ミラノは雪の土曜日です。
積もるのかな?
先週の土曜日にみたカラヴァッジオの絵画
忘れないように、メモをさらに残しておきます。
トマスの不信(L’Incredulita di San Tommaso)
手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。
信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」
ヨハネの福音書20:27
この聖書箇所「トマスの不信」を主題に挑戦した画家は多い。
だが、カラヴァッジオほど深い霊的解釈と
技術の面で秀逸な作家はいないのではないでしょうか?
聖書は、弟子達もキリストのよみがえりが信じられなかったことを記録している。
キリストの十二弟子のひとりトマスは、十字架の死から復活したイエスを前に
「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、
また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません。」
と言った。(ヨハネ20:25)
と書かれてある。
そして、トマスの手を取り、疑うトマスに
彼が信じられる方法で、御自身をあらわしたのだ。
証拠を検証した結果として信じられたトマスに対して
イエスには、哀しみがあったに違いない。
画家はその言葉に表されなかった感情を、見事に描き上げている。
わたしたちだって、愛する者から不信を受けるほど悲しいことはない。
「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」
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投票してくれる方、いつもありがとう。
二年前、私は、大学二年生で、イタリアの美術館巡りをしましたが、やはり、聖書の理解をもって、見とければと、この記事を見て悔やみます・・・
ほんとうに、キリスト教とともに生きているのですね。
たいへん関心をもって読ませていただきました。ミラノには、カラバッジオの「エマオの晩餐」の絵がありますよね。僕はあの絵がとても好きで、机に飾っていました。語るイエスはどこか疲れていて、レンブラントの絵のような輝きもなくて。カラヴァッジオ自身の投影でもあるんでしょうか?でもだからこそ妙に魅かれます。まったく素人の感想なので、見る人が見れば全く違うのかも知れません。このコーナーに登場するのを楽しみにしています。
>yu-ji
イタリア絵画は目で観る聖書ですからね。
知っているのと知らないのではホントに違いますね。またイタリアに来る機会があるとよいですね!
>oguken
コメント有り難うございます。
ogukenさんの声が聞こえてきそうです。
カラバッジオの魅力は、私も「人間」として
生きたイエスに対する深い理解だと思います。彼の作品に、もうしばらく目を向けていこうと思います。