ペットを飼っている人の必需品、コロペタ(粘着ロール紙)でカーペットを掃除していると
そこに「ハニャー」と猫のコビが滑り込んできます。そうです。直にコロペタを望んでいるのです。
背中から首筋にかけて、コロコロされると「ふはー」と恍惚状態に。
ついには、仰向けになって、母にお腹をくまなくローラーされているコビ
おかげて、抜け毛の季節であるこの時期も、床にあまり猫毛が落ちていません。
←今日もそこにいてくださってありがとう。
雨音
雨の日曜日、深夜に車を走らせていると、頭上の高架線をモノレールが
光の矢のように走り抜けていくのが見えた。
フロントグラスを叩きつける雨音にまじった、スーっという車両のモーター音が、あの夜
規則的な人工呼吸器の吸音の合間から聞こえた、父の寝息の音を思い出させた。
←今日もそこにいてくださってありがとう。
公園の秘密基地
今日も父の部屋にこもって、整理作業をしていたのだけれど、ちょとだけ実家の周辺を
甥っ子のシオンと一緒に散歩したり、野良猫に挨拶回りをしたりした。
僕が五歳の頃には、この実家の公団住宅の「中央公園」は世界の中心みたいに
広大な世界に思えたけれど、こんなに小さな公園だったけかと思ったり。
子供の頃に友達と一緒によくまたがっていたベンチのオブジェ、
色はすっかり?げ落ちているけれど、形は30年前の記憶のまま
ところで、甥っ子が僕を散歩に誘い出した理由は、彼がこの「中央公園」の片隅に
密に設置していたという「秘密基地」を僕に見せるためだった。
しかし、それはもう誰かにきれいさっぱりと片づけられて、跡形もなかったようだ。
「あれー、何でだろう。」と彼は落胆していたけれど、それでこそ、秘密基地というものです。
←今日もそこにいてくださってありがとう。
高円寺の夜
お茶の水で、とあるミーティングの後、AO木さんご夫妻と高円寺で会食
ガード下の商店街近くの美味しいコリアン料理屋でご馳走になりました。
週末の高円寺は、ソウルか上海の市場に足を踏み入れたような
アジアンパワーを感じる、人間臭い街で、どこかホッとします。
←今日もそこにいてくださってありがとう。
父というハードディスク
コツコツと、父の書斎の片づけをしています。
彼が著名な小説家だったりしたら、このまま保存されて
文学資料館にでもなるのだろうが、我が家ではそうもいかない。
父が生前買い集めた膨大な本を、何回にも分けて古本屋(ブックオフ)などに
もっていくわけなのだけれど、そのつど本の査定をするバイトのお兄さんに
「全部で、40円になりますねー、あとこちらの本は、お値段つきません。」とか
言われるのが何とも切ない。どついたろか。
結局さ、父さんよ。自分のために何かを必死に買い集めたって、死んだらそれらはゴミになる。
人のために時間やお金を使って愛したときだけ、それは愛し、愛された記憶として残るんだよ。
本屋さんから電話がかかってきて、「内村邦男様ご注文のイタリア語講座が届いています。」
とか言われたりする。その人はもう亡くなりました。と説明する。そんなにイタリア語を学んで
どうするつもりだったのか。もっと早く、もう一度イタリアに呼んであげれば良かったのか。
いや、そういう後悔は愚かな感傷なので、もうやめよう。
父の遺品の中に買ってきたまま開封すらしていない真新しい500GBのハードディスクがあった。
何を保存するつもりだったのかな。
父というハードディスクにメモリーされた記憶はもう、誰も取り出すことはできない。
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東京国際フォーラム 「スウェル・シーズン」
今回の日本帰国滞在の目的は、父の死後に関する諸々の手続きのためだ。
一人の人が生涯を閉じると、残されたものには膨大なやるべきことがある。
特に父の場合は「死の備え」などをした形跡は微塵もなく、
死なないかのように生きてきた男の足跡がただ残っている。
父名義の口座を、父のショルダーバッグから見つけ出し、毎月
どのような引き落としがあるのかをチェックする。
インターネットのプロバイダー、携帯電話会社、クレジットカード、
