19980512

 昨夜、夜10時前に自宅でまったりとしていたところ、携帯がなった。
O高校の小松氏からであった。小松氏は小笠原高校時代からの友人である。
すでに酔っぱらっており「うっちー、珍しい連中達と今いるんだ」と言って電話を変わるやいなや、
懐かしい黄色い声が聞こえた。
4年ぶりに聞く小笠原高校時代の生徒の長谷部だった。
これから八王子に出てこいとのこと。懐かしさを表しながらも、
明日の一限目からの授業が頭をよぎり、「こんな時間からは無理だよ」と、再会を断り電話を切った。
電話を切ってから、即自分の判断を後悔した。携帯に電話をかけ直し
「ちょっと顔出すだけだぞ」と念を押して、八王子の「シーマンズ」へ向かう。
雨だったけど、16号を結構とばした。少し気持ちがはやるのを感じた。
店に着けば懐かしい顔ぶれで、来て良かったと思う。
店の閉店1時まで、昔話や彼らにとっての父島のこと、
本土での仕事の話などを聞いたが、盛り上がったのは「J」についての話題だ。
Jは、僕が父島に赴任したときに3年生だった女子生徒で、
欧米系のクゥオーターで高校のボスだった。
野性的な感性の抜きんでた奴で、美術室から、湾に良い波が立つのを見ると絶叫し、
画材をほっぽりだしてスクーターにボディボードを引っかけて出ていってしまう。
そのくせ、自分の気分がのるときは、いつまでも美術室に残り、
「ウェザーステーションから見える空の色がでねえ!」とか言いながら油絵を描いた。
僕に「ラッセンの絵の良さを解らないのはおまえがサーファーじゃないからだ」とか言ってきたりした。
授業中でも、大きな声で「昨日寝た男がどうだったか」を話し、周りの男子生徒をも赤面させた。
父島が、僕の教職初体験だったが、その記念すべき第一回目の
授業はJのいる3年生の「選択美術」だった。
出席をとるのにも声が震え、無事自己紹介を終えたぼくに
「あんた、私らに何を教えに来たんだよ!」と生徒代表の第一声を浴びせたのがJだった。
「この仕事5年目になるけど、あれほどのカウンターパンチをくらったことは未だにない」
と彼らに告白すると皆笑った。皆大人の笑顔になっていた。22才だしな。
店を出てもすんなり解放されるはずはなく、結局3時までカラオケにつき合い、家
に戻ったのは朝4時だった。
今朝は、「もうだめだー」と思ったが、泥沼からはい上がるような気持ちで出勤した。
学年会議の時にはほとんど脳が機能しなっかった。
授業や明日の遠足のための学年集会も、乗り切った。

投稿者:uchimura_it|Comments (0)

コメントしてください

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です