練馬にある、ちひろ美術館へ行く。
今まで、何度となくこの美術館を通り過ぎていたが足を踏み入れようとはしなかった。
何故だかよくわからないけれど自分の表現とはなんの関わりもない作家のような気がして
そっぽを向いていたのだ。
何故なんだろう。
美術館は、とても変わった作りで不思議な順路を辿りながら
ひとつひとつの作品を見てまわった。
線や色から、作家の愛情に満ちた視線がにじみ出ている。
それは、たんなるファンタジーの世界ではなく現実の世界へ向けた
強く具体的なメッセージを秘めていて受け止めようとすると、涙ぐまずにいられなかった。
幼い頃、絵本で良く知っていた作家なのにはじめて出会う作家のような気がした。
受けての自分が、年を重ねてしまったからだろう。
作家のアトリエが再現された部屋を見る。
どこからか、移設されて再現されたとは思えない。
あまりにも、主の不在だけが際だつアトリエの空気だ。
そこで初めて気づいた。
この美術館は、作家の自宅を改造してつくられたもので。
目の前にある、アトリエだけが当時のままだったのだ。
20000603
4日間の滞在予定でライアンが帰国、一年ぶりの再会
二人で仕事場を訊ねたり、雲水に蕎麦を食べに行ったり。
夜はhiwa夫妻も合流して回転寿司久しぶりに一日彼と遊んだ。
新宿の京王プラザホテルまで送り届け、また、しばしのお別れ。
20000602
週末、仕事を定時で終えた。
部屋を共にする研究者から「これから神保町に文献を漁りに行くけど、どう?」
と誘われたが、遠慮した。
考えることは山ほどあるけれど次の月曜日までは頭を空っぽにしたい。
心許せる友人と夕飯でも食べようかと思い携帯電話のメモリーを覗く。
ふと「突然電話するのもどんなものかな?」そんな思いが勝ってしまい、
携帯を上着の内ポケットに戻した。
今日はまっすぐ家路につくことにしよう。
たしか、冷凍庫には、凍らせたピラフがあったはず。
20000531
穴から這い上がると良く晴れた朝だった。
以前より少し注意深く歩くようになった。
でも、僕は僕のまま。
穴があるのがわかっても気づかないふりをして歩いてゆこう。
所詮人が掘った穴
人を恐れて歩くなんて馬鹿げたことさ。
20000530
魑魅魍魎とした森を、意気揚々と歩いていたら穴に落ちた。
こんなところに、こんな穴が口を開けていたなんて知らなかったよ。
迂闊だった。
あいたた
なんだか不意のことだったから頭を強く打ったみたい。
今日は、この穴の底で空を見上げたまま眠ることにしよう。
明日になれば、きっと痛みもひいてこんな穴から
楽々這い上がれるさ。
20000529
Kへ。
今日観たインサイダーは良かったね。
僕は、なんの前評判もプロローグも知らないで観たから、たいそうたまげた。
見終わった後、色々語りたかったけれどお茶も出来ずに、帰途につかなくちゃ
いけないのが残念でした。
学生時代は、ガツンと来る映画をレイトショーで観た後は一晩語り合ったものだけれど、
週のはじめともなると、睡眠不足を気にしてそうも出来ないのが、勤め人の哀しい性です。
この映画も、一晩語れる映画だよね。2時間45分という時間を感じさせない大作だった。
ラッセル・クロウ演じるジェフリー・ワイガンドに色んな思いを投影してしまった。
あらゆるものを奪われたとしても決して手放してはいけないものは
何なのだろうかと考えました。
かつて開いたことのある聖書の中にある「真実を語る口」
という言葉が想い出されたよ。
また、こんど、この映画に関しては語りを入れましょう。
おやすみなさい。
20000528
日差しはとても強く、空気は湿度を含み
まるで夏のようなにおいがした。
そんな日だった。
20000527
コビは今日も皆様からのFAXをお待ちしております。
夕方から松明堂へタブラトゥーラのコンサートを聴きに行く。
つのださんのトークに笑わせられながら演奏に魅せられる。
うーん、まさにエンターティナー集団。
エザキ君にも惚れ直しました。
竹中直人に「中世の吟遊詩人の生まれ変わり」と言わしめただけのことはありますな。
はー、楽しかった。
20000526
中間テスト企画!
高校生のための1分間ホームルーム
中間テストが目前ですね。
通勤電車のなかでも,暗記用マーカーをいっぱい引っ張って
教科書を眺めている高校生をたくさん目にします。
テスト勉強のスタイルって僕が高校生の頃とちっとも変わってないんだね。
ということは,先生たちが作るテスト問題のスタイルが全然変わってないってことなんだろうな。
まぁ,テスト問題って,作る側からすると「教科書のここの部分を覚えたか?」って聞いて
記号で答えさせるのが 採点する点でも一番楽なんだよね。
多分、君たちでも作れます(笑)テスト問題
ところで、「勉強」ていうことばの意味を知っていますか?
語源は中国語で「無理をすること」と「無理があること」を意味しています。
日本でも,明治時代まではそれ以上の意味はなくて主に商人が値引きをするときに
使う言葉として普及たそうです。
いまでもその意味で使う人はいるよね。
まぁ、その後「無理をして知識を身に付ける」ということ美徳とされ普及し、
「学習」と同義語になったんでしょう。
本来「学習」っていうのは,生活のなかで、人や自然との関わりあいを指した言葉です。
いわゆる,RPGの「経験値」ってやつと同じです。
笑ったり、ムカついたり、失敗したり、感動したりしながら、いろんなことを習得していく事を
意味しているのでもともとの「勉強」という言葉の意味とは何の関係もないんだよね。
ところで「知識を身に付ける」っていうのは人生のなかで、
どれくらいの価値があるんだろうか?
僕は昔から,図書館に行ったりするとその膨大な知識の倉庫に圧倒されることがよくあります。
「はぁ、一生かかってもこの図書館の本をすべてを読み切ることは出来ないな。」そう思うのです。
研究などを仕事にすると「教育基本法や、学校教育法、明治からの学習指導要領の
移り変わり、文部省の答申や教育心理学者の学説の要旨などが、すべて頭に入っていれば
よいのに」と、思うことがよくあります。
実際その知識を身に付けることに、一生を捧げる人もいます。
だけど,そんな膨大な知識も、テキストデータに直すとMOディスク一枚に収まってしまうのです。
きっと数年後には,それぐらいのデータ量は携帯電話のオプションメモリーにして
持ち歩くことが出来るでしょう。
必要なときにだけ、検索して取り出せるようになるでしょう。
そうすると、一生をかけて知識を身に付けるというのは結構虚しいことではないだろうか?
じゃあ、人は一生をかけて何を求めて行けばいいんだろうか?
教師って、一体何を君たちに提供する存在なんだろうか?
などと、考えることが最近多いのです。
・・・あら?
もしかしてテスト勉強する気,
失せた?
20000525
仕事を定時で終え、同僚の誘いで
東京ドーム前にオープンしたビヤガーデンへ行く。
メーカー直営の「工場直送生ビール」をうたい文句にして宣伝していた店だ。
中央線とかの車内広告では、でかいジョッキを持ったカップルがビールの泡髭をつけた
写真なんだけれど実際には、紙コップで出てた。
むー、思い描いていたイメージと違うぞ。パッケージは結構大事なのになぁ。
疲れがたまっていたせいか酔いが早くまわってしまった。
東京ドームって、ビッグエッグというより、東京の中心に現れた巨大なお墓みたいだな。
そんなことを考えながら沖縄の義祖父が今も眠る、サトウキビ畑の亀甲墓を想い出していた。