十年前の日記を読んで、十年前に口にした約束を想い出した。
約束をしたことすら忘れていたのだ。
もう一度、あの島に行きたい。
十年遅れの花束をたむけに
←今日もそこにいてくださってありがとう。
Iさんと鍋
先週末降った雪が未だ残る月曜日の朝、散歩していたら春の気配を感じました。
夜は日本食レストラン【OSAKA】でIさんと海鮮鍋をつつきました。
Iさんは34歳の時にミラノに移り住み、それから22年だそうで、現在は56歳だそうです。
いつお会いしてもオシャレで、聴き上手、人を安心させる包容力のオーラが出ています。
こんな感じで、自分も年齢を重ねていきたいと思わされる素敵なおじさまIさんと、
店を出てからもホテルのラウンジで日付が変わるまでおしゃべりを楽しんだ夜でした。
10年前の今日
←今日もそこにいてくださってありがとう。
雪の土曜日 誰かの十字架
金曜日の夜からミラノでは雪が降り始め、街の中では積もるまでいかなかったけれど
土曜日の朝、いつもの公園は真っ白に雪化粧をしていました。
木の枝に掛けられていた赤い十字架のネックレス
誰かが白い雪の上に落して行ったものかもしれません。
原っぱを雪うさぎのように歓喜しつつ跳ねまわる犬娘のハンナ
喜びも束の間、(ルックスが)好みではないオヤジ犬にしつこく付きまとわれ
ドン引きしつつ、テンションを落としていました。
10年前の今日
←今日もそこにいてくださってありがとう。
ベルガモ・ミーティング
ロンドンからパリから、ブリュッセルから、デュッセルドルフからと、日頃は離れて暮らし
なかなかゆっくり話せない、そんな友たちが飛行機に乗ってミラノにやって参りました。
ミラノ近郊の古都、ベルガモで共に食卓を囲み、寝泊まりしながら、馬鹿話から
真面目な話まで、夜が更けても学生のように話し、祈り会う時間をもつことができました。
教会などを紹介しながら、共に町を散策すると、日ごろ欧州のほかの街で暮らす人は
こういう印象をもつのか、というような興味深いコメントなどが聞けました。
共に過ごした時間は、あっという間に過ぎてしまい、皆がそれぞれの国へと戻っていくと
少しさみしく感じましたが、これからのことが楽しみにもなりました。また会いましょう。
10年前の今日
←今日もそこにいてくださってありがとう。
ミラノ大学 男の子女の子
ミラノ大学の講堂にて、Hさんのボーイフレンドであるピエトロ君が所属するオーケストラの
コンサートに出向く。私が所属している教会のすぐ隣にある大学なのに、初めて中に入った。
休憩時間にホールのトイレを探している時、間違えて女性トイレに入りそうになった。
これは、アイコンの色のせい。女性が黒で、男性のトイレは赤色で表示されている。
日本で育つと、色に関しても「男の子らしさ、女の子らしさ。」というものを刷り込まれるので
(ランドセル、男子は黒、女子は赤でした。今でもそうなのかな。)その影響ですね。
コンサートも楽しい時間でした。帰り道、気温零度の中、足下に石畳の冷たさを感じつつ
帰途につきました。
10年前の今日
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Piacenza,Milano
午前中はピアチェンツァで礼拝メッセージを取り次ぎ、午後はミラノで礼拝メッセージ
ダブルヘッダーの日曜日でした。ミラノの礼拝堂は、今日から本格的に足場が組まれて
会堂の大規模改修工事が始まりました。半年は続くらしく、この間パイプオルガンも使えません。
そのおかげで、会衆席が講壇にぐっと近づいてきて、メッセージを伝えていても
人々の顔がよく見え、聴衆との一体感を、より強く感じることができるようになりました。
礼拝後、イヴァン&マサミ夫妻が自宅に招いてくださり、夕食を振舞ってくださりました。
「なにも用意していなくて、ごめんなさいねー。」といいつつ、夫婦のチームワークを
台所で発揮していました。
お料理ができる間、この家の猫ムスメ、ジャダさんと遊んで(遊ばれて)過ごしました。
肉をメインディッシュにした、北イタリアの家庭料理、美味しく頂きました。
楽しく夜が更けて、充足した長い一日が過ぎて行きました。
10年前の今日
←今日もそこにいてくださってありがとう。
音楽、ことば
晴れ間が広がった。「太陽ってありがたいなぁ。」と思いながら犬娘と散歩
僕の仕事は8割くらいが人と会い対話すること、いろんな人に出会います。
中には「牧師に会いに行った、相談事をした。」ということ自体「ご内密に」という人もいる。
だから「今日は誰さんと会いました。」ということをブログにつけないケースも多い。
それは「肛門科」のお医者さんが「今日はこんな方が来院されました!」という
写メつきのブログをつけないのと思じだ。(ぜんぜん違うか。)
