完全な人間の、不完全な文章をお許し下さい。
不愉快に感じる人には、あらかじめ、謝罪します。
130人がパリで殺された直後に、SNSなどでは、その原因はフランスにもあるとか
(もちろんあるでしょう。)
ベイルートでも多くの一般市民が殺されているのに、それを無視するのは差別だとか
(僕が言われた言葉です。それなりに傷つきますね。無視していないです。)などの
「正しい意見」に違和感を覚えます。
僕とって、パリには愛する(神の)家族である教会の人々、そして大切な友人たちが暮らしているので、今はただ、パリで死んでしまった人たちを悼ませてほしい時なのです。
そして、愛する人を失った家族に寄り添いたいのです。
そのような悲しみにある人は僕だけではないと想像できます。
また、哀しむ人に寄り添う方法は、それが不完全であったとしても、なにも表明しないよりは、慰めになるのです。
私たちは、世界の哀しみに目を向け、祈るべきです。
そのためには、身近な悲しみに、きちんと目をむけることからはじめるのが良いのです。
隣人の哀しみに共鳴できなければ、遠くの人の悲しみを想像して愛することなどできないからです。
ひとつの悲しみは、他の悲劇と比較することに意味はありません。
また、人は立ち直って、他の人を励ますためにも、哀しい時には、喪に服するべき時があり、ただ悲しみに向き合うべき時があるのです。
今は只、そこにある悲しみに向き合い、哀しんでいる人々とも喪に服していたいだけなのです。
【泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。嘆くのに時があり、踊るのに時がある。】旧約聖書より

投稿者:uchimura_it|Comments (0)

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