朝、ミラノ賛美教会のメンバーたちがパリにやってきました。
一緒にパンを買い出しにゆき、朝食を共にしました。
お昼からTさんのお宅で「聖書に聴く会」、たくさんの人々が集い、忌憚なく
聖書から語られたことを分かち合っていて、とても豊かな集会でした。
1年前の今日
←今日もそこにいてくださってありがとう。
プロヴァンとパリの夜
パリから約一時間、高速道路A4線を南下して、プロヴァン (Provins)という町を訪れました。
町ごと、ユネスコの世界遺産に登録された中世都市で、13世紀の姿をそのまま残しています。
丘の上にひときわ高くそびえるセザールの塔は、900年程前の建築物
塔に上ると、サン・キリアス聖堂とシャンパーニュ地方の平原が見渡せます。
フランスの地方には「わび・さび(侘・寂)」「栄華と衰退」を感じる風景が至る所にあり、
そこに何故か心惹かれます。
イル=ド=フランスの匿名的な平原の景色にも、不思議な郷愁を感じます。
あれ、犬のハンナは勝手に遠くまで散歩しに行ってしまった。おーい、パリに帰るぞ。
パリに戻り、HOTEL DE VILLEのレストランで、Tさんと夕食を共にしました。
レストランの名前がベル・カント(Bel Canto)、何故にイタリア語なのか(美しき歌声という意味)
と思ったら、料理を運んでくる、ウェイターやウエイトレス達が、オペラを歌うのです。
だんだん盛り上がってくると、店内における従業員やお客たち同士の一体感が強まり
皆でグラスを片手に熱唱する時間もありました。隣のおじさんもノリノリでした。(僕もか)
Tさん、素敵な時間にお招きくださり、ありがとうございました。
1年前の今日
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バルビゾン・フォンテーヌブロー・モレ・シュル・ロワン
パリは今日も快晴、春の陽気です。ハンナが「外へ連れて行って」と背中で語りかけて来ます。
パリを60キロほど南下し、バルビゾン村にあるミレーのアトリエを訪れました。
ミレーのアトリエは、ミレー自身の絵は少ないものの、板が敷かれた床、たっぷりと
自然光を取り入れる窓、高い天井という、彼のワーキングスペースを垣間見れることは
もと画学生としては、心が揺さぶられます。
バルビゾンにほど近い、フォンテーヌブロー宮殿にも足を運びました。この馬蹄形の階段は
ナポレオンがエルバ島に流される前に、近衛兵たちに別れを告げた場所なのだとか・・・
終わりが分からないほど、ただただ広いフラン式庭園、封建時代の権力と財力って、どんだけ
パリに帰る前に「もう一つ」と欲張って、印象派画家、アルフレッド・シスレー(alfred SISLEY)
を魅了し続けたことで知られる、モレ・シュル・ロワン(Moret Sur Loing)に立ち寄りました。
セーヌ川に流れ込むロワン川の美しい自然と、中世の面影を残す建築物との調和の美しさに
僕自身、一目で魅了されました。
シスレーは、亡くなるまでのおよそ20年間をこの街で過ごし、多くの作品を残している。
画家にとって、自分にとっての故郷といえる場所との出会いは大切なのだなと、この旅で
感じ始めています。僕にとっての、晩年を過ごし、絵に残したい街はどこだろうか。
ハンナは、優雅な白鳥にすっかり魅了されていました。
フランスでの暮らしを、結構楽しんでいるみたいです。
1年前の今日
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パリで花粉症
パリに来て二週間が経ちましたが、一度も雨を経験していません。
今日もいい天気だけれど、僕の花粉症によるアレルギー反応も全開です。
犬娘のハンナにせがまれて、昨日に続き今日もブローニュの森へ、すっかり春の陽気です。
この森は本当に大きくて、どこか富士山麓の青木ヶ原樹海を彷彿とさせます。
今日は森の真ん中で、二人組の女装して厚化粧なムッシュ達に出くわしました。
「結構ディープな森なのかも知れん。」と呟きつつ、足早にその場を立ち去りました。
午後は、洗礼を希望している若者達や、個人的なアポイントメント、夜の祈り会など
牧師館には来訪者が続き、恵まれた時間でしたが、後半は花粉症が加速し、目が
開きづらくなっていたワタシです。(ハンナはカメラ目線で集合写真に入っています。)
1年前の今日
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ブローニュの森とパリの街
現在滞在しているパリ16区に、ブローニュの森と呼ばれる846万m2の広大な公園があります。
一見カオスに見えるパリですが、街の中にこれだけの公園を確保しているなんて流石です。
「散歩」と「ご飯」だけが人生における楽しみ、という犬のハンナと一緒に足を運びました。
水辺には、たくさんの水仙が咲き乱れ
クロッカスが地中から顔を突き出していました。
午後からは街に出ました。オペラ座界隈を歩いていたら、なんとブリュッセル日本語
プロテスタント教会のO牧師のご婦人に出会いました。ブリュッセルから日帰りでパリに
いらしていたそうで、こんなところで会う確率ってすごく奇跡的な気がしました。
22番線のバスに乗って、街を眺めていたら、ひときわ美しい教会堂が見えてきました。
サン・トギュスタン教会(Eglise Saint-Augustin、建築家ヴィクトル・バルタール(Victor Baltard)
による、第二帝政期のパリを象徴する教会堂です。
ガイドブックで紹介されるような観光名所でもないので、人も少なく、静かな教会内部には
なにか心惹かれる荘厳さと、包容力を感じます。
パリには何度も足を運んでいますが、やはりエッフェル塔が見えると嬉しくなります。
夕暮れ時のCafe de L’Homme(カフェ・ドゥ・ロム)で、ぼんやりと眺めて過ごしました。
夜の七時になっても、明るさを感じるようになりました。凱旋門の下で、モスクワからの
お客さんと落ち合い、夕食に出かけました。
