時間というものは~ せわしいものですね~(C)横山剣
もう3月ですか。
まだイギリスにいるんですか?というメイルを頂いたりしますが
とっくにミラノに帰っています(笑)
ロンドンには二日いただけなのですが、自分にとって情報が多かったので
整理していたら、月が変わっていました。
でも、最後に書きそびれてしまったY宣教師のことについてかいておこう。
でも、ケンブリッジにはY宣教師は3人もいるではないか。
ですので、一部写真を載せておきましょう。
Y宣教師は、僕の中学時代からの旧友です。
13歳の時に「彼が通っているので」と言う理由で僕もその教会に通うようになり
一年後、14歳のクリスマスに一緒に洗礼を受けたのでした。
その後、彼は大学進学にともない青森へ
そして地元のテレビ局に就職、そしてお嫁さんも青森でみつけたのであります。
僕は、婚約式にも結婚式にも東京から車でかけつけたのでした。
その後、彼はその華やかな仕事をスパッと辞して
神学校に入学、3年間の学びをはじめます。
僕はその頃、小笠原や神津島など島を巡る美術教師でした。
そして、本土に戻ってきた頃、彼は岡山へ伝道者として赴任して行きました。
そんな風に、人生の節目節目でクロスしながら歩んできたのですが
彼の説教を教会で聞くたびに、彼が霊的な深みへと成長していることを垣間見てきました。
そんな彼と、今度は同じ欧州圏で宣教師として働くようになるとは人生は不思議です。
ケンブリッジで彼の家に泊めてもらい、久しぶりに時間を過ぎました。
話題は、これからの世界宣教の戦略について・・・ではなくて
小田和正の新譜が、とか 川村結花のアルバムが、とか
「今会いにゆきます。」のDVDを観て泣いたりとか、中学生の頃と同じ夜を過ごしたのでした。
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ハイドパーク
(*すべての写真はクリックで拡大)
青空の下、何処までも続くハイドパークを歩く
雲があっという間に生まれてくる。
めまぐるしく変わる空模様
公園の中には、大きな川も流れています。
馬のための道も整備されていて、王室の狩猟場であったことをしのばせます。
犬を散歩させている人も多くて、ハンナも連れてきてあげたかったと思いました。
六年前の今日
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晴れ、時々曇り、そして雹
イギリスはよく言われているように、本当に天気が良く変わる。
朝、晴れていたと思ったらみるみるあっという間に雲に覆われ
冷たい風とともに、雹が降ってきたり、そしてまた晴れたり・・・
まるで、最近の僕の心のようです。なんてね
(*すべての写真はクリックで拡大)
テート美術館で雨宿りをして、雨が上がった一瞬をねらって
足早に橋をわたって、地下鉄の駅へと急ぎました。
テート・モダンからセント・ポール教会へまっすぐと伸びる吊り橋
設計者のノーマン・フォスターは「優雅な剣・光の翼」をコンセプトにしていたそうです。
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リーダーの英語
日本のコスモピアという出版社から一冊の本が送られてきました。
「リーダーの英語」、著者の柴田真一さんが献本の手配をして下さっていたのです。
ロンドン在住の柴田真一さんとは、昨年の夏ノルウェイのオスロでお会いしました。
御自身が、クリスチャンとなった経緯を英語の短いセンテンスで
だけれでも情感をこめて、集まった人々に語って下さったことが印象的でした。
今回の訪英で、ロンドンの教会にて柴田さんとも再会することが出来
その日、夜遅くまでカフェでお話しすることも許され、嬉しかったです。
この本のおもしろさは、英語を学ぶだけではなく
自分が普段使っている日本語について再考させられたこと
こうしてBlogを書いているときでもそうですが
自分の感情を表現するときに、漢字がもつ表意性に依存しているんですよね。
アルファベットだけで構成される文字を使う欧米の人々はそうはいきません。
ですから、表情や、ボディランゲージ、アイコンタクト、声色といった要素を含む
スピーチやプレゼンといった「パブリック・スピーキング」において彼ら(欧米の人々)が
自分の考えを明確に相手に伝える力は何処にあるのか、分析する価値があります。
この本では、たとえばケネディ大統領が冷戦下の西ベルリンで、20万人の聴衆に
自由主義の大切さを訴えたスピーチやサッチャー首相のフォークランド紛争勃発の日の
スピーチなどが付属のCDに収録されています。
そして、その言葉が何故人を説得し、動かすことができたのか、
英文センテンスの特徴を分析していて興味深かったです。
英語の勉強という以前に、リーダーの資質や、言葉を大切にするとはどういうことなのか
考えさせられ、感銘を覚えた本でした。
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メティカフ宣教師のこと
(*19.Feb.2006 at Lonodon JCF)
今回の訪英で嬉しかったことに、ロンドンの教会での
メティカフ宣教師との再会があります。
昨年の夏、ドイツではじめてお会いしたのですが、僕はそれ以前に
彼の著書、 「闇に輝くともしびを継いで 」を読み、その宣教としての生涯にうたれたのでした。
スティーブン・メティカフ宣教師は、人生の約半分にあたる三十八年間を、
宣教師として日本で過ごしました。
来日は、戦後間もない一九五二年で、その六年前まで、
中国で民間抑留者として、日本軍の収容所に入れられていたそうです。
十八歳で終戦を迎え、解放された時の体重は、四十キロに満たなかったとのことでした。
憎んでも憎みきれないはずの日本へ、神の愛を伝えるためにやってきた
メティカフ宣教師の人生に何が起こったのか、関心をもたずにいられません。
メティカフさんは一九二七年、中国雲南省で生まれた。
父はイギリス人、母はオーストラリア人で、二人とも宣教師として、雲南省の山奥にある
少数民族の村で暮らしていました。
家庭では英語を話し、外ではその民族の言語を話すという生活だったが、
七歳になるとイギリス式の教育を受けるためイェンタイという街の寄宿学校に入っていたそうです。
しかし、一九四一年十二月八日、日本軍によるパールハーバー攻撃は
事態を決定的なものとし、翌一九四二年、メティカフさんが通っていた学校は、
生徒も教師もそっくりそのまま、日本軍の民間人収容所に入れられてしまいました。
十四歳の時だったそうです。
メティカフさんがいた収容所の日本兵は、
皆比較的おだやかな人たちだったということでした。
食べ盛りの年頃にもかかわらず常に飢餓状態だったり、
様々な苦労があったことはもちろんですが、彼自身が、
直接暴力を受けるようなことはなかったそうです。
しかし、日本兵の中国人に対する振る舞いは残虐なことこの上なく、
メティカフさん自身、首を切り落とされた死体、生きたまま両目をくりぬかれ、
リヤカーに乗せられて引き回されている中国人を目撃した体験をもっておられます。
こうした見るに耐えない光景を目にしているうちに、日本人に対する憤り、
憎しみは膨れあがっていったそうです。
ところで、メティカフさんがいた収容所には、あの有名な映画「炎のランナー」で
主人公として描かれた、陸上の元オリンピック選手のエリック・リデルという人がいたそうです。
彼もまた、宣教師として中国で暮らしているうちに戦争に巻き込まれ、
民間人抑留者として捕らえられていたのでした。
メティカフさんや友人たちは、リデルが収容所の中で開いていた
バイブルクラスに出席していました。
ある時、そのバイブルクラスで一つの議論が持ち上がったそうです。
それは、「自分の敵を愛しなさい」というイエスの教えは、
ただの理想かそれとも現実的な教えか、という議論でした。
少年たちの意見が「それは理想にちがいない。日本兵を愛することなどできるはずがない」
という結論に傾き始めた時、リデルが口を開きました。
「僕もそう思っていた。でも、イエスのそのことばには『迫害する者のために祈りなさい』
という続きがある。愛せなくても、祈ることならできるはずだ」。
そう教えるリデル自身、毎朝早く起きては日本のために祈っていたのだそうです。
敬愛するリデルの勧めに従って、メティカフさんは日本のために祈り始めました。
リデルはこう言っていたそうです。「憎む時、きみはきみ中心の人間になる。
祈る時、きみは神中心の人間になる」
ですが、日本と日本人のために祈っても、日本兵の振る舞いは変わらなかったそうです。
しかし、それを見ているメティカフさんの心の中には変化が生じていきました。
目に映ることは相変わらず受け入れがたい。
しかし同時に、(この人たちは、命の価値というものを知らないのだ)と
理解することができるようになりました。
この思いはやがて、宣教師となって日本へ行き、
神の愛を伝えたいという祈りに発展していきました。
メティカフさんは25歳になったときに、宣教師として日本へ派遣されました。
日本に彼を運んできた船には、朝鮮戦争に向かうイギリス兵もたくさん乗っていたそうです。
ある日曜日、一人の将校がやってきて、兵士たちに話をしてやってほしいと言われた。
十八歳から二十歳くらいの若い兵士たちに向かって、メティカフさんはこう語りかけました。
「あなた方は銃を持って平和をつくろうと韓国に向かっている。私は聖書を持って日本に向かっている。戦争は終わったが、日本にはまだ平和が訪れていないからだ。私は日本人に聖書を教えたいと思っている。イエス・キリストが平和の君であられるから」
この信念をもって、それからの三十八年間、メティカフさんはどんな苦労もいとわず、
日本各地をどんな田舎でも訪れて、イエスキリストのことを伝え続ましたけた。
「イエスは、『平和主義者は幸いです』とおっしゃったのではなく、『平和をつくる者は幸いです』とおっしゃったのです」と、メティカフさんは語ります。
そして「平和をつくる者」とは「祈ることによって神との平和をつくる者」だと語ります。
平和についての講演会を企画することにも、デモをすることにも意味はあるでしょう。
しかし、神との平和を求めず、その結果、身近な人との平和も得ることができないまま世界平和を論じたり、あるいはただ怒りに駆られてデモをしたところで、果たして本当に平和をつくることができるのでしょうか。
そのように、メティカフ宣教師は問いかけます。
「しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。
聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、
どうして聞くことができるでしょう。」ローマ 10:14
宣教師として生き、まもなく80歳になるメティカフ宣教師の話を
いつか、もっともっと聞きたいと思いました。
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Paddington – London –
ロンドン滞在時に2泊ほどしたホテルは静かな住宅街
paddington(パディントン)にありました。
朝起きて、窓を開けると出勤や通学途中の人々が
交差点を行き交う日常があって、自分は旅人に過ぎない。
近所の教会から、鐘の音が聞こえました。
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イギリスの食事
時間を前後しながら、イギリス滞在の記憶を整理しているのですが
食事はどれも美味しかったです。
って、そんなにたくさんのものを食べたわけではないのだけれど
生まれて初めて、パブでフィッシュ・アンド・チップスを食べました。
美味しいじゃないか、もちっとした白身魚にクリスピーな衣
ビネガーに塩、そしてタルタルソースがグー!(死語)
そしてランチタイムのビジネス街では、バーベキューの香りが・・・
その匂いに誘われてグリルで焼いたハンバーグのサンドイッチ
こちらも香ばしくて、ルッコラやタマネギとのからみも最高でした。
そして、もうひとつ忘れてはいけないのがこれ
友人のY宣教師がつくってくれた特製オムライス
昔からチャーハン道を極めつつあったのですが、イギリスに来て
さらに腕をあげたな。
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LONDON – 空中散歩 -
(*すべての写真はクリックで拡大)
ロンドンテムズ河に、ミレニアムプロジェクトによって出現した巨大観覧車
その名も”LODON EYE”英国航空が運営しているというのが面白い。
巨大な観覧車のキャビンは、ゆっくりと離陸、30分の空の旅です。
テムズ河のラインに沿ってつくられたグレイな街
街は地平線を浸食して、まだまだ肥大していっているようにみえます。
国会議事堂(ビッグ・ベン)を見下ろし
金融街のモダンなビル群を眺め、少しだけ東京を思い浮かべました。
知らない街を空から眺めてみるのは素敵です。お上りさんですからね。
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LONDON -Waterloo –
ロンドンの街をゆっくりと歩くのははじめて(足早に通り過ぎたことはある。)
Waterloo駅の雑踏で、ふとデジャビュのような感覚
この光景は見たことあるなと思ったのだ。あ、そうだ
多分1980年代によく観たPETSHOP BOYSのプロモーションビデオ
ボーカルのNeil Tennantがロングコートのポケットに手を突っ込んだまま
憂鬱そうにWest End Girlsをうたっていなかったけ?
などど、すっかりお上りさん気分でロンドンの街を眺めたのでした。
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ACTON BABY
タイトルに意味はなし、U2の名盤を想い出しただけです。
イギリスで宣教を開始して30年になるM牧師夫妻の牧師館へ招かれて
夕刻、ロンドン郊外の住宅街、ACTONへ
ご夫妻の手料理でもてなして頂き、貴重な体験談や
アドバイスを頂き、共に祈る時間をもつ素晴らしい夜になりました。
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