Nederland 20170211
アムステルダム・スキポール空港に降り立つと一面雪だった。
寒そうな滞在になりそうだなと、いつも定宿にさせて頂いている一軒家の、あまり効かない(おそらく壊れている。)ヒーターの事や、冷たい隙間風のことが、一瞬頭をよぎりました。
空港には、TさんとMさんが、おそろいの手編みニット帽を被って待っていてくださった。
昨年夏以来の再会
南部の駅にはジョンさんが迎えに来てくださっていた。
彼はいつも、僕の拙くて壊れている英語での会話に耳を傾け、車中での話題を盛り上げてくれる。
Vessem村に到着し、懐かしいペイトン家
夜は、ドイツから到着したT夫妻が夕食に招いてくださり、会話が弾んだ。
昨年秋の療養休暇以来のオランダ南部教会での礼拝を明日に控え、再びここに戻ることが許された感謝が溢れてきた夜でした。
でも、やはりいつもの部屋は、殆ど外と変わらぬ気温で、ダウンのコートを着ながらベッドに潜り込んで眠りました。
London 20170205
ロンドンJCFでの礼拝メッセージを取り次ぐ日、少し早くケンジントンの会堂に着いた。
このあたりの小道は、旧き良きロンドンの面影をそのままに残している。
講壇から聖書を開き、メッセージを取り次ぎながら感じたことは、この教会が大きな変革期にあるということ。
その節目に、旧約聖書のエゼキエル書から連続でメッセージを取り次ぐことを示されました。
礼拝の後は青年たちとシンガポール料理屋さんで共に食卓を囲み、楽しい時間をもつことができました。
霧雨で見えない
霧に包まれた冷たい朝に、犬の娘、ハンナと公園を歩きました。
ここのところ、静かに心を覆っている灰色のような季節
外国人として異国の地に暮らすものとして、未来が見通しづらい世界にいると感じています。
ある人は、見通せると言います。
ある人は、私が良くして見せると断言します。
ある人は、そのことに期待し、ある人は危機感を抱きます。
世界に少しずつ亀裂が入り、分断されていくように感じます。
音もなく霧雨が降りしきる湖
氷が解け始めている水面をボンヤリと眺めながら
そんなことを考えていました。
なんだか急に、方向感覚を失ってきているような気がして
「ハンナ、こっちへおいで。家へ帰ろう。」と踵を返したときに、ひとつの聖書のことばが私の心に甦ってきました。
あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。(詩篇119:105)
犬と歩けば
今週はミラノで過ごすことができる週だ。
旅の予定が入っていないと、どこかホッとする。
最近心がけることとして、朝食をとる前に一時間くらい、犬と歩くことにしている。
頭がくらくらしそうなときは、エスプレッソと、半分に切ったバナナ、そして水を飲んでからウォーキングに出かける。
そうすると、体がすっきりしてくる。
昨年の秋に、血圧などの病気を経験してからは、食生活にも気をつけて、体重を5キロほど落とした。
もう少し余分なものもを、そぎ落としていければよいと思う。
健康の面でも、ライフスタイル全般においても、大切なものだけを大切にして、スリムにしていきたい。
歩きながらも、色々なことを考えるし、祈っている。
穏やかな朝日に包まれていても、戦いは自分の中にも、外側にもある。
もう、あんまりクネクネと蛇行していたくはないな。
光の射す方へ歩いていきたい。
バルセロナ・ビーチ
バルセロナの教会はビーチのすぐそばにある。
礼拝を終えて、海に目をやると、まるで真冬の日本海側のように海が荒れていた。
こんなバルセロナの海を観たのは初めてだ。
欧州を襲っている寒波や異常気象が、冬でも優しい地中海の表情を変えてしまったのだろう。
冷たい海風に、あっという間に体温がもっていかれる。
寒い寒いと駆け込んだ、海岸沿いのパエリア屋さんで、教会のメンバーたちと大きなパエリアを囲んだ。
なんか、冬に家族で鍋を囲んでいるようで、幸せな時間でした。
バルセロナ 20170119