JAFの会員登録、美術家連盟の登録、そういったものを引き落とし名義から
探し出し、解除する手続きをしていく。
死亡届けのコピーや、父の除籍謄本(宮崎から送ってもらわなければならない。)
なども必要になることがある。電話で済む場合もあるし、郵送の手続きや押印、
あるいはこちらの身分証明が必要なものなど様々だ。
おまけに、父親名義の銀行口座は基本的に凍結される。
何をするにも、相続人の協議書、押印、印鑑証明書が必要になる。
これらはほんの手始めだ。僕にとっても初めての経験なので
ゆっくりやっていこうと思う。(ゆっくりでいいのかは分らないけど。)
思考停止になって、何もできなくなるよりは良いだろう。
そんなことを考えていたら、イラストレーターの高橋キンタローさんが
アイルランドの素敵なアーチストのコンサートに招待してくれた。
東京国際フォーラムでの、「スウェル・シーズン」コンサート
ナイーブだけど情熱にあふれた、素晴らしい歌声と演奏でした。
ちょっとだけ、目の前の現実から逃れて、豊かな音の中に身を委ねることができ
久しぶりにキンタローさんにも会えた、嬉しい夜でした。
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TOKYO JAPAN 20090519
ミラノから12時間のフライトののち、成田空港に無事に着きました。
飛行機では映画を三本、「20世紀少年」の一章と二章(以前から興味があった。)、
そして「いま会いに行きます。」(以前も観ましたが、良い映画です。)を観ました。
少し睡眠もとれたので、快適なフライトとなりました。(背中とお尻は痛くなりますが)
入国の際はインフルエンザの検疫がさぞ厳しかろうという予想に反して、とてもあっさり。
機内検疫も廃止したそうで、関心は水際対策ではなく、感染後への対策にシフトしているのですね。
実家では猫のコビのお出迎え、父の遺影の前がお気に入りの場所だそうです。
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ミラノに戻りました。そして・・・
午前のフライトでパリを発ち、お昼過ぎに我がホームタウン、ミラノに戻ってきました。
犬ムスメ、ハンナがお約束ポーズでお出迎え「お帰りなさいませ、ご主人さま。」
と、思いきやご主人よ、何故ふたたび旅支度?という視線ビーム
今度はいづこへ?お帰りはいつで?というハンナの視線を後に、再び行って来まーす。
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Paris 20090517
パリでの日曜日、礼拝において全身全霊で聖書からのメッセージを取り次がせていただきました。
礼拝後、間もなく独身ではなくなってしまう予定のKohbearくんと、Fiat500に乗り込んで
パリの街へとクルージング、夕食をともにしました。
パリのカフェは、日が長くなった休日の夜を楽しむ人々で、華やいでいます。
ノートルダム寺院、日が暮れてから照らし出される後姿が、僕は好きです。
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Paris – La Nuit des Musees
パリの牧師館に午後から、数名の若い人々が訪ねてきてくれました。
ピアノを勉強しに来ているM君は二十歳(はたち)だそうで、若いなぁ。
さて、今夜のパリは 年に一度のLa Nuit des Musees(美術館の夜)という日で
パリ市内の殆どの美術館、博物館が深夜零時くらいまで開いていて、しかも無料
やはり、パリは粋なことをします。
僕はDさんと一緒に、深夜のアンバリッド (廃兵院)に足を運びました。
金色のドームの下に、安置されているのは、ナポレオンの棺です。
フランス人にとって、今もナポレオンは英雄なのだと思わされる場所です。
日付が変わり、雨も降り出してきました。セーヌ川沿いを走る72番バスで牧師館に戻りました。
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