結果的に犬のハンナとの散歩のことばかり書いてしまう。
僕の身の回りで、ハンナにだけはプライバシーがないのだ。
よく晴れた冬の日は、例外なく夕空も美しい。
今日は、ある中学生の男の子をマルペンサ空港までお迎えに行った。
初対面で、車の中で何を話したらいいのかな、と思ったのだけれど
BUMP OF CHICKENのCDを車内でかけたら「この曲いいですよね!」と話が弾んだ。
それが音楽の素敵なところ
BUMP OF CHICKENは、芸術高校教師時代、デザイン科の教え子からのおススメでした。
生徒には「どんな音楽が好き?」と良く質問して、その人のデザイン的傾向を理解する
助けにしていました。
自慢ですが、「たぶんこの人は、こんな曲が好き」という僕の見立ては良く当たります。
クラブを出入りしていたころは、DJはそこにいる人々が本質的に求めている音を見抜いて
提案する「音楽を調合して処方する薬剤師」みたいな仕事だと捉えていました。
最近は誰でもDJって名乗っちゃう時代ですが、彼ら(本物のDJ)は職人でありアーチスト
人の痛みや、闇を引き受けて、ビートで物語を提供する「夜の司祭」といえる職業です。
良いDJは謙虚で、自分たちはミュージシャンではなく、人の音楽をかけているだけという
自覚があり、そして自分たちが選ぶ音楽の力を信じているものです。
今の仕事は、そんなに変わっていなくて、レコードが聖書に変わって
「言葉を処方する薬剤師」という一面があると思っています。
私は医者ではなく(良いお医者さんを紹介できますが)、お医者さんの処方箋に従って
ご紹介する薬(聖書のことば)に力があることを信じています。
もちろん、薬に関する説明を受けた後、服用するもしないも、その人の自由です。
10年前の今日
←今日もそこにいてくださってありがとう。
木曜礼拝
今年になって最初の木曜礼拝をカタコンベ(教会の地下)で持ちました。
平日の夜ということもあり、いつも参加者は10名程度ですが、いつも心からの賛美を捧げ
聖書を開いて御言葉を味わい、分かちう大切な時間となっています。
10年前の今日
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カシミヤのニット帽と手袋
ミラノのニット工房YURI PARKのスタッフ一同から、嬉しいサプライズのプレゼントを頂きました。
「クリスマスに間に合わなかったのですが。」とのことですが、出来たての
カシミヤのニット帽と手袋、ふんわりとして軽くて、最高の手触り、そして温かい!
創り手の愛情を感じる、冬の散歩に欠かせない大切なアイテムになりそうです。
本当にありがとう!
10年前の今日
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光の射す方へ
今日も鉛色の空に覆われていたのですが、雨が降っておらず散歩に行くことができました。
ハンナは森の中で木々の香りを嗅いでいるのですが、きっと春の準備具合が土の中では
進んでいることを確かめているのでしょう。
僕は自分を叱ったり管理したりする上司がいない自由業(?)なので、時間の管理だけでなく
自分のメンタルヘルスを客観的に問診したりしする、セルフマネージメントが必要不可欠です。
この季節は、やはり傾向として冬季うつ病(季節性うつ病)の傾向が出ております。
春になれば治ってしまう、そんなに深刻ではないものなのですが、僕が感じる
代表的な症状として
* やや自己否定的(ネガティブ)な思考に傾きがちになる
* 仕事に対するモチベーションの低下を感じることがある。
* 睡眠時間が長くなっているにもかかわらず日中も眠気に襲われることがある。
* 一人でいたいという時間が増え、外出が億劫に感じる。
* 集中力が低下する。机の上などが散らかりがち。(だらだらネットサーフィンしたりする。)
* 食事が炭水化物や甘いものを求め、体重も何kgか増える
このうち、4つぐらいが該当すれば、季節性うつ病の傾向があると言えます。
日本でも北海道や日本海側の人などには多くみられるそうで(本人は鬱と自覚していない。)
欧州ではやはり緯度が高くなるほどその傾向が増します。(ミラノは北海道の緯度と同じ。)
英国では、国民人口の1割程度(500万人)くらいが冬季うつ病にかかると言われています。
参考文献( ノーマン・E. ローゼンタール 著[季節性うつ病 ])
僕の経験的からいえば、一番効果的な対処法は「昼間の散歩」、そして光を少しでも
多く感じることです。
今日も散歩しながら、雲の隙間に現れる「光の射す方」を眺めていました。
(昼間なのに夕方みたいな光ではありましたが)春を待ちながら、
冬にしか見ることができない景色の美しさを感じたいと願います。
10年前の今日
←今日もそこにいてくださってありがとう。