アンナの孤独

夕食を終えて、21:00だというのにまだ明るい
外の景色を眺めていたら電話が鳴った。
いつも午前中、犬の散歩で出会うアンナからだった。
「これから、そちらに行ってもいいかしら。」
「もちろんいいよ、ザンナ(犬)とベニート(旦那さん)は?」
と訊ねると「わたし一人で行くわ」とアンナは言った。
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そしてアンナは、我が家で30分ほど珈琲を飲みながら
昼間の公園では語らないような、自分の「こころ」ついて話してくれた。
「わたしは、人知を越えた大きな力は信じるけれど
神様ってよく解らない。でもこども達には信じるものを持って欲しい。」
「でも、人って死んだらどうなるのかしらね。
わたしは土葬はいやだわ。火葬にして欲しい。」
(僕は火葬と土葬と言う言葉を、この時辞書でひいて初めて知った)
「ザンナを飼う前に飼っていた犬がいてね、14年生きたのよ。
でも最後は老衰で歩けなくなって、注射を打ってね、安楽死をさせたのよ。」
時々涙ぐみながら、彼女は話しを続けた。
「だから、犬はもう飼いたくなくてね。娘が小犬だったザンナを
友達から貰ってきたときは怒ったわよ。でも、こうして世話をすると
愛してしまうわよね。ザンナより先に、私は死にたいの。
犬の死に立ち会ったりするのは、もういやなのよ。」
「家族は家事を全て主婦に押しつける。イタリアはそうなのよ。」
「家族とも離れて、一週間くらい静かなところへ旅をしたい。
携帯電話はもちろん、家においてね。」
「夫のベニートとは、愛し合ってなんかいないわよ。もう」
「あなた知っている?愛って、終わるものなのよ。」
一通り話しを終えると、「あなたの炒れる珈琲美味しいわよ!」
と言って、アンナは帰っていった。「また、明日の朝公園で」と挨拶して
ところで、アンナはどうしてそんな話しを
イタリア語の乏しい外国人にしたのだろうか。
むしろ、外国人の宣教師には気軽に話せるのか
それとも、誰にでも話すのか、それは解らないけれど
でも、誰もが生きているなかで持っている孤独について
言葉を選んで、共有しようとしていることがちょっと嬉しかった。
犬の散歩で出会う67歳の女性が、今までより
ちょっと近い存在になったように思えた。
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投稿者:uchimura_it|Comments (0)

コメント

  1. 玉ころがし より:

    ステキな関係ですね。話したくなる雰囲気を確かにもっていらしゃるuttieさんです。

  2. むろた より:

    私だったら 内心いじわるな気持ちになりそう
    先生はやさしいのう
    やさしい人に教えてもらってたんだな、と思ったら嬉しいです

  3. Carmen より:

    読ませていただきながら、相当昔にCS合宿で歌った歌を思い出していました。♪帰ろう、十字架のもとに。船が港に休むように、十字架に帰ろう♪
    人の心の波止場は、本人が気づいていようといまいと十字架のもとにあると思います。ふと疲れた自分を休めたくなったときに内村さんのもとをひとりで訪れようと思われるなんて、宣教師の本望ですね。
    私もそのうちの一人です。

  4. Rumiko より:

    話すことで心の疲れを癒すことができたアンナさん。
    だれでも、神経が疲れてくると普段人にはみせない部分をさらけだす。

  5. uttie より:

    >玉ころがし
    玉ころがしご夫妻が醸し出す
    平安も相当なものですぞ
    >むろた
    ぼくも、やさしくて、ちょっといじわるな
    芸校生と過ごした時間は、特別に大切です。
    >Carmen
    僕も全ての人は、同じ波止場を求めるように
    出来ているのだと思います。
    十字架に帰ろう 素敵な賛美歌ですね。
    >Rumiko
    疲れても、そのままで行ける場所が
    だれにでも備えられていると思います。

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