パリに来て早くも一週間が過ぎた。
「マルセイユという港町では、僕に不足しているビタミンを補ってくれる野菜ソムリエがいる。」
という夢で目覚めた。マルセイユには行ったこともないが、野菜が不足しているのだろうか。
今日は牧師館で、様々な人々をお迎えして過ごした。
定例の「祈り会」に来られた人々とは「祈りとは何か。」という学びをした。
その後、入れ替わりで来られた若者三人とも、聖書を開きながら、
聖書の言う「救い」とは何かを学びながら、お話をすることが出来た。
旅も良いのだが、やはり人と会って語り合う時間が好きだ。
車にも地下鉄もにも乗らずに、基本的に牧師館で過ごすことが出来た一日
ブルターニュで生牡蠣を調子に乗って食べ過ぎたせいなのか、胃腸の調子が良くなく
夕食はお粥、Yさんが差し入れてくださったキンピラや納豆、明太子が美味しかったです。
10年前の今日
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ロワール渓谷 アンボワーズ
ロワール川を見渡す岬に堂々と建てられているアンボワーズ城(Chateau d’Amboise)
城からはアンボワーズの町とロワール川が見渡せますが、風が冷たすぎる!
城内の「会議の間」にある暖炉には、薪がくべられていてパチパチと赤い炎を放っていました。
束の間ですが、暖を取ることができてホッとしました。
城内にある「サン・ユベール礼拝堂」、ここにはレオナルド・ダ・ヴィンチの墓がある。
この美しい礼拝堂に、ダ・ヴィンチは埋葬されているのかと感慨深く思ったのですが
実際には彼の墓は暴かれてしまい、遺骨の行方は分からないのだそうだ。
アンボワーズを後にして、パリに向かってロワーズ川沿いに北上していくと、やがて
対岸の丘の上にショーモン城(Chateaudu de Chaumont sur Loire)が見えました。
ロワール渓谷は、もうちょっと気温が穏やかになってから訪れてみたいです。
風が強すぎ、冷たすぎて、すべての丘が「嵐が丘」のように見えてしまいます。
今日は夕方からパリ市内の中華レストランで、台湾人のschengさんオーガナイズの
ミーティングがもたれるので、強風にハンドルを取られながらパリを目指しました。
10年前の今日
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フランス ロワール地方 ロシュ
ロワール地方のロシュ(Loches)という町に来ています。
着いたのが夕刻だったからか、それとも風が冷たすぎるせいなのか、町には誰もいなくて
自分の靴音を聞きながら、中世の時に紛れ込んだような錯覚を覚えました。
フランスは地方が変われば建築様式や、通りの表情に表れる文化がすっかり変わってしまう。
パリのモンマルトルやモンパルナスに集まり、ボヘミアン的な生活をしていた画家たちが
地方を旅することで、母国への郷愁に駆られたり、画風が一変してしまう魔力が、少しだけ
わかるような気がしました。
ロシュ城の門は固く閉じられていて、中に入ることはできなかったけれど
城は下から見上げるのが良いのだと思います。(負け惜しみ)
10年前の今日
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パリの日曜日
パリの日曜日は快晴、しかし気温は5度以下で、街を歩く人は誰もが冬支度
パリ・プロテスタント日本語キリスト教会でメッセージを取り次ぐため、バスチーユへ
メトロの改札を抜けて、地上へ上がると、いつもとなんか違う光景、と思ったら
バイクの集団が延々と長蛇になってデモ行進をしていました。どんなメッセージだろう。
日曜日のパリの街では、こんな風によく、なんらかのデモ隊に出くわすことがあります。
パリの礼拝では、久しぶりの懐かしい顔や、初めての方との出会いもあり感謝でした。
礼拝後、Sファミリーと、ロンドンのJunkoさん、ミラノからのTaiさん達とベトナム料理屋へ
充足したパリ日曜日を過ごすことができました。
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ブルターニュ地方 レンヌ ディナン
ブルターニュ地方の玄関口と言われるレンヌ(Rennes)という街に昨夜から滞在していました。
朝、この街を去る前にサン・ピエール大聖堂を訪れました。
内部は、ギリシャ神殿のような様式を取り入れながらも、洗練されたネオ・クラシック様式です。
フランスの建築は(美術も含めて)ギリシャやイタリアのオリジナルを美味く融合させて、独自の
表現に昇華させることが本当に上手だと感じます。
美大生時代に教授達からは、もし欧州に留学するならばグラフィック・デザインは英国か
オランダへ、プロダクト・デザインを学びたければ北欧へ、立体造形や美術のオリジナルを
学びたければイタリアへ、現代美術の世界に身を投じたければドイツへ、そして表現全般を
身につけたければフランスへ行けと言われたことを思い出しました。
その後、ディナン(Dinan)という、中世の面影を色濃く残した港町を訪れました。
