日曜日、世田谷区にある「キリスト教朝顔教会」で礼拝メッセージを終えた後、実家に戻り、予約していた火葬場にコビの亡骸を運んだ。
火葬場は、狭山丘陵の通称[トトロの森」の中にあって、20年前仔猫でノラだったコビと出会った場所に近い。
安らかに眠っているだけのように見えるコビを見ていると、何故焼かなくてはいけないのかと思ってしまうのだけれども、最後のお別れを家族と共にして、コビは窯の中で炎に焼かれ、煙突から出る煙となって、風に吹かれて森の中に溶けて行った。
小さな壺に収まったコビの遺骨を、実家の父の遺影の前に置いた。
そう、奇しくも今日は、9年前に逝った父の誕生日だった。
生前、父にもかわいがられていたコビ、不思議に時を司っているように思える猫だった。
コビ、本当にありがとう。
生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。
伝道者の書3:2