
こんにちワン、今日はユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている
サン・ジミニャーノの街をわたくしハンナと一緒に歩いてみましょう。

標高324m の丘の上にある塔の街として、また街そのものが裕福であったため
芸術家が多く住まい、シエナ派の芸術家を多く輩出していることで知られています。

街の中心、13世紀に掘られた井戸を中心に広がる三角形のチステルナ広場です。
ブラザー・サン シスター・ムーンという映画をご存知ですか?
宗教改革者であった、アッシジのフランチェスコの生涯を描いた、あの映画のロケは
実はアッシジではなく、このサン・ジミニャーノ歴史地区で撮影されているのです。

ドゥオーモ (中心大聖堂)の内部左面壁画は、 バルトロ・ディ・フレーディ (Bartolo di Fredi)
による『旧約聖書』の物語が描かれ、右面壁画には バルナ・ダ・シエナ (Barna da Siena) によって
新約聖書より(キリストの生涯)が描かれています。聖書の翻訳が禁止されていた当時には
この教会が聖書そのものだったのですね。必見です。

日暮れ時も近づいて、私おなかがすいてきました。
聖堂の正面階段で一休みです。では、今日はこの辺で!
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トスカーナ州 ヴォルテッラ

皆さん、こんにちワン!イタリアはトスカーナ州を巡っている犬、ハンナです。
かつてスタンダールが「とある高い丘の1番高い所にある町」と記した
ヴォルテッラ(Volterra)という町にやってきました。

この街に入場する為に、城壁に設けられた門は何と紀元前4世紀のもの
築2500年の建築物が普通に残っているとは、イタリア恐るべしです。

こじんまりした小さな町なのですが、13~14世紀の間に建てられた建造物は
中世の姿を呈していて、豊かで誇り高いコムネであることがわかります。

ヴォルテッラの町はエーラの谷とチェチェナの谷に挟まれた大地に
ひときわ高くそびえ立っています。
古代から岩塩や銅、鉛などの鉱物資源が豊富なことで知られていたそうです。

ヴォルテッラの前身エトルリアの都市ヴェラトゥリは、この豊かな資源によって
繁栄していたことがプリオーリ宮殿(市庁舎)を観ると解ります。
市庁舎の会議室はぜひ覗いてみてください。14世紀に描かれたフレスコ画の
「受胎告知」(作者不詳)が観られます。

プリオリ宮の裏手には、ドゥオモと洗礼堂があります。

ヴォルテッラの特産であるアラバスターを加工して作ったプレセピオ(キリスト生誕のジオラマ)
が飾ってあるので見逃さないでくださいね。

ミルク色の石を加工する職人たちのアトリエが並ぶ通りです。
トスカーナの日差しは強くて、風が渇いているので喉が渇きますワン

そういわけで、今日はこの辺で!ばいちゃ!(死語)
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トスカーナ サン・ガルガノ ノスタルジア

皆さんこんにちは、旅する雑種犬のハンナです。
今日はトスカーナ州のサン・ガルガノ修道院跡地に来ています。

アンドレイ・タルコフスキーのノスタルジアに出てくる、廃墟になった大聖堂です。
はるか昔から屋根が落ちて、廃墟になっている教会跡地に郷愁を感じるのは何故なのでしょうか。

ノスタルジアという言葉は、ギリシア語の”nostos”(家へ帰る)と”algia”(苦しい状態)
をくっつけた言葉だと聞いたことがあります。

この合成語をつくり出したのはスイスの医師のヨハネス・ホーファーという人で、
ヨーロッパのどこかの戦場に行っているスイス人の傭兵たちが勇ましくなれずに
極度に故国に帰りたがっている状態を見かねて、この用語をつくったのだそうです。
ホームシックという意味にとても近い言葉です。

荒涼としたトスカーナの地に、ポツンと建っている朽ち果てた教会の祭壇に佇むと
幼い頃暮らした家に帰ってきたような安堵があるのが、とても不思議です。
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トスカーナ州 シエナ

皆さんこんにちは、旅する宣教師犬、ハンナです。
今日はイタリア共和国トスカーナ州シエーナ (Siena)をご案内いたします。

まずは世界遺産シエーナ歴史地区の中心を飾り、イタリアで最も美しいゴシック様式の
ファサードを持つと言われるシエナ大聖堂をご覧ください。

シエーナはルネサンスの頃はフィレンツェと肩を並べる芸術の中心地でした。
フィレンツェ大聖堂をしのぐ大規模な聖堂を建設しようとしたが、中断した経緯があるほど
内外ともに大理石象嵌張りで飾られた壮麗な大聖堂です。

聖堂内部からアクセスできるピッコロミーニ図書館のフレスコ画は壮観です。

大聖堂の身廊、横縞模様のストライプが印象的です。

上を見上げればドームの美しさに、口をあけたままになってしまいますワン。

中世から時を止めたままの路地を歩きながら、次は街の中心にある広場へ向かいましょう。

あら、とてもタイプの男子を発見です。声をかけてみましょう。

こんにちは、あたしハンナです。ミラネーゼです。チュッ(携帯番号も交換)

そして、ここがカンポ広場です。

すり鉢状の不思議な形状の広場です。
この広場から放射状に通りがはじまり、街の骨格をつくっているのです。

いかがでしたか?シエナの街は。私はちょっと歩き疲れました。
トスカナの旅は明日も続きます。ちゃおちゃお
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日曜日

日曜の朝、いつもの公園を散歩していたら
優雅に鳥があるいていました。何ていう鳥なのだろう?

