ガリラヤ湖の朝

2017-01-02-15-06

早朝のガリラヤ湖、舟を沖まで出してもらい、エンジンを切ってもらうと静寂に包まれた。
この湖が、とても好きだ。

イエスが、漁師であった普通の男たちに声をかけて、そして弟子としてトレーニングし愛しぬいた湖だからだろうか。

ここで生まれたわけではないのに、魂が自分の故郷に里帰りしているような気持になる。

イエスは、彼らをアカデミックに教育したわけではない。

ともに舟に乗り、時には漁をし、湖の嵐を経験しながら、寝食を三年半共にし、旅を続け、彼らにすべてを教えた。

男たちは、アカデミックな視点から見れば無学だったが、無知ではなかった。
イエスは彼らの、ダイアモンドの原石のような可能性を見抜いておられた。

僕もこの地で、もっと足を使って、時には沖に漕ぎ出し、イエスの心を深く理解し、練られたものとされたいと祈らされた湖でした。

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荒野で元旦を

2017-01-01-15-24

エルサレムのホテルで目を覚ますと元旦の朝でした。

宿を発ち、死海へと下る途中、ユダの荒野と呼ばれるワジ・ケルト(en:Wadi Qelt)で静まる時をもちました。

そこで聴こえてくるのは、遠い鳥の声、放牧されているヤギの声、谷川のせせらぎの音
さらに耳を澄ますと、神の声が静かに聴こえてきます。

聖書を通して解ることは、神はいつも人々を荒野で訓練してきたということです。
キリストですら、ここで40日間、悪魔からの誘惑を受けた後に、公生涯に入るのです。

私も、これまでの人生を歩みを振り返ってみると、自分自身が(痛みを感じながらも)練られ、成長をさせられたのは荒野でした。

ですが、荒野は通り過ぎるべきところで、留まる場所ではないということ、それも聖書が伝える人生の真理です。

そのことを再び噛みしめながら、泉の湧くところを目指して再出発しました。

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エルサレムの新年

2016-12-30-16-36

新年あけましておめでとうございます。
イスラエルに来ています。

こちらはまだ2016年ですが、もう二時間もすると2017年です。

聖書の舞台であるこの地を一歩一歩踏みしめながら、この土地がもつメッセージ耳を澄ませています。
新しい年のことを占える人は誰もいません。

2016年に世を去ったイスラエルの前統領シモン・ペレスは次のような言葉を残しています。

「想像力がなく、夢を見ない人間に未来はない。
世のなかにはたくさんの専門家がいるが、彼らは過去起きたことの専門家にすぎない。
これから起こる何かについては、誰も確かなことは言えないのだ。」

だからこそ、4千年前から書き記された神のことば(聖書)と歴史を丁寧に紐解くことから
新しい一年を踏み出しビジョンを描きつつ、光の射す方向へ歩んでいきたいと思います。

本年もよろしくお願いいたします。

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ミラノのクリスマス

2016-12-25-22-19

2016年12月22日、約三か月ぶりに日本からミラノに戻りました。

12月24日のクリスマス・イブ礼拝でメッセージを取り次ぎました。
二か月ほど療養していたので、久しぶりに講壇に立てたという感謝がありました。

実は、もう「この仕事に復帰することもできないのではないか」と考えた時もあったのです。

また、日本にいた時にはニュースで「ベルリンのクリマスマーケットを狙ったテロ」のニュースに胸を痛めていましたが、その犯人がミラノに来ていたというのも驚きでした。

そもそも、容疑者ではあったと思うのですが、テロの場合は犯人と断定され、その場で射殺されてしまうケースが多いです。

もしかすると、ミラノでのテロを計画していたのかも知れませんが、真相はもう藪の中です。

暗闇の中に、世の光として、最も弱い姿でこの世界に来られた神、イエス・キリスト

このお方が心をノックする音に耳を澄ませ、自分の闇へお迎えする夜となることを祈ったクリスマス・イブでした。

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国立 なつのや

2016-10-06-14-44

敬愛する音楽家夫婦である久米ご夫妻が「ランチでもご一緒しましょう。」とお招きを下さり、国立の大学通りから路地をすこし入ったところに佇む「夏の家(なつのや)」さんで共に過ごす時をもちました。

