日本へ

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ミラノ・リナーテ空港からシャルルドゴール経由のエール・フランス機で日本へ
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何度フライトを経験しても、パスポートコントロールとセキュリティチェックを待つ
人の列に並ぶのが好きになりませんが、無事通過して機内に滑り込んで眠りに落ちれば
愛する母国日本に辿り着きます。
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オスロの土曜日

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目覚めると、オスロは快晴でした。
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ホテルの目の前には、オスロを拠点に、ニューヨークにも事務所を構える注目のユニットSNOHETTA (スノヘッタ)が2008年に設計したオペラ座があります。
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イタリアから調達したという、白亜の大理石が床として海から立ち上がり
そのまま天井までの傾斜となるダイナミックな建築です。
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世界で唯一、誰でも自由に天井を歩けるように解放されているオペラ座です。
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屋上から眺めるオスロの港、空中を散歩しているかのようです。
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躓いて転んだら、そのまま海までポチャンとはまって、さあ大変という感じです。
きっと、日本の建築法だと認可されないんじゃないだろうか。
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建築物そのものが、水辺に漂着した流氷のようにも見えます。
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オスロは再開発が進んでいるようで、今日の天気のように【光と影】を感じます。
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夕方からもたれた集会、皆が心をこめて備えてくださっていました。
僕も全力投球することが出来ました。オスロの皆さんに心から感謝
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ノルウェー・オスロ テロの傷跡

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2011年7月22日に痛ましいテロがおきたオスロに、数年ぶりに訪れました。

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四度目のオスロ訪問になりますが、こんなにも悲しみにくれた街をみたことがありません。

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事件から50日経過したのですが、まるで昨日の事のような傷口の前に立つようでした。

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「わたしたちの ちいさな くに」と、モニュメントの石には書かれていました。

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旅立っていった青年がキリストの胸に、抱かれていました。

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残された者たちは、突然逝ってしまった若い人々に、メッセージカードを送ります。

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僕が七年前にオスロにやってきたのは、一人の大切な女性が突然天国へ行ってしまったので
さよならをしにきたのが、きっかけでした。

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そしてその女性の死を通して、洗礼を受けた青年の結婚式の司式を、間もなく
執り行おうとしています。

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生と死、悲しみと喜び、それはいつもコインの裏と表のように、ひとつになって
僕の心の中にあります。

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みことばの力 エマオの晩餐

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雨の降る日曜日、坂野 慧吉牧師をブレラ美術館にお連れしました。
そこで、私たちは一前の絵の前にくぎ付けになり、しばらく立ち尽くしていました。
カラバッジオの【エマオの晩餐】Cena in Emmaus (Caravaggio Milano)
この絵は、まさに午後坂野牧師が礼拝で取り次ぐ聖書の箇所を描いたものでした。
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坂野牧師は、午後の礼拝ではルカ24章25~32節から
復活したキリストがエルサレム近郊のエマオの町で、二人の弟子の前に姿を現した場面から
メッセージを取次がれました。
二人の巡礼者はキリストの弟子であったが、エルサレムからエマオの町へ向う途中
復活したキリストと共に歩いたにもかかわらず、キリストのことが解らなかった。
二人はキリストを夕食に招待したとき。キリストはパンを手に取り、祝福を与え、
それを裂いて、彼らに渡したとき、二人ははじめて、男がキリストだと気づく。
「道々お話しになっている間も、聖書を説明してくださった間も、私たちの心は
うちに燃えていたではないか。」(ルカ24章32節)
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今の時代を生きる私達に、本当に必要な説教で、礼拝の中でともにパンを裂き
葡萄酒を分かち合う聖餐式も、深く味わい深い時となりました。
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ジェノバ リヴィエラ海岸

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昨夜に引き続き、ジェノバ在住のHさんが時間を取り分けてくださり、リヴィエラの海岸にそった
お散歩コースをエスコートしてくださりました。
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リグーリア州は九月の入っても、太陽が降り注ぎ、まだまだ海水浴シーズンです。
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透明度の高い、エメラルドグリーンの海をみていたら、水着を持ってこなかったことを
心底後悔しました。
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岩場からダイブを楽しむ人も結構みかけました。
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断崖に立つ古いホテルを改装したトラットリアのテラスで大海原を見下ろしながら
しばし、皆でランチタイムをもち、旧交をあたためたのち、ミラノへと向かいました。
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ジェノバ 海洋都市国家の面影