サン・マルタン運河沿いのビストロで再会を祝して乾杯し、尽きない話を楽しみました。
パリの一日は、今日もフルコースでした。
1年前の今日
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ディズニーランド・パリ
kohbear夫妻が、パリ近郊にあるディズニーランドへ行きました。
たくさんの「絶叫系」のアトラクションをはしごしたりして、子供のように
日が暮れるまで遊んでとても楽しい一日でした。どうもありがとう。
1年前の今日
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パリ教会礼拝
マレー地区のパリ・プロテスタント日本語キリスト教会礼拝で、メッセージを取り次ぎました。
「キリストのからだ」と題して、聖書が語っている教会についてお伝えしました。
いつも全力投球で伝えていますが、どのようにキャッチされているのでしょうか
ある方は、語られたことをレスポンスとして、シェアしてくださりますが、むしろ少数派で
多くの受け手の心の中のことまでは、知る由もありません。
それでも、牧師として、これからも示されたことを、語り続けていきます。
1年前の今日
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屋根の上のパリ
日頃、ブログでチラ見させて頂いた天空の城@光子邸にお邪魔しました。
アパルトマンの最上階からは、屋根の上のパリが拡がっていて、なかなかの特等席です。
「聖書なんて初めて」という方々を含めた若者達と、一緒に聖書を開く楽しい時間をもちました。
いつも人との出会いと、対話から気づかされることが多く、バイブル・スタディは本当に楽しい。
ついつい、長居をしすぎてしまいました。
1年前の今日
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おおパリ
オペラ座界隈にある床屋さんへ髪を切りに行く。
地下鉄には乗らずに、22番のバスに揺られて、街を眺めた。
ベンチでぼんやりと過ごす人
おしゃべりしながらバスを待つ人々
凱旋門のてっぺんには、たくさんの観光客の姿が見えた。
僕もバスを降りて、凱旋門の「お上りさん」になってみようとしたけれど、
10ユーロ近く展望料を取られることを知って、今日は断念。
ツーリスト気分になるには、足を運びすぎているけれど、自分の街と言うには、まだまだ
僕によそよそしい、そんなパリの日常を、再びバズの車窓から眺めつつ部屋に帰りました。
10年前の今日
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フィンセント・ファン・ゴッホ終焉の地へ
朝、自動車のエンジン・オイル補充のためパリ郊外のオートバックスへ立ち寄る。
フランスにオートバックスがあるのも驚きだが(何故イタリアにはない?)、店内も日本の店舗と
ほとんど同じレイアウトで品揃えがあるのに驚いた。クルマ好きにとっての「萌え」空間だ。
(写真はオイル選びにつきあうために会社を抜け出してきてくれたkohbear君。萌えてます。)
車のメンテナンスも終えたところで、ロンドンから里帰り中のjunikaさんを乗せて
オヴェール・シュル・オワーズ(Auvers-sur-Oise)という、ゴッホが生涯を閉じた村へ
村を訪れて、本当に驚かされるのは、自分にとっての偉大な教科書であった
ゴッホが描き残した風景が、120年も経過した今も同じように残されていると言うこと
La Mairie d’Auvers(オーヴェルの村役場)は、ゴッホの下宿のすぐ前に立っていて
一見変哲のない建物なのだが、彼というフィルターを通すと世界は一変したことが解る。
この通りだって、まるで変わっていないじゃないか。L’Escalier d’Auvers(オーヴェルの階段)
この絵画の世界こそが、彼にとっての現実(リアリティー)であって、それほどまでに
ゴッホが現実世界に傷ついて、心を病んでいて、その痛みが美に昇華されているのだ。
L’eglise d’Auvers(オーヴェルの教会)は、彼にとってはどのような存在だったのか
牧師の家に生まれ、自らも牧師を目指しながらドロップアウトし、画家になったゴッホ
彼がイーゼルを立てた場所に立ちながら僕は思う。ゴッホは教会から平安を感じることが
出来なかった。むしろ、彼は教会を通して恐れや哀しみ、生の葛藤を書き残している。
1890年7月、この村の外れで彼はピストルの銃弾を自らの胸に撃ち込んだが、死にきれず
この下宿の階段を、血をしたたせながら登り、三階にある自分の部屋に辿り着いた。
ベッドの上で二日間もだえ苦しみ、弟のテオに看取られながら、息を引き取った。
この下宿部屋は今も空き室のまま、彼の死後、誰にも貸されたことがないという。
最愛の兄を見送った後、半年後に亡くなったという弟のテオと、兄のゴッホ
二人の墓は、村の外れの墓地にひっそりと並んでいました。
今日という日は、これだけでは終わらない。村を後にして、パリのマレ地区を目指した。
パリの名店、ショールーム・ロメオで、我がミラノ賛美教会のメンバーである若いご夫妻が
COINONIA(コイノニア)というブランドを立ち上げ、新作を発表しているの駆けつけました。
うーん、なんて質の高い仕事!二人の頑張りを知っているので、是非パリでもロンドンでも
評価されて欲しいと願い、祈りました。
夜はANTONY市のS家からお招きを受け、夕食へ。ハンナはあーちゃんのそばに
日々痛みと闘いながら、自立歩行のリハビリに励んでいるあーちゃんを、ハンナは
励ましてあげたいに違いありません。
とても長い一日(そして、あまりにも長いブログ)でしたが、充足した日々を与えられています。
七年に一度取るべきと言われる、サバティカルはとても重要で、これからの七年間について
視差を与えられつつあります。ゴッホ先輩からは、ひとつの大切なメッセージを受け取りました。
10年前の今日
←今日もそこにいてくださってありがとう。