昨年の8月以来、久しぶりにバルセロナの地を踏みました。
冬でも温暖なバルセロナ、のはずが、木枯らしが吹いていて結構寒い。
空港まで迎えに来てくださったOさんとカフェで暖をとりながら
どこか懐かしく感じる店内の喧騒に身を委ねました。
1月21日(土)はお昼の12時から、バルセロナ日本語キリスト教会で
今年最初のバイブル・メッセージを取り次ぎます。
どなたでも大歓迎ですので、はじめての方も、教会でお待ちしています。
イスラエルから帰宅
年をまたいでの、8泊9日にわたるイスラエルの旅から、無事ミラノの我が家に戻りました。
日本から持ってきていたお蕎麦を茹でて食したら、体に沁みわたるように美味しかったです。
イスラエルも、イタリアも豊かな食文化をもっていますが、やはり日本の食が世界一なのだと思います。
帰宅してすぐに、犬のムスメを預かってくださったT&Y夫妻宅にお迎えに行きました。
年末年始と置き去りをくらって少し拗ねているようにも見えますが、今夜は一緒のベッドで眠ります。
エルサレム 神殿の丘と猫
朝7:30にホテルを出て、エルサレム城壁内の神殿の丘に上る。
ここに辿りつくためには、イスラエル兵による厳重なセキュリティ・チェックを通過しなければならない。
そして、神殿の丘は、宗教的にはイスラムによる管理下にある。
彼らを、無理解から刺激することのないよう、きめ細かな配慮を必要とする。
しかし、この丘の治安維持は、武装したイスラエル兵によって行われている。
そして、世界中からキリスト教徒たちが集まってくる。
ここはユダヤ教、キリスト教、イスラム教も信者にとっての共通の聖地なのだ。
だが、ここではユダヤ教徒の姿はあまり見かけない。
かつては栄華を極め、今は姿かたちを消したソロモンの神殿にある至聖所を、誤って踏んでしまうことを彼らは恐れているのだ。
でも、街の中では、ここに再び神殿を建設することを願うポスターを目にする。(その準備は進められている。)
イスラム教徒は、ムハンマドが天に昇った場所だと信じ、岩のドームと呼ばれるモスクで礼拝を捧げに来ている。
キリスト教徒たちは、この丘からオリーブ山を見上げ、キリストの再臨を待ち望んでいる。
そして猫たちは、自分の庭であるかのように、この丘を優雅に歩いている。
猫には、国境も、宗教もないのだ。
黄金のエルサレムとイエスの涙
朝8時、(イスラエルでは恵みの)雨が降るなか、ホテルを出発しオリーブ山へ
そこから、エルサレムの街を見つめながらゲツセマネの園へと徒歩で下った。
十字架に架かる強い意志をもって、イエスが歩んだ道
エルサレム、この街の名前は、数えるだけで70以上ある。
そのうちの一つが「シオン」
そしてイエスの時代は「黄金のエルサレム」と呼ばれた。
雨があがり、朝日が街を照らし出すと、その名の理由がよく解った。
岩のドームの屋根が黄金で出来ているからではない。
石灰岩のエルサレムストーンで覆われた町並みが朝日を浴びると、黄金色に染まるからだ。
イエスは、この丘を下りながら、やがて滅ぼされる黄金のエルサレムを見つめ、涙を流された。
その涙と血潮によって、僕は今の僕となった。
「平和をつくる者は幸いです。」と、キリストは説いた。
平和を愛する人は多いけれど、平和をつくる人は多くない。
僕はどうだろうか。
この方の心が、自分の心とされることを願い、ゲツセマネの園で祈りを捧げました。
ナザレ 少年イエスの見た風景
イエス・キリストが幼少期から公生涯に入るまでを過ごした土地、ナザレの丘に登る。
聖書に記述がある訳ではないが、少年だったイエスはこの崖から、イズレエル平原を眺め、人々の往来に目をやり、そしてエルサレムに目を向けて行っただろう。
どんなふうに世界を見つめておられただろうか。
自分が生まれ育った町から拒否された時、どんな痛みを覚えられただろうか。
そして、今もどのような眼差しでこの世界を見つけておられるだろうか。
この丘に登ることが許されたのは、これで三度目
目に見える風景を超えて、過去、現在、そして未来に対するパースペクティブをもちたいと思わされた。