終戦記念日に思ったこと

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8月15日、バカンスで人々が街を出払ったミラノで、
静かに戦後六十一回目の終戦記念日を迎えました。
イタリアは「聖母マリア被昇天祭」とよばれる国民の休日で
この日ばかりは全てのお店がシャッターを下ろします。
イエス・キリストの母親のマリア は肉体のまま昇天したとされ
そのことを記念する日なのですが、これは民間伝承で、実際のところ
聖書にはそのような記述は何処にも残されていません。
お隣の国フランスでは戦勝記念日で(イギリスやアメリカでもそうでしょう。)
日本のお隣の国、韓国では(日本の植民地支配からの)独立解放記念日です。
8月15日の意味は、国境をこえるとその捉えられ方が変わります。
僕はインターネットのニュースで、日本の小泉首相が靖国神社に
終戦記念日を選んで参拝したことを知り、とてもショックを受けました。
日本ではどのように報道され、そして多くの人々は
このことをどのようにとらえているのでしょうか?
Yahooのアンケートでは70パーセントの日本人が「何の問題もない。」
と回答していたので、僕の捉え方は少数派に属するのでしょうね。
靖国神社は、戦時中天皇陛下のために死んでいった人々を英霊として祀り、
先の侵略戦争を企てたとされるA級戦犯も神として合祀されている神社です。
国の戦死者追悼施設ではなく、れっきとした一宗教法人です。
たとえが適切であるかどうか解りませんが、もし私の暮らす欧州で
ヒットラーやナチスの幹部達がが英霊(神)として祀られている
神殿があったと仮定して、そこをドイツの現首相が、終戦記念日を選んで
礼拝を捧げたとしたらどのように評価されるでしょうか?
戦争を体験した周辺の国々(もちろん本国も)の人々はどのような感情をもつのでしょうか?
これは「想像力」の問題とも言えると思うのです。
小泉首相のケースでいえば、国の予算で大規模な警備を備え公用車を使い、
内閣総理大臣と記帳した参拝は、私的行為であるはずはなく、日本国憲法の
政教分離原則に違反することは明らかでしょう。
僕自身、日本を出てイタリアで暮らして4年目を迎えようとしています。
それは単に西欧人が隣人となるだけではなく、自分自身が「アジア人」
であることを強く自覚させられる体験でした。
ミラノは人種のサラダボウルであり、アジアの人々は隣人となり
そしてお互いに願うのであれば友人になり、無理解であれば敵になります。
いつも犬の散歩で出会うフィリピン人のお婆さんは哀しい記憶をもっています。
戦時中日本軍がマニラに侵攻した際、抵抗したお婆さんのお父さんは
村の広場で、日本軍による見せしめとして公開処刑にあいました。
水道につながったホースを喉に押し込めて、水圧で処刑するのです。
父親の耳や眼窩、穴という穴から水が吹き出るという映像をいまだ記憶に残して
それでも、憎しみからは開放されて「赦したい」と心の中では強く願っているのです。
このような例は、書けばきりがないほどなのです。
彼らはけっして歴史をねつ造している訳ではありません。
恩師である韓国人牧師の体験、イギリス人宣教師が
少年時代、日本軍の捕虜として中国で受けた苦しみ
オランダ人のお婆さんが捕虜施設で受けた哀しみ
勝った国、負けた国にかかわらず、私の知らない「映像の記憶」が
そして「赦したいのに、赦せないと思う病」がたくさんの人々のこころに残っているのです。
小泉総理が「何故いけないのか解らない。」ということばが
愛する日本のリーダーがもつ「想像力」の実態だと思うと、
言葉で言い表せない「やるせない」気持ちになる。
そんな終戦記念日でした。
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投稿者:uchimura_it|Comments (0)

コメント

  1. moro より:

    外に出て感じること。多いですね。きっと…
    私は、終戦記念日に産まれ、いろんな意味で
    平和とは何か?を考えてきましたが、まだまだ、感じて理解できることの多さを知らないなぁ。と、気づき…
    もっともっと、視野を広げてみよう!と思いました。
    そして、今日も、明日も平和であることを願い、今日も明日も笑顔で頑張ろう。って思います。笑顔の連鎖で気持ちが少しでも和らげることができるように…
    それしか、できないから。世間知らずすぎるかな?

  2. Rumiko より:

    アジアの人やイギリス兵から日本軍が彼らにしたことを聞いて同胞がしたことに謝罪をしたことがあります。叔父さんが日本軍に殺されたけれども彼女は今の日本人を赦している。と言ってくれました。ある韓国人女性からは泣きながら日本がしたことを責められた事もありました。それからというもの、いくらクリスチャンで姉妹でも、、また責められるのではないかとおびえた経験もあります。
    でも、それは彼女の心の痛みだったのです。
    日本人は海外にきてからこういう同じ経験はあると聞いています。平和は今に生きる一人一人の生き方次第で次の次の世代にも影響があるのです。
    終戦記念日はありますでも、
    人の魂の呪いは消えていない、けれどその為に60年以上も苦しんできた人たちの魂に平安が癒し(赦し)が来る事を願ってやみません。

  3. uttie より:

    >moro
    そうかー、8月15日がお誕生日なのですね。
    感慨深いですね。
    笑顔の連鎖はとても大きな力だと思います!
    >Rumiko
    来る日曜日の礼拝説教でも、平和への思いを
    こめたい願っています。
    僕もすべての人の魂に平安が癒し(赦し)が来る事を願ってやみません。

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