アーチストとして人生の大先輩であるお二人の話は本当に興味深い。

知る人ぞ知る、90年代のいわゆる【渋谷系】のアーチストをプロデュースしてこられた大作さんが語る音楽シーンの話

そしてかつては久保田早紀名義で「異邦人」のヒットで一世を風靡した小百合さん、いつお会いしてもチャーミング

三者とも、幼いころからこの多摩地区で育ってきたので、世代は違うのに、旧い友人と地元で再会したような、不思議な安堵感がありました。楽しい時間をありがとうございました。

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コビの火葬

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日曜日、世田谷区にある「キリスト教朝顔教会」で礼拝メッセージを終えた後、実家に戻り、予約していた火葬場にコビの亡骸を運んだ。

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火葬場は、狭山丘陵の通称[トトロの森」の中にあって、20年前仔猫でノラだったコビと出会った場所に近い。

安らかに眠っているだけのように見えるコビを見ていると、何故焼かなくてはいけないのかと思ってしまうのだけれども、最後のお別れを家族と共にして、コビは窯の中で炎に焼かれ、煙突から出る煙となって、風に吹かれて森の中に溶けて行った。

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小さな壺に収まったコビの遺骨を、実家の父の遺影の前に置いた。
そう、奇しくも今日は、9年前に逝った父の誕生日だった。

生前、父にもかわいがられていたコビ、不思議に時を司っているように思える猫だった。

コビ、本当にありがとう。


生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。

伝道者の書3:2

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猫のコビが逝きました。

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イタリアから日本へと向かう数日前のこと、義理兄から「コビの体調が良くないようです。私も多くの動物の最期を見てきましたが、その日は近いのかもしれません。」というメールがあった。

僕が日本へ到着するまでは生きていて欲しいという祈りをこめて、9月16日に成田空港に到着し、高速道路を飛ばして実家に到着すると、そこには、すっかり痩せこけて、苦しそうに息をしながらも、抱き上げて撫でると「グフグフ」と甘えた声で喉を鳴らすコビがいた。

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その日から、コビはおトイレに自分で行くことができなくなり、オムツを充てることにした。この夜から、僕は布団で一緒に眠ることにした。

「なんだか、仔猫のときみたいだね。コビ」と話しかけると、懐にグリグリと頭をおしつけて、コビは甘えた。その翌日から、コビはとても元気になった。

ひょっとすると、コビはこれからも元気に生きるのではないかと思った。

これから、神戸に出張で行ってくるよ。そう言うと、コビは玄関先まで珍しく見送ってくれた。

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神戸での大きなプロジェクト終え、友人とカフェでくつろいでいる時に、僕はテーブルからiPhoneを落とした。
8年以上スマホを使って初めてのことだったが、その時にガラス・スクリーンを割ってしまった。

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「ああ、ついにやってしまったか。」と呟いて、粉々にひびの入ったスマホの画面を覗き込んだその時、姉からの「今、コビが逝きました。」という短いメッセージを受け取りました。

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実家に電話してみると、コビは母にみとられて、静かに、蝋燭の灯が消えるように息を引き取ったとのことでした。

コビ、20年間本当にありがとう。

今はまだ、実感がもてないけれど、実家の玄関を開けた時に「ミャー」というコビの声が聞けないことをうまく想像できないよ。

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第6回日本伝道会議@神戸

2016-09-27-14-09

今日から、第6回日本伝道会議が神戸で開催されています。
これは7年に一度開催される、日本のキリスト教界の学会のようなものです。

前回は2009年に札幌で開催され、その時にはじめて参加させていただきました。

その頃は「宣教や牧会は会議室で起きているんじゃない、現場で起きているだ!」なんて思ったりしたこともあったのですが、今は現場というのも、実践的な神学に裏打ちされているのだと実感しています。

