pumのキャンドル

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芸術高校時代の教え子である元明加織さんと、彼女の桑沢時代からの相棒である山田梨恵さんとの二人組アートユニット<pum>の新作キャンドルの展示を、都立大学にあるclaveまで観にゆきました。
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僕は彼女たちがつくるキャンドルがとても好きです。
その形、色、手にとった感触、明かりをともした時の柔らかな光に、惹かれるものがあります。
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こちらはセラミックできたゾンビさんたち、ひとつ買っておけばよかった。(後悔)


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写真中央が、pumのお二人、そして右端は、ミラノ帰りのオペラ歌手の佐夜子さん。
展示販売をされていたclaveというお店も、選りすぐった欧州雑貨を集めた素敵なお店でした。
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最愛の大地

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高校生の頃から、新宿という街をどこかで嫌悪しなながらも、愛おしく感じている。
十七歳だった尾崎豊が「愛の消えた街さ 昔からそうなのだろうか」と歌った街だ。
彼が「誰もが不幸になるかもしれない自分を守り自分の愛を
向けることもバカらしくて出来ないまぬけな人ごみ」と歌った雑踏の中で
突如として「それでも世界は愛に満ちているよ。」と叫びたくなる。
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新宿ピカデリーで「最愛の大地」という映画を観た。
原題は IN THE LAND OF BLOOD AND HONEY だ。
そのまま「血と蜜が滴る大地で」と訳せば、映画の内容を的確に表しているのに
「最愛の大地」という、よくわからない抽象的な邦題になっているのが残念
アンジェリーナ・ジョリーの初監督作で、ボスニア・ヘルツェゴビナの紛争で敵同士となって
しまった恋人たちの姿を描いた人間ドラマで、脚本も彼女の手によるものだ。
今まで観てきた、どんな戦争映画や紛争ものとも異なっていて、もし平和のバランスが
失われた土地で「女性」として生きることがどういうことか解りますか?と問われて息が
苦しくなってしまう映画だった。
「いや、あなたは知識としてはわかっているだろうけれど、身体感覚では理解しいないのよ。」
と、アンジェリーナ・ジョリーのクラスルームを受講させられた感じだった。
単に紛争の悲惨さと啓蒙になるだけではなく、映画の重要な軸に「油絵の制作」や
「美術館」というファクターがあり、自然光の映像は戦場でさえ不思議と美しかった。
だから、ただ観ていて辛いということではなく、両目をあけて、しっかりと心に刻まなければ
いけない世界がそこにあり、とても力強い、見るべき作品でした。
10年前の今日
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後藤 満喜主事をお迎えして

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8月は過ぎ去った。9月最初の日曜日、シオンの群教会礼拝のメッセンジャーとして
JCFN(Japanese Christian Fellowship Network)の 後藤 満喜主事をお迎えした。
また今日の礼拝にはイタリアのSLIMカンファレンスでもお世話になっているYさんが
六本木から、そして今年7月にイタリアから帰国されたK子さん(伏字になっていない。)が
大きなお腹でありながら埼玉のご実家から来て下さり、とても嬉しかったな。
後藤 満喜主事は2008年末にカリフォルニアで行われたequipper conferenceで
お会いして依頼帰国者支援のカンファレンスなどで度々ご一緒することがあった。
今日は詩篇の133篇を開き、御言葉を取り次いでくださった。
133:1 見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。
133:2 それは頭の上にそそがれたとうとい油のようだ。それはひげに、アロンのひげに流れてその衣のえりにまで流れしたたる。
133:3 それはまたシオンの山々におりるヘルモンの露にも似ている。主がそこにとこしえのいのちの祝福を命じられたからである。

この詩篇から後藤 満喜主事は三つのポイントで説き明かしてくださり
そのことを通して僕も三つのイメージを心に刻むことができた。
僕は言葉を映像に変換することで、記憶に残すタイプなのです。
(逆に言えば、映像的でない言葉は、あまり心に残らないのです。)
1、「兄弟たちが一つになって共に住む」とはハーモニーのことであり
「共に住むこと」はともに座っているイメージ
2、「アロンのひげに流れてその衣のえりにまで流れしたたる。」とは
大祭司であるキリストを通して、現代を生きるわたしたちにまで、香油のような
祝福が流れ出しているイメージ
3、木も生えていな様な高い山(課題を多く抱えている現代)にも
神様が「とこしえの命」を命じられ、キリストを中心として回復するイメージ
そのような祝福の約束を心に刻むことができました。
真っ直ぐで誠実な後藤 満喜主事による説教のご奉仕に心から感謝します。
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沖縄の親族