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昨夜日本からミラノに到着された坂野 慧吉牧師と共に、リグーリア州の ジェノバへ
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港側から旧市街へ入り、少し怪しげな裏通りを通り過ぎると小さな広場にでます。
そこには、赤と緑のストライプが印象的なサン・ピエトロ教会が建っていました。
地元の人には「お店の上の教会」と呼ばれているそうで、確かにこの教会は
何軒ものお店の上に建てられています。
聖なる神の教会と世俗的の店が同居した理由は16世紀にさかのぼるのだとか。
14世紀に火事で焼失した教会をこの地に再建しようという話が持ち上がっさい、
教会側にはそのお金がなく、資金提供を申し出たのが、ここで商売をしていた
お店の人たちだったと言われています。
教会は資金を提供してくれた返礼として、お店がそのまま下で営業を続けることを許可し、
世にも珍しい教会と店舗複合型の建物となったそうで「商人の街・ジェノバ」らしい教会です。
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サン・ピエトロ教会のクーポラは見事なレリーフ、聖書の物語が刻まれています。
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ジェノバの旧市街は、教会や貴族の宮殿と共存する、庶民の暮らしとのコントラストが
中世自治都市の栄華をと衰退を今も伝えてきていて、とても興味深い街です。
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サンタンブロジオ聖堂には、驚くべきことにルーベンスの祭壇画がありました。
ルーベンスが、この地で描いたと推測される初期作『キリストの割礼』です。
このテーマは、キリストを描いたものとしては大変珍しく、卑俗的だという批判から
19世紀以降の絵画ではほとんど見られないものです。
ところで、教会でルーベンスの祭壇画を見上げていると、自分がフランダースの犬の
ネロ少年になった気がするのは僕だけでしょうか。
「パトラッシュ、ご覧、美しい絵だね。僕もう、なんだか眠いや。(天使が降りてくる。)」
現実には僕の横には雑種犬のハンナでしたが・・・
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夕暮れの時刻に、ジェノバ近郊のボリアスコ海岸まで足を伸ばしました。
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今回のジェノバ訪問の目的は、この街で医療研究者として暮らすHさんを坂野牧師と共に
訪問すること。
太陽が海に沈んでから、海岸沿いの食堂でH参とも再会し、楽しい時間を
共に過ごすことが出来ました。
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フィレンツェ 眺めの良い広場

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昨夜のコンサートから一夜あけ、ピアニストの緑さんと、フィレンツェを去る前に
一緒にカフェをする時間をもちました。
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彼女がエスコートしてくださったのは、共和国広場(Piazza della Repubblica)の
正面にあるデパートのリナシェンテ、その屋上にあるカフェでした。
フィレンツェを取り囲んでいるなだらかな丘と、テラコッタの色をした大聖堂のクーポラが
とても美しく見える特等席で、しばしゆったりとした会話の時間を共有しました。
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フィレンツェ クーポラのある町

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ミラノから四時間ほど車を走らせて、夕刻にフィレンツェに着いた。
フィレンツェらしい路地裏を歩いていると、すでに大聖堂のクーポラが顔を覗かせている。
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ベッキオ橋まで歩いて、アルノ川に沈む夕日を見る。
こうして、いつまでも時を止めているような町
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フィレンツェはビステッカ・アッラ・フィオレンティーナと呼ばれるTボーンステーキが名物
生後12ヶ月以下のキアーナ牛が赤みを残したまま炭火で焼かれ、塩を胡椒だけで頂く
シンプルな料理だけれど、この町でしか出せない味があるのが不思議です。
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今回のフィレンツェ訪問の目的は、この夜にバルジェロ美術館で開催された
ピアノソロの野外コンサートを聴くこと
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演奏者は都立芸術高校の後輩、横山緑さん、情熱的で美しい演奏でした。
素敵な夜をありがとう。
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帰り道、静まりかえった深夜の広場に、大聖堂が佇んでいました。
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コモ湖畔での結婚式

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北イタリア湖水地方のヴィラ・デステ(Villa d’Este)で結婚式の司式を取次ぎました。
お二人の人生の大切な瞬間に、このような役割を頂けることは光栄であるとともに
いつも緊張します。
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結婚の誓約に立ち会い、証人となって下さったご家族や友人たちとともに、
お二人の人生の祝福を祈りました。
いつも、セレモニーの光り輝く一コマ一コマを切り取って下さるフォトグラファーの
仁木岳彦さん、今回もグッドジョブを有難う。(今日の写真も、彼の撮影です。)
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スイス モンテ・サン・サルヴァトーレ

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スイスのルガーノ湖畔に、「パラディーゾ」(イタリア語で「天国」)という街があります。
この街には、モンテ・サン・サルヴァトーレ(救い主山)へと向かうケーブルカーがあります。
吹く風が気持ちよく、ルガーノ湖とキアッソの国境の向こうにはミラノが見えます。
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天国から、救い主山への旅に、kanakoさんも道連れとなってもらいました。
ハンナは、道中はしゃぎすぎて、山頂展望台についたときはお疲れでした。
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山を下りてからは、湖畔でチーズフォンデュの鍋をつつきました。
ミラノからの半日ショートトリップですが、楽しい時間となりました。
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