木々を走り抜けてくる風が爽やかになりました。
秋もそこまできているのでしょう。

とはいっても、日が高く上った午後の教会堂は蒸し暑く
礼拝メッセージは今日も汗まみれでした。
今年の6月に日本に帰った際、杉並の都立高校で特別授業をしたのですが
その授業が終わって「僕は、イタリアで料理の勉強をしてみたい。本場のピザを食べたい。」
と言っていた高校生が本当にミラノの教会に訪ねてきてくれました。

そんな17歳の彼を、礼拝後にイタリアン・レストランに連れて行き
本場のピザをご馳走しました。大変ご満悦だったようで良かった良かった。
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オルタ湖

ミラノから80キロ北西ににある、オルタ湖(Lago d’Orta)に日帰りドライブをしてきました。

旅するワンコ、ハンナさんがこの湖をご案内いたします。

オルタ湖Lago d’Ortaは、マッジョーレ湖の西にあり、ピエモンテ州の
古い歴史を伝える建造物が数多くあります。

オルタ湖畔随一の町オルタ・サン・ジュリオOrta San Giulioの広場に立つのは、
1582年建造の旧市庁舎「パラッツォットPalazzotto、外壁にはだまし絵の窓が
フレスコ技法で描かれています。

湖水に浮かぶサン・ジュリオSan Giulioという名の小さな島には、
12世紀に遡るロマネスク様式の教会があります。

教会内部の天井がは壮麗で見事なものです。

島を一周できる「黙想の道」、たくさんの修道士たちが
静まりの中で、神と対話をしてきた路地です。

島の中に一軒だけあるお土産屋さんの壁
聖母子のフレスコ画はいつごろのものでしょうか?

オルタのオリーブ・オイルで作った石鹸はとても良い香りです。
お土産におススメです。

いかがでしたか?もしあなたが疲れてミラノに休みに来るならば
その時には是非ともご案内したい湖の町でしたワン。
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デスクワーク

島からミラノの自宅に戻り、パソコンをネットにつなぐと
バラバラとメールが星屑のように降ってきました。
「数えきれないイタミのキス 星くずみたいに降ってくる♪」
と、1980年代に唄ったのは佐野元春ですが、こういう21世紀を予見していたのでしょうか。
メールのタイトルに「至急、重要!」とか「たびたびスミマセン、返信お待ちしています。」
とかいうタイトルがあり、鼓動が高鳴り、いやな汗が流れます。
その中に、締め切りをうっかり過ぎている原稿の督促があって
「印刷屋さんには、今日まで待って頂いています。」という内容で肝が冷えました。
その節は、ご迷惑おかけしました。大阪のK田牧師
三日以上ネットにつながらないところにいると、結構やばいことが多く
どうしたものかなと考えてしまいます。iPhoneとか興味深いです。
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ピサの斜塔

サルデーニャを昨夜発った船は、明け方にLivorno(リヴォルノ)という港についた。
この港から近い街にPisa市があるので、やたらと有名なピサ大聖堂の鐘楼を観ることにした。

塔が傾いているというだけで、観光地になってしまうというのも不思議な気がして
とくに今まで観にいこうと思ったことはなかったのだけれど、実際傾いている塔は
なかなか圧巻でした。そもそも、この大聖堂がとても美しいではないですか。

クーポラの洗礼堂、空の青、建物の白、緑の芝生が目に鮮やかな朝8:00です。

狼の乳を吸ロムルス(Romulus)とレムス(Remus)スの像彫刻も、大聖堂の横にありました。
これはローマの建国神話に登場するローマの建設者で双子の兄弟。
叔父の王によってテヴェレ川に捨てられ、狼によって育てられたと伝えられ
双子の兄のロムルスがローマを建設したと言われています。

大聖堂では、朝のミサが執り行われているようでした。
船ではあまり眠れなくて、眠いのですが、そろそろ
300キロ離れたミラノまで車を走らせることにしましょう。
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島を去る日

日が沈む時間に、サルデーニャ島とイタリア半島を結ぶカーフェリーが港に迎えに来ました。

フェリーが接岸すると、たくさんの車やバイク、そして人々が
その巨大な船体に吸い込まれていきました。

再びこの島にやってくることがあるでしょうか?

誰もが名残惜しそうに、デッキから次第に小さくなっていく桟橋を眺めています。
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夕刻

20代の頃は、二つの島で暮らしました。
初めて暮らした島は小笠原勝島の父島
次に暮らした島(転勤でした。)は伊豆七島の神津島
いずれの島でも、一番好きな時間は夕方でした。

父島ではウエザーステーションと呼ばれ高台からいつも沈む夕日を眺めていました。
神津島では、幸福なことに海岸沿いの露天風呂から空が焼けるのを眺めていました。
島の暮らしで、空ばかり眺める癖がついたのですが、その時気付いたことは
夕焼けは日が沈んでからのほうがきれいだということ。

サルデーニャ島でも、日が沈み、海岸沿いの村の灯りが燈るころに
美しいホリゾントが空に描かれていました。
この時間に、一瞬にして神様が刷毛を使って描く水彩画が最高なのです。
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