今回私は、グローバリゼイションという分野で「ディアスポラ宣教協力」というプロジェクトの責任を担わせていただいています。

「ディアスポラ」とは、自分が生まれ育てられた国を離れ異国に住んでいる人々(本来は世界に散らされた民になったユダヤ人)を指す言葉です。

世界的な潮流を踏まえつつ、聖書にある普遍的な原則を宣教や牧会の現場に還元できることを願い、期待しつつ、このカンファレンスに臨みます。

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アルプスを越える赤いホンダ

2016-09-08-15-36

9月9日からベルギーではじまる仕事のために、今回は車でミラノから千キロほど北上することにしました。

今日は、中継地点のドイツ・ハイデルベルグを目指してスイス・アルプスのサンゴッタルド峠を越えました。

本来は高速道路を使って、トンネルを抜けのですが、今回は大渋滞のため、高速を降りて峠道を走ることになりました。
僕の前を走っていた小ぶりなボディの赤いクーペが、ハードなヘアピンが続く道をキビキビと走り抜けていきます。

なんと、その車は幻の名車、ホンダが1966年から1968年にかけて生産したスポーツカー、HONDA S800 クーペです。

僕よりも早く生まれたわけで、おそらく車歴はちょうど50歳でしょう。
そんな車が、スイスでずっと大切にされて、こんなに現役で元気に走っている姿にちょっと感動しました。

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峠の中腹まで上ると、アルプスの山々や風の谷が見渡せます。
空気もさわやか。

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旅のお供である犬のムスメは、雪解け水で生まれた池でリフレッシュしておりました。
ちょっと天国(行ったことないですが)っぽいところで、いつまでも過ごしていたかったけれど、先を急いで今日の宿を目指しました。

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続・私はシャルリーなのだろうか?

lasagne

8月24日にイタリア中部で発生し300人近くが死亡し、10日が経ちました。
現地からの報道を目にする機会は減ってきましたが、心の中にはシンシンと哀しみが積もります。

フランスの週刊紙「シャルリー・エブド」が、最新号でイタリアの被災地の様子を、ラザニアなどのパスタ料理に見立てた風刺画を掲載したことが話題になっています。

「イタリアンな地震」と題したイラストでは、負傷して血を流した人を「トマトソースのペンネ」
火傷したりした人々を「ペンネのグラタン」とタイトルをつけ、崩れた建物に押しつぶされた被災者を「ラザニア」と揶揄しています。

アマトリーチェがトマトソースで有名な土地であったことにちなんだブラックジョークのつもりなのでしょう。

まったく、そのセンスに共感できないし、直接的な被害を受けなかった自分でさえ、心が深く傷つきます。

牧師ですが、表現の自由は与えられていますので、端的に言えば「最低な」表現だなと思っています。

2015年の一月、シャルリー・エブド本社襲撃で12人が殺害されたテロ発生から2日が経過したとき僕は厳戒のパリにいました。

そこで被害に遭ったこの出版社に連帯を示す「私はシャルリー」という横断幕を掲げた人々との行進に参加もしました。
その時のことは、「パリ 追悼と抗議大規模デモ行進」というエントリーに残しています。

しかし、同時に心に感じた「言語化でいない痛み」のようなものを、拙いながらもその当時「私はシャルリーなのだろうか?」という文章で残しました。

今回の週刊誌の風刺画(そう言えるのかな?)は、大人はある程度冷静に対応できたとしても、震災を体験した子供たちには「これはフランス文化として尊重されるべきジョークだよ。」と言うことができるのでしょうか?

大震災後の惨劇の中では、子供がが大人よりも大きな心の傷を負います。
自分の世界がめちゃくちゃになってしまった子ども
誰かが亡くなるのを見てしまった子ども、友達や家族を亡くした子どもたちは、感情的なケアを必要としています。
身体的な傷を負っていなくてもです。

このためにいち早く、イタリア中部の被災地に入り、子供たちの心理ケアに入った[子ども支援専門の国際NGOを今日は下記に紹介します。
セーブ・ザ・チルドレン

こちらのwebサイトからは、被災地支援の様子をいつ知ることができます。
自分の寄付が、どのように活動に使われているのかまでを見届けていくことはとても大切なことです。
日本からの支援は下記が窓口になっています。

<ご寄付の受付先>
ゆうちょ銀行(郵便局)
口座名:いのち・みらい貯金箱
口座番号:00190-8-791030
※ 振込手数料はご負担をお願いしております。
※ 領収証ご希望の方は、振込用紙通信欄にその旨ご記入ください
クレジットカードによるご寄付はホームページから
http://www.savechildren.or.jp/lp/childemergencyfund/

今夜は、残された子供たちのことを覚えて祈ります。

皆様の上に、主の祝福がありますように。

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