昨夜、夜10時前に自宅でまったりとしていたところ、携帯がなった。
O高校の小松氏からであった。小松氏は小笠原高校時代からの友人である。
すでに酔っぱらっており「うっちー、珍しい連中達と今いるんだ」と言って電話を変わるやいなや、
懐かしい黄色い声が聞こえた。
4年ぶりに聞く小笠原高校時代の生徒の長谷部だった。
これから八王子に出てこいとのこと。懐かしさを表しながらも、
明日の一限目からの授業が頭をよぎり、「こんな時間からは無理だよ」と、再会を断り電話を切った。
電話を切ってから、即自分の判断を後悔した。携帯に電話をかけ直し
「ちょっと顔出すだけだぞ」と念を押して、八王子の「シーマンズ」へ向かう。
雨だったけど、16号を結構とばした。少し気持ちがはやるのを感じた。
店に着けば懐かしい顔ぶれで、来て良かったと思う。
店の閉店1時まで、昔話や彼らにとっての父島のこと、
本土での仕事の話などを聞いたが、盛り上がったのは「J」についての話題だ。
Jは、僕が父島に赴任したときに3年生だった女子生徒で、
欧米系のクゥオーターで高校のボスだった。
野性的な感性の抜きんでた奴で、美術室から、湾に良い波が立つのを見ると絶叫し、
画材をほっぽりだしてスクーターにボディボードを引っかけて出ていってしまう。
そのくせ、自分の気分がのるときは、いつまでも美術室に残り、
「ウェザーステーションから見える空の色がでねえ!」とか言いながら油絵を描いた。
僕に「ラッセンの絵の良さを解らないのはおまえがサーファーじゃないからだ」とか言ってきたりした。
授業中でも、大きな声で「昨日寝た男がどうだったか」を話し、周りの男子生徒をも赤面させた。
父島が、僕の教職初体験だったが、その記念すべき第一回目の
授業はJのいる3年生の「選択美術」だった。
出席をとるのにも声が震え、無事自己紹介を終えたぼくに
「あんた、私らに何を教えに来たんだよ!」と生徒代表の第一声を浴びせたのがJだった。
「この仕事5年目になるけど、あれほどのカウンターパンチをくらったことは未だにない」
と彼らに告白すると皆笑った。皆大人の笑顔になっていた。22才だしな。
店を出てもすんなり解放されるはずはなく、結局3時までカラオケにつき合い、家
に戻ったのは朝4時だった。
今朝は、「もうだめだー」と思ったが、泥沼からはい上がるような気持ちで出勤した。
学年会議の時にはほとんど脳が機能しなっかった。
授業や明日の遠足のための学年集会も、乗り切った。