日本のテレビニュースで、原発の避難指示圏内からの退避を未だ拒んでいる老人が
いる事が報道されていた。「大切な犬を置いてはいけないから。」というのが理由。
それはそうだろう。飼っている人には家族同然だ。
日本には放置虐待を禁ずる動物愛護法があるのに、何故国が退避を命じながらも、
動物に対するケアが行われないのかだろう。
それほどまで、行政は手いっぱいという現実があるのかもしれない。
自分には何が出来るのか、いつも変化する状況を掴みながら考えよう。
ミラノ賛美教会のイム牧師は、三週間ほど韓国に一時帰国していたが、
先週ミラノに戻って来て、昨日教会で久しぶりにお会いした。
ソウルの教会で日本の震災支援のアピールをして下さって、
日本円で20万円ほどの支援金を携え、僕に託して下さった。
報道で目にする実業家たちの支援額には及ばないが、
とても尊いお金だと思い、本当に嬉しかった。
あなたの手に善を行なう力があるとき、求める者に、それを拒むな。
あなたに財産があるとき、あなたの隣人に向かい、「去って、また来なさい。
あす、あげよう。」と言うな。(旧約聖書 箴言3:27~28)
10年前の今日
←今日もそこにいてくださってありがとう。
ピザ喰う人々
陽が長く、夕方の空気が心地よい季節になりました。
日曜日の礼拝の後、旅行でいらしたAKさんを囲んで皆でピザ屋さんへ
誰もがイタリアに来たばかりの時は「このサイズ、ひとり分なの?」と驚くのですが
いつのまにか、一皿のピザをペロリと完食するようになってしまいます。
10年前の今日
←今日もそこにいてくださってありがとう。
少年イエスの壁画
4月9日土曜日にこの街で行われる、東日本大震災復興支援コンサートの練習を
サポートするために、ピアチェンツアにやってきました。
すでに街のあちこちにポスターが貼られ、素敵なチラシも完成していました。
今週の日曜日に決定したのに、皆行動が早い。チームワークと実行力が凄い。
練習を開始する前に、皆で熱い祈りを捧げました。
歌う人だけではなく、彼らのために食事を用意する人、車の送迎をする人
たくさんの人が参加し、一つになって準備をします。
大聖堂の片隅に、少年時代のイエス・キリストを描いたフレスコ画をみつけた。
巡礼の道すがら、両親とはぐれたと思われた少年イエス、心配して探し当てた
マリアとヨセフに、イエス・キリストはこう語ったのだ。
「どうしてわたしをお捜しになったのですか。わたしが必ず自分の父の家にいることを、
ご存じなかったのですか。」(ルカによる福音書2章42節)
私たちにとって、心配という感情が全く無駄なものであること
神は探し当てるものではなく、はじめから共におられたといことにきづくべきこと
光に照らされた壁の絵が、そのようなメッセージを僕に語っていました。
11年前の今日
←今日もそこにいてくださってありがとう。
蛇のように賢く、鳩のように素直
「蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい。」(マタイの福音書10章16節)
僕たちは長い間、巨大なフェイクを見せられているのだろうか。
本当の事を言っているのは誰?
ただ疑り深いだけではいけない。
ただイノセントなだけでもいけない。
蛇のように賢く、鳩のように素直であれとキリストは語った。
11年前の今日
←今日もそこにいてくださってありがとう。
ビチェンツァへ
ビチェンツァ(Vicenza)へ、バレリーナのYさんを訪ねる。
明日からはベルギーへツアーだという、忙しい時だったみたいだけれど
最近の状況をシェアしあって、共に祈り会う時をもちました。
11年前の今日
←今日もそこにいてくださってありがとう。
ちいさないのち
朝はピアチェンツァの教会での礼拝
この小さな教会のメンバー達が、この町とミラノとスイスで
日本の震災被災地を支援するためのコンサートをすることを決断してくれました。
彼らの愛と、決断力、団結力、行動力に圧倒され、感動し、感謝しました。
どうぞミラノとその近郊にお住まいの方、家族、友人、知人をお誘いあわせのうえ
是非いらして下さい。
ミラノでの礼拝の中で、小さな命に特別な祝福を授ける祈りをしました。
日本での胸に迫るニュースを目にし続けている中で、生まれたばかりの新しい命に
手を置いて祈ることができる。そのような自分に与えられた役割にも感謝しました。
この瞬間のために駆けつけたファミリーたちと、礼拝後に記念撮影
ひとりの命は、たくさんの人の愛に見守られ、祝福されて成長していきます。
10年前の今日
←今日もそこにいてくださってありがとう。
いつまでも残るもの
3.11以降、僕の意識にも変化が生じている。
あまりにも多くの物質に囲まれすぎている自分に気がつく。
ペンケースに、使わないペンまで入りすぎている。クローゼットに着ない服まで掛けられている。
全てはいつか失われてしまうものだ。
生活をシンプルにして、永遠に失われないもののために生きたい。
いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。
第一コリント13章13節
一昨年の今日
←今日もそこにいてくださってありがとう。
届けたい。
日曜日のミラノ賛美教会では礼拝の後、多くの方が献金を日本のために捧げて下った。
これからも継続的に支援をアピールしていきたい。
必要とされているところに有効に届けたい。
被災者のために会堂を開いて物資を取り次いでいる教会や、
故郷が被災しボランティアを希望している神学生などにも届けたい。
一昨年の今日
←今日もそこにいてくださってありがとう。
夕べの祈り
夕刻に公園へ、西陽が樹木に長い影を与えている。
ハンナは地面に体をこすりつけ、踊るようにして春を感じている。
羨ましい。自分も服を脱ぎ捨てて、隣で同じようにしたいと思うが
通報されるといやなのでやめておく。
震災の津波から9日ぶりに救出された80歳のお婆さんと16歳の孫のニュースを見た。
倒壊家屋の下での夜は零下の日もあったはず。
何よりも生きる力となったのは「一人でなかった事」と、お互いを生き延びさせたいという
愛ではなかったかと考えた。他の生存者もまだいるかもしれない。発見されるよう祈る。
10年前の今日
←今日もそこにいてくださってありがとう。
災いの中の希望
震災から一週間が経過し、日曜日を迎えました。
朝はピアチェンツア、午後はミラノと二つの街でメッセージを伝えます。
通訳者のタイさんが、しっかりと心を一つにして、会衆に言葉を翻訳し届けてくれます。
誰もがこの日、こころから「ことば」を求めていました。
「災いの中の希望」と題して、詩編46:1-3から聖書の言葉を取り次ぎました。
神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。
それゆえ、われらは恐れない。たとい、地は変わり山々が海のまなかに移ろうとも。
たとい、その水が立ち騒ぎ、あわだっても、その水かさが増して山々が揺れ動いても。
今日ここに集われた一人一人が、互いの慰めであり、キリストの心をもって
それぞれの場所へ「世の光」として出ていくよう召されています。
ですからわたしたちは、決して希望を失いません。
10年前の今日
←今日もそこにいてくださってありがとう。