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今回の沖縄訪問の一番の目的は、92歳になる義理の祖母に会いにいくことであった。
足が以前より不自由になられたが、頭脳も明晰でとてもお元気だ。
今は亡き義理の祖父も、素晴らしい人物だった。
僕が高校教員だった頃、沖縄修学旅行の下見のため出張で那覇を訪れた際も
夜にホテルを訪ねてきて下さり、タクシーを拾って沖縄舞踊を見に連れ出してくれた。
直接は血の繋がらない僕を、沖縄の人々は親族として迎え入れてくれた。
そんな温かさを通じて、沖縄は僕にとってはホームタウンのひとつとなっていった。
今は義理のいとこ達にも子供が次々と生まれ、親族は大きな家族となった。
地元の沖縄料理やで一同が会し、とても楽しい夕食の時となりました。
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沖縄で友と再会

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阿嘉島からは台風の影響で予定を繰り上げて、早々に那覇に戻ってきたのだが、
そのように予定が狂う時こそ神様からのプレゼントが隠されているものだ。
日頃はそれぞれ別の地に遣わされている仲間の伝道者たち、ひとりは今は新潟で
牧師をしている旧友のY氏と、も一人は、この春イタリアで共に働いた盟友O氏と、
思いがけず再会できたのだ。神様はなんて粋な計らいをしてくださるのだろう。
おもろまちのスターバックスで珈琲をおかわりしながら歯に衣を着せずに語り合い、
腹のそこから笑い合える友との素敵な夜となりました。
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阿嘉島

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慶良間諸島に属する阿嘉島に那覇の泊港からフェリーで渡った。
観光客も少なく、宿で最初に出会ったのはイタリア人の旅行者たちだった。
イタリアからこんな島を目指してくるなんて、すごいなと思って会話したのだが
むこうも、僕が普段はミラノに住んでいると聞いて驚いていた。
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いくつかのビーチでシュノーケリングをした。
小笠原の海が僕の基準になっているので、それと比べると、やや死んでいる
サンゴが目についたのは気になったが、それでも魚群が豊富で、豊かな海だった。
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日が沈む時刻の空のホリゾントや、夜空の降るような星が美しく、何日も滞在したい島だった。
しかし近海で台風が発生したため、わずか一泊で立ち去らねばならず、後ろ髪が引かれた。
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六年ぶりの沖縄

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六年ぶりに那覇空港に降り立つと、街は随分と変わっているように思えた。
新都心なんて、耳慣れない地名があって、高層マンションが立ち並んでいます。
でも、南の島特有の湿度をたっぷり含んだ空気のにおいや空の色は変わりません。
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そして五年ぶりに妻方の親戚縁者との再会、あたたかさも変わらない。
92歳になったお婆ちゃんも変わらずに、いつまでも、元気でいてほしいな。
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ドイツ、イタリア、スペインから

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今日の シオンの群教会 での礼拝には、多くの欧州に縁のある人々が集いました。
ドイツ、イタリア、スペインから帰国中の人々も一同に礼拝を捧げることができました。
それぞれの帰省先から、ご家族を連れてこられたり、あるいはミラノにおられる娘さんを思って
お母様だけが礼拝に来てくださったり、いろんな再会と、新しい出会いが今日もありました。
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萌の朱雀

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この一週間、じつはお腹の調子が良くない。
おそらくはエアコンでお腹を冷やしたか、あるいは流行りの細菌性のやつだと思う。
そういわけで、おとなしく部屋で養生することに決め
「萌の朱雀(もえのすざく)」というDVDを借りて見た。
1997年の公開当時、淀川長治さんが「こういう人が読めないタイトルをつける監督は嫌いだ。」
と言っていたのをなぜかよく覚えいて、言いがかりのようで、結構本質を突いている指摘かも。
映画の舞台は奈良県西吉野村で、この山村の映像があきれるほどに美しい。
物語は、林業低迷で過疎化が進む村のある家族にフォーカスをあてている。
役者陣は、國村隼と尾野真千子以外は全員が素人だ。
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撮影時は中学3年生だったという尾野真千子は、映画のロケ地となった西吉野村中学校で
靴箱の掃除をしている際に映画監督河瀬直美の目にとまり主演デビューとなったそうです。
それが役者としての人生を歩むきっかけとなったというのですから人生は不思議
誰に出会い、見出されるかということが、人生の宝物ということですね。

夏の終わりに、静かにひとりで浸るにはとても良い映画でした。
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小笠原・父島時代の友人

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25歳の時、小笠原諸島に浮かぶ父島で、美術の非常勤講師として働いていた。
授業やその準備以外は、美術室で生徒と絵を描いたり、海に潜ってばかりいた。
その頃はインターネットも携帯電話もなく、ただただ夜が長かった。
そんな島での最初の友人が、小笠原高校の社会科教員である小松くんだった。
彼とは毎晩のように、教員宿舎で酒を飲み、音楽の話や、小説や映画の話
そしてお互いの仕事についていつまでも語り合った。
そんな彼と、10数年ぶりに再会した。
もうお互いにすっかりとおじさんだけれど、芯の部分は変わっていない。
今も学校の現場で頑張っている彼の話を聞いていると
当時の島の感覚を思い出した。楽しい夜をありがとう。
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