エルサレムのホテルで目を覚ますと元旦の朝でした。
宿を発ち、死海へと下る途中、ユダの荒野と呼ばれるワジ・ケルト(en:Wadi Qelt)で静まる時をもちました。
そこで聴こえてくるのは、遠い鳥の声、放牧されているヤギの声、谷川のせせらぎの音
さらに耳を澄ますと、神の声が静かに聴こえてきます。
聖書を通して解ることは、神はいつも人々を荒野で訓練してきたということです。
キリストですら、ここで40日間、悪魔からの誘惑を受けた後に、公生涯に入るのです。
私も、これまでの人生を歩みを振り返ってみると、自分自身が(痛みを感じながらも)練られ、成長をさせられたのは荒野でした。
ですが、荒野は通り過ぎるべきところで、留まる場所ではないということ、それも聖書が伝える人生の真理です。
そのことを再び噛みしめながら、泉の湧くところを目指して再出発しました。