中野のシオンの群教会で礼拝メッセージを取り次ぎました。
一球、一球、直球で丁寧に投げ込みましたが、どのようにキャッチされたでしょうか。
午後の礼拝に残った若者たちと、教会の玄関で記念撮影
この写真の中には神学生が四人もいます。さて、誰と誰でしょう。
フィンランドで一昨年出会った英国在住だったKさん
3年前にバルセロナに宣教師として派遣されていたUさん
そして、ミラノ帰りのAさん、そして今年四月から神学生になった
若手のホープ、K君など、教会の未来が楽しみです。
10年前の今日
←今日もそこにいてくださってありがとう。
父の墓前 - 我らの国籍は天に在り –
早いもので、父の死後、仏式の暦で言うところの三回忌を迎えた。
私の帰国に合わせ、家族、親族とで父の墓前で記念礼拝をとり行った。
父の墓標には「我らの国籍は天にあり」 と刻まれている。
その通りだ。花を墓標に手向けても、父はそこにいない。
彼は天国に引っ越している。
そこで再会する時が、僕に与えられている希望だ。
10年前の今日
←今日もそこにいてくださってありがとう。
股旅 日本へ
「人間のおとうさん、また旅にでるのね。」ハンナは、荷造りする僕を
カーテンの影から、涙目で見ていました。(結局、玄関に、見送りに来なかった。)
飛行機が離陸する前に、窓越しに観たリナーテ空港の夕焼け空
イタリアと、しばしのお別れ。
そして、沈まぬ太陽を追いかける日本行きの機内の中で、様々な思いが考査した。
3:11以降の日本は、僕の目にどういう風に映り、僕はどう受け止めるだろうか。
7年前の今日
←今日もそこにいてくださってありがとう。
洗礼式
今日は礼拝の中で、嬉しい洗礼式がありました。
会衆の前で明確に信仰を告白し、誓約を果たしたY君にバプテスマと祝福の祈りを捧げました。
霊的に新しい命を授かった彼に、教会の皆からは、お祝いの花束と賛美のプレゼント
そこにいたすべての人たちに、心からの喜びが湧きあがりました。ハレルヤー
6年前の今日
←今日もそこにいてくださってありがとう。
スイスの朝
昨夜遅い時間にフランスからスイスに戻って来て爆睡した。
目覚めると、ハンナが窓を開けて、清々しい朝の空気を吸い込んでいました。
おー、ハンちゃん、今日もいい天気だねー。(枕元から、頭を逆さにして見上げた景色)
そうでしょー、早くお外に行きましょうよー、と犬のムスメ(二本足で立つとスラリ系)
スイスは麦畑が豊かな穂をつけ始めていました。
I家のお庭で幸福な朝食、いつも真心のこもったおもてなしを受け、感謝いっぱいです。
5年前の今日
←今日もそこにいてくださってありがとう。
ストラスブールでのヘンデル・メサイア講座
フランス・ストラスブールのthe room of the BCAにて「ヘンデル メサイアから学ぶ聖書」
と題して、 第3部40番のアリア(ヨブ記 19:25)の歌詞を紐解き、お話しをさせて頂きました。
2008年の5月にスタートしたこの講座も(好評につき?)、今回で11回目となりました。
参加される皆さんが、いつも真剣で、講義の後に様々なレスポンスを下さるので楽しいです。
しかし、この美しい町に滞在するのはいつも数時間、再び国境を越え
ドイツのアウトバーンを爆走しながら、スイスを目指します。ああ、夕日が綺麗
4年前の今日
←今日もそこにいてくださってありがとう。
スイスへ
夕刻に国境を越え、スイスへ
今回もお世話になるIファミリーが暮らす、スイスOberbuchsiten(オーバーブクシュテン)村に
日が沈む頃に到着するなり、ハンナは喜んで牧草地を全力疾走していました。
静かな山村に、青い帳が下りる頃、一筋のひこうき雲と、バナナのような三日月が
そっと浮かんでいるのが見えました。
3年前の今日
←今日もそこにいてくださってありがとう。
退屈な午後 アンニュイな犬
人間の父親の忙しさの犠牲になり、公園散歩に行けぬまま昼下がりを迎えた犬のムスメ
桃井かおりのように、手をクロスさせて「ちょっとぉ、なんか、退屈ね~」と気だるい雰囲気
2年前の今日
←今日もそこにいてくださってありがとう。
確かな光
昨日、犬のムスメを夜しか公園に連れて行けなかったことを反省し
今日は陽の光を浴びながら、公園を歩きました。
イタリアにおいて、5月の光は宝物
冬の終わりを告げる、4月の微かな光とも、灼熱の夏の光とも違う
確かな光
1年前の今日
←今日もそこにいてくださってありがとう。
暗闇と正義
日中忙しかったので、仕事を一段落させた深夜に、ハンナと公園へ散歩に来た。
誰もいない、闇に包まれたその場所は、なんだか閉演した遊園地を想い出させる。
CNNでは、オバマがビン・ラディンの殺害は、世界にとっての大きな成功だと報道している。
コメンテーターが正義がなされたと繰り返し、興奮気味に伝えていた。
「正義」という言葉を使うと、法廷も通さずに、暗殺が容認されるのか。
キリスト教国であるはずだが「剣を取る者は剣で滅びる」というキリストの教えは
どう解釈されているのだろう?
「正義」ほど、恐ろしい武器はない。
11年前の今日
←今日もそこにいてくださってありがとう。