母の日だった。
ふたりの母親に、色違いの花を買って届けた。
20000513
一日部屋で過ごし、部屋の整理をする。
コビはやたら食欲旺盛で餌の催促ばかりする。
季節のせいかな。
年々デブ猫になっているような気がする。
段ボールに、文庫本やコミックを詰めて大手の古本チェーン店へ売りに行く。
全部で450円
そのお金で、帰りに吉野屋で牛丼を食べた。
並のみそ汁付きで450円也
ビデオテープも思い切って捨ててしまおう。
今まで、つい好きな映画をダビングしてしまう癖があったのだ。
だけど、滅多に見る時間もないし観たくなれば借りに行けばよい。
ラベルのないビデオをデッキに挿入して中身を一本一本確かめる。
「祝 uttie先生」と画用紙を持った女の子がモニターに現れる。
今年に入って自ら逝ってしまったI美だった。
3年前に僕が結婚したときに神津島から送られてきたビデオレター
彼女が、首からチンチラをさげてボン・ジョヴィを熱唱している。
スケッチブックにメッセージを掲げている。
「うぇー結婚するだな。ちぇー狙ってたって-ばやい」
なつかしい島のことば。
ビデオを最後まで見ることは出来なかったけれど感傷的になるよりも
ビデオの存在にほっとする気持ちが勝った。
ビデオの中にはいつも彼女の存在がある。
死者は永遠に年をとらない。
これからもずっと二十歳のままだ。
20000512
助走をいつもより長くとって歯を食いしばりながら、地面を蹴ってジャンプしたら
飛躍しすぎて着地点を見失った。
いっそ、前のめりに突っ伏して派手にくずれおちるのも一考かも知れない。
僕が無様な姿をさらしてたたきつけられる日を心待ちにしていた観衆の嘲笑が
聞こえてきそうだけれど、駆け寄って、手をさしのべてくれる友人もきっと何人かはいるさ。
20000511
教壇を降りて2ヶ月になる。
一度講壇から離れた落語家は,勘が鈍ったりしないのだろうか。
ステージを降りたミュージシャンはどうだろう?
再び教壇に戻ったとき,ブランクを取り戻すことが出来るだろうか。
そんなことを,ふと考えたり。
ここ最近,各メディアを賑わした高校生の事件は
彼らを覆う闇のほんの一部が表出しているに過ぎない。
僕たちは,垂れ流されるニュースから氷山のほんの一角を目にしているに過ぎないんだ。
少年事件に対しての論評を耳にするとき一元的で,ステレオタイプな解釈と傍観者的な
スタンスに憤りを覚えることもある。
本当に知りたい情報は,「その闇の正体」と「闇の中を歩くときには
どんな風に明かりを灯せばよいのか」その二つだけだ。
聞き飽きた言葉を駆使した教育論を展開する前にどうやったら闇の中で光が見つかるのか
教えてほしい。
たとえば今,彼らの前に立って1分間ホームルームで語るとしたら
どんな話ができるだろう。僕は、あまりよい言葉を知らないんだ。
人は種を蒔いて生きているんだよ。
よい種も,悪い種も。
「天に向かって唾を吐く」という昔の諺があるけれど
実際には、もっともっと時間を経てから
自分に返ってくることの方が多いと思うよ。
でも,確実に返ってくる。
毒麦の種を蒔けば毒麦の穂を束ねて収穫しなければいけない。
たとえ涙とともに蒔いたとしても美しい花の種を蒔けば
その花に囲まれて喜び、踊る時がくる。
今、僕が言えるのはそれだけ。
20000510
久しぶりに会ったKさんからデルフィニウムの鉢を貰った。
大切に抱えて持ってきてくれたのに、家まで送っていって車を降りるときに
彼女かデルフィニウムの先端を折ってしまった。
自分が贈ってくれた花なのに別れ際「ごめんなさい ごめんなさい」と何度も繰り返す。
「ほんと大丈夫、気にすることないよ」そう言ったけれど、彼女はきっとこの後
ちょっと落ち込むのかも知れない。
大きなデルフィニウムの鉢はキッチンの風景を一変させた。
折れた先端だってグラスにさせばテーブルの素敵な彩り
20000509
The 5th Moon
こんな月の日には、シードルの小瓶を片手に「夜明け山」に登りたい。
夜の海は凪いで濃紺の鏡のようだ。
兄島の瀬戸すら小川のせせらぎみたいに潮が流れていく
潮騒すら息を潜めてまるで耳元の囁き
優しい月を浮かべた空は深いインディゴ
5月の優しい夜風がはこんでくる潮の匂いを肺の奥まで吸い込む。
こんな日には遠く離れた「愛し足りない人」を思い浮かべて眠りたい。
いまではすっかり手に届かない僕の島
20000508
電車の中ではいつも、人の手をぼんやりと見てしまう。
とても長く爪を伸ばした女が隣の席に座った。
