朝、自動車のエンジン・オイル補充のためパリ郊外のオートバックスへ立ち寄る。
フランスにオートバックスがあるのも驚きだが(何故イタリアにはない?)、店内も日本の店舗と
ほとんど同じレイアウトで品揃えがあるのに驚いた。クルマ好きにとっての「萌え」空間だ。
(写真はオイル選びにつきあうために会社を抜け出してきてくれたkohbear君。萌えてます。)
車のメンテナンスも終えたところで、ロンドンから里帰り中のjunikaさんを乗せて
オヴェール・シュル・オワーズ(Auvers-sur-Oise)という、ゴッホが生涯を閉じた村へ
村を訪れて、本当に驚かされるのは、自分にとっての偉大な教科書であった
ゴッホが描き残した風景が、120年も経過した今も同じように残されていると言うこと
La Mairie d’Auvers(オーヴェルの村役場)は、ゴッホの下宿のすぐ前に立っていて
一見変哲のない建物なのだが、彼というフィルターを通すと世界は一変したことが解る。
この通りだって、まるで変わっていないじゃないか。L’Escalier d’Auvers(オーヴェルの階段)
この絵画の世界こそが、彼にとっての現実(リアリティー)であって、それほどまでに
ゴッホが現実世界に傷ついて、心を病んでいて、その痛みが美に昇華されているのだ。
L’eglise d’Auvers(オーヴェルの教会)は、彼にとってはどのような存在だったのか
牧師の家に生まれ、自らも牧師を目指しながらドロップアウトし、画家になったゴッホ
彼がイーゼルを立てた場所に立ちながら僕は思う。ゴッホは教会から平安を感じることが
出来なかった。むしろ、彼は教会を通して恐れや哀しみ、生の葛藤を書き残している。
1890年7月、この村の外れで彼はピストルの銃弾を自らの胸に撃ち込んだが、死にきれず
この下宿の階段を、血をしたたせながら登り、三階にある自分の部屋に辿り着いた。
ベッドの上で二日間もだえ苦しみ、弟のテオに看取られながら、息を引き取った。
この下宿部屋は今も空き室のまま、彼の死後、誰にも貸されたことがないという。
最愛の兄を見送った後、半年後に亡くなったという弟のテオと、兄のゴッホ
二人の墓は、村の外れの墓地にひっそりと並んでいました。
今日という日は、これだけでは終わらない。村を後にして、パリのマレ地区を目指した。
パリの名店、ショールーム・ロメオで、我がミラノ賛美教会のメンバーである若いご夫妻が
COINONIA(コイノニア)というブランドを立ち上げ、新作を発表しているの駆けつけました。
うーん、なんて質の高い仕事!二人の頑張りを知っているので、是非パリでもロンドンでも
評価されて欲しいと願い、祈りました。
夜はANTONY市のS家からお招きを受け、夕食へ。ハンナはあーちゃんのそばに
日々痛みと闘いながら、自立歩行のリハビリに励んでいるあーちゃんを、ハンナは
励ましてあげたいに違いありません。
とても長い一日(そして、あまりにも長いブログ)でしたが、充足した日々を与えられています。
七年に一度取るべきと言われる、サバティカルはとても重要で、これからの七年間について
視差を与えられつつあります。ゴッホ先輩からは、ひとつの大切なメッセージを受け取りました。
10年前の今日
←今日もそこにいてくださってありがとう。
ハンナは愛情いっぱい注がれている分人にも愛情を与えられることを知っているんだよね。成長している。ほんとそう、、励まして上げられる。。
そして、体が思うように動かない時も神様が絶えず寄り添ってくださる。少しでも良くなりますように!
ゴッホの絵、彼が過ごした場所を見せてくれてありがと。
上げたり下げたりしながら眺めていました。
行く先で立ち止まる場所に。。心を静めて見つめるようになること。燃え尽きないでホリディは必要なのでとるようにお願いいたします。ハイ。
La Mairie d’Auvers(オーヴェルの村役場)の手前にある
チェーンに感動しました。やっぱりヨーロッパは、古いものに
敬意を払い、大切に守ってゆく文化が根付いているのですね。
2枚目の写真&絵は、現代の旅人であるuttieさんが、
120年前のこの村の住人になった瞬間ですね。
>Rumiko
ハンナは、弱さを覚えている人にもとても敏感で
優しいです。犬は不思議な感性を持っているんですね。
>ニーハオ
時間を超えて、ゴッホと少し対話が出来たような
不思議な時間でした。
教会から平安を感じることはなかった、、、。
う、、、ん。ずしっと重い言葉です。
ハンナちゃん、そうだよね、励ましたいよね。