食卓を囲んで

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昨夜はHさんの家でバイブルスタディ
6人ほどがあつまり、Hさんが創ってくれた
トマトソースのロールキャベツとクスクスを皆で頂いた。
昨夜はWORSHIP(礼拝)とは何か
聖書から学ぶ時間をもった。
ヨハネの福音書4:23-24を開くとこのように書かれている。
「しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。
今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。
神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」
神は形式化した儀式などを求めておられない。
いつでも、人の「こころ」そのものを求めている。