15世紀の木骨組の家が、時をとめたまま建ち並んでいて、忘れがたい景色となりました。
小高い丘の上にある、城壁に囲まれたこの町の石畳の坂道を下っていくと
静かな港に辿り着きます。この街に何日も滞在して、スケッチをしたいなと考えました。
亡き父は、同世代の絵描きの多くがそうであるように、フランスに強い憧憬を抱いていました。
ノルマンディーの草原に野生の馬を観たときも、この港に立ったときも、父に見せたかったな
とおもいました。
「もし父が、この旅に同行していたら。」と、あらゆる場面で想像してしまいました。
少年のように目を輝かせて、スケッチブックを片手に歩いている父の幻影を幾度も見ました。
10年前の今日
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ブルターニュの海岸線
午前中に、再びモン・サン・ミッシェルへ足を運んだ。
昨日は夕刻の光で観たが、朝の光だとまた印象が違う。
修道院の礼拝堂、ゴシック様式の太い柱が緑色に苔むしている。
その色合いと、降り注ぐ光の調和が美しい。
修道士たちの食堂、食事中の会話は禁止されていたそうで、食器とスプーンが
ふれあう音だけが、この空間には静寂の中で響き合ったのでしょうね。
モン・サン・ミッシェルを後にして、海岸線に沿ってノルマンディーからブルターニュへ
潮がひいた海岸は、潮干狩りを楽しむ子供たちを見かけました。
カンカル(Cancale)という、カキの名産地として知られる小さな港町につくと、
たくさんのカキの養殖場や、路上でカキを販売している漁師さんに出会います。
生牡蠣が六個で3ユーロ(400円くらい)で、おやつとして頂きました。
本当に新鮮で、海の香りが口の中に広がるような美味さでした。
日が沈む前に、サン・マロ(St-Malo)という城壁の港町に移動すると、海上に浮かんで
いるはずの17世紀の要塞まで、干潮の時間だったため歩いて渡ることができました。
海側から、街を眺めるというのも不思議な気分です。ブルターニュは至る所にケルト文化の
名残が残っていて、かつて旅したスコットランドの海岸線や島の印象と重なります。
許されるならば、いつまでもこの英国海峡にそった海岸線を旅しつづけたくなる
不思議な郷愁にかられる地方です。フランスという国の懐の深さを感じました。
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モン・サン・ミッシェル
パリより数百キロ北上し、ノルマンディー地方のモン・サン・ミッシェルに夕刻辿り着きました。
自然と完全に調和しながら、荘厳な佇まいをみせる奇跡の修道院の造形美に、唯々感動
この一帯は潮の干満の差が激しいことでも知られるそうで、人々が修道院へ向かうために
歩いていた灰色の砂地も、夜に再び訪れると海面に覆われていました。
そのため、修道院を訪れた、かつての巡礼者たちの多くが命を落としたそうで、
当時の修道士たちにとって、ここでの暮らしとはどんなだったろうかと思いを巡らせました。
10年前の今日
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14番目の月
日曜日の夜、一日家で留守番をしていた犬娘をつれて月の光に照らされた公園を歩く。
今日で2月も終わり、一年ももう、六分の一が終わってしまうのだ。
2003年に宣教師としてミラノに来て、早くも七年目の安息年を迎えている。
「この年はしっかりと休み、充電し、次の七年へのビジョンを持つように。」と何人かの
方からアドバイスを頂いたけれど「休息」を取るには、強い意志が必要ですね。
見上げると、まん丸なお月様、満月は明日、荒井由実(ユーミン)の歌の歌詞にある
「次の夜から欠ける満月より14番目の月が一番好き」というフレーズを思い出しました。
10年前の今日
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バルセロナの土曜日
昨日からバルセロナ入りしていますが、いつも限られた滞在日程の中で充実した
時間が与えられています。昨夜はOさんのお宅で、バイブル・スタディの時をもちました。
土曜日の午後、会堂で礼拝を捧げた後、数人でバルセロナ市内のタイ料理屋さんへ
ゆったりと家族連れで過ごす人々でお店は賑わっていました。その後、Iさんの車で
ジローナ空港へ向かい、ミラノへの帰途につきました。
10年前の今日
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春の兆し
ん?春を感じます。犬のハンナ先生も瞑想しつつ、陽の光を受け取っています。
タンポポも咲き始めました。
スミレも!しばらくはまた天気が崩れたり、寒さが戻ったりもあるだろうけれど、
確実な春の足取りを感じることは、冬が重い欧州においては格別な嬉しさがあります。
ハンナはハリネズミの冬眠穴を、のぞき込んで春の到来を告げていました。(迷惑)
10年前の今日
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