ポケットボードを取りだしてメールを打っている。
せせこまし小さなキーボードをべたべたと指を寝かせながら叩いている。
長く伸ばした爪がだらしなくボードを這いつく回る
その様子を見ていたらなんだか不快になってしまった。
隅っこのほうに押し込めておいた記憶が、甦ってくる。
随分昔に、悪魔の手を握ったことがある。
それは暖かく、優しい感触をしていた。
その手が、僕の手をとり、まっすぐに見える白い道を、導かれるまま一緒に歩いた。
死の淵へつづく、緩やかな坂道の記憶
20000507
原美術館へ行く。[ Untitled ]と題された(というのも変だ、無題なのだから)企画展示
久しぶりにポルケの作品などが観られた。
辰野登恵子の作品はやはり素敵。
かつては「エステティックなだけ」とか批評家から批判されていましたが、
やはり絵画は美的で肉体的じゃなきゃ。と最近の僕は思っている。
庭のカフェは良い天気で、賑わっていた。
小指をピンと立ててお茶をするカップル率が何故かいつも高いぞ。原美術館。
その後、青山界隈ぶーらぶら。
青山3丁目交差点にできたイタリアの食器屋さんは楽しい。
ステンレスとプラスチック素材のコンビが良いです。揃えたい。
やっと外にお出かけした連休最後の日。
20000506
朝目覚めると体は、憂鬱なトンネルを抜け出していた。
体温を計ると平熱。
カレンダーを見ると休日は残りあと2日だった。
今日こそはと起き出し、段ボールのまま放り出していた買ったままのシェルフを組み立てたり。
午後は、Hiwaが奥さんと一緒にやって来てお茶のひととき。
奥さんお手製のケーキが美味
コビは、始終Hiwa’s wifeの膝の上にべったりだった。
おまえを、「媚」と名付けて正解だったよ。
20000505
熱にうなされながらみる夢は目覚めたあとと、どちらが現実であるのか、
認識するまで時間を要する。
そもそも、何故目覚めたのか?
「はげしい、喉の渇きのせいなのだ」
と、気がつくのにもしばらく時間がかかる。
昨日、診療所で処方された計6錠の抗生物質と頓服薬。
ヨーグルト共に飲み込んでトンネルの出口をただゆっくりと目指す。
あの時代も熱病だったのだとふと思い返した。
その頃に立ち上げた学生カンパニーは、あっという間に急成長を遂げた。
自分の敬愛するルネサンスの作家達の作品の模写を頒布することが出来たら素敵だろう
そんな思いから始めた仕事だった。
「ルネサンスのフレスコ画を何処にでも再現します」
そのふれこみは、瞬く間に日本中の金をもてあました経営者達の耳に届いた。
壁画を施工する業者が何処にもまだない時代だったのだ。
時はバブルで毎日、新しいビルやレストランが出来ていた。
店の壁面や、企業の応接室、ホテルのスイートルーム
何処も一目で「金がかかっている」ことがわかるような絵が描かれることを望んでいた。
床材や、柱に大理石が施されるのがとても流行った。
大理石の張れないエレベーターの中などに大理石と見間違うような
塗装を施したら話題になった。
「石目塗装」という商標をとり至る所を「大理石風」にした。
ある時、輸入家具の老舗商社の会長室に招かれた。
アール・デコのコレクションをしきりに自慢して見せたが、ひどい代物だった。
応接室の内装は、ドーリア式とイオニア式の柱が混在していて、西洋美術史の
パロディーのようだった。
仕事のために、画集を開いてプレゼンをするとミケランジェロの天地創造の絵を見て
「男達が祖チンだね」と、一言だけ言葉を放った。
いつの間にか、仕事の現場には「コーディネーター」と名乗る人間が出入りするようになった。
時々、BMWのカブリオレに乗ってきて「調子はどうですか?」と訊ねる。
浅黒く日焼けして、セッチマで磨き上げた白い歯で笑い、缶コーヒーをおいて去ってゆく。
仕事を終えると、いつも「コーディネート料」という金が差し引かれていた。
北九州のテーマパークからステージを大理石風に塗装して欲しいという依頼を受けた。
24時間車を走らせ製鉄所の町にたどり着く。
「スペースワールド」と名付けられたテーマパークに突貫で石目塗装を施す。
完成間際にオーナーがやってきて「やっぱり金色が良いな」と言った。
ラメの大きめな金がいい。
クライアントが望むとおりに何でもやった。その都度、初めて見るような金額が
口座に振り込まれていった。
そんな熱病の宴で、僕は奇妙な踊りを披露するような毎日からふと目が覚めてしまった。
何故目覚めたのか?
気がつくといつしか、渇いていたのだ。