熱にうなされながらみる夢は目覚めたあとと、どちらが現実であるのか、
認識するまで時間を要する。
そもそも、何故目覚めたのか?
「はげしい、喉の渇きのせいなのだ」
と、気がつくのにもしばらく時間がかかる。
昨日、診療所で処方された計6錠の抗生物質と頓服薬。
ヨーグルト共に飲み込んでトンネルの出口をただゆっくりと目指す。
あの時代も熱病だったのだとふと思い返した。
その頃に立ち上げた学生カンパニーは、あっという間に急成長を遂げた。
自分の敬愛するルネサンスの作家達の作品の模写を頒布することが出来たら素敵だろう
そんな思いから始めた仕事だった。
「ルネサンスのフレスコ画を何処にでも再現します」
そのふれこみは、瞬く間に日本中の金をもてあました経営者達の耳に届いた。
壁画を施工する業者が何処にもまだない時代だったのだ。
時はバブルで毎日、新しいビルやレストランが出来ていた。
店の壁面や、企業の応接室、ホテルのスイートルーム
何処も一目で「金がかかっている」ことがわかるような絵が描かれることを望んでいた。
床材や、柱に大理石が施されるのがとても流行った。
大理石の張れないエレベーターの中などに大理石と見間違うような
塗装を施したら話題になった。
「石目塗装」という商標をとり至る所を「大理石風」にした。
ある時、輸入家具の老舗商社の会長室に招かれた。
アール・デコのコレクションをしきりに自慢して見せたが、ひどい代物だった。
応接室の内装は、ドーリア式とイオニア式の柱が混在していて、西洋美術史の
パロディーのようだった。
仕事のために、画集を開いてプレゼンをするとミケランジェロの天地創造の絵を見て
「男達が祖チンだね」と、一言だけ言葉を放った。
いつの間にか、仕事の現場には「コーディネーター」と名乗る人間が出入りするようになった。
時々、BMWのカブリオレに乗ってきて「調子はどうですか?」と訊ねる。
浅黒く日焼けして、セッチマで磨き上げた白い歯で笑い、缶コーヒーをおいて去ってゆく。
仕事を終えると、いつも「コーディネート料」という金が差し引かれていた。
北九州のテーマパークからステージを大理石風に塗装して欲しいという依頼を受けた。
24時間車を走らせ製鉄所の町にたどり着く。
「スペースワールド」と名付けられたテーマパークに突貫で石目塗装を施す。
完成間際にオーナーがやってきて「やっぱり金色が良いな」と言った。
ラメの大きめな金がいい。
クライアントが望むとおりに何でもやった。その都度、初めて見るような金額が
口座に振り込まれていった。
そんな熱病の宴で、僕は奇妙な踊りを披露するような毎日からふと目が覚めてしまった。
何故目覚めたのか?
気がつくといつしか、渇いていたのだ。