中間テスト企画!
高校生のための1分間ホームルーム
中間テストが目前ですね。
通勤電車のなかでも,暗記用マーカーをいっぱい引っ張って
教科書を眺めている高校生をたくさん目にします。
テスト勉強のスタイルって僕が高校生の頃とちっとも変わってないんだね。
ということは,先生たちが作るテスト問題のスタイルが全然変わってないってことなんだろうな。
まぁ,テスト問題って,作る側からすると「教科書のここの部分を覚えたか?」って聞いて
記号で答えさせるのが 採点する点でも一番楽なんだよね。
多分、君たちでも作れます(笑)テスト問題
ところで、「勉強」ていうことばの意味を知っていますか?
語源は中国語で「無理をすること」と「無理があること」を意味しています。
日本でも,明治時代まではそれ以上の意味はなくて主に商人が値引きをするときに
使う言葉として普及たそうです。
いまでもその意味で使う人はいるよね。
まぁ、その後「無理をして知識を身に付ける」ということ美徳とされ普及し、
「学習」と同義語になったんでしょう。
本来「学習」っていうのは,生活のなかで、人や自然との関わりあいを指した言葉です。
いわゆる,RPGの「経験値」ってやつと同じです。
笑ったり、ムカついたり、失敗したり、感動したりしながら、いろんなことを習得していく事を
意味しているのでもともとの「勉強」という言葉の意味とは何の関係もないんだよね。
ところで「知識を身に付ける」っていうのは人生のなかで、
どれくらいの価値があるんだろうか?
僕は昔から,図書館に行ったりするとその膨大な知識の倉庫に圧倒されることがよくあります。
「はぁ、一生かかってもこの図書館の本をすべてを読み切ることは出来ないな。」そう思うのです。
研究などを仕事にすると「教育基本法や、学校教育法、明治からの学習指導要領の
移り変わり、文部省の答申や教育心理学者の学説の要旨などが、すべて頭に入っていれば
よいのに」と、思うことがよくあります。
実際その知識を身に付けることに、一生を捧げる人もいます。
だけど,そんな膨大な知識も、テキストデータに直すとMOディスク一枚に収まってしまうのです。
きっと数年後には,それぐらいのデータ量は携帯電話のオプションメモリーにして
持ち歩くことが出来るでしょう。
必要なときにだけ、検索して取り出せるようになるでしょう。
そうすると、一生をかけて知識を身に付けるというのは結構虚しいことではないだろうか?
じゃあ、人は一生をかけて何を求めて行けばいいんだろうか?
教師って、一体何を君たちに提供する存在なんだろうか?
などと、考えることが最近多いのです。
・・・あら?
もしかしてテスト勉強する気,
失せた?