早朝のガリラヤ湖、舟を沖まで出してもらい、エンジンを切ってもらうと静寂に包まれた。
この湖が、とても好きだ。
イエスが、漁師であった普通の男たちに声をかけて、そして弟子としてトレーニングし愛しぬいた湖だからだろうか。
ここで生まれたわけではないのに、魂が自分の故郷に里帰りしているような気持になる。
イエスは、彼らをアカデミックに教育したわけではない。
ともに舟に乗り、時には漁をし、湖の嵐を経験しながら、寝食を三年半共にし、旅を続け、彼らにすべてを教えた。
男たちは、アカデミックな視点から見れば無学だったが、無知ではなかった。
イエスは彼らの、ダイアモンドの原石のような可能性を見抜いておられた。
僕もこの地で、もっと足を使って、時には沖に漕ぎ出し、イエスの心を深く理解し、練られたものとされたいと祈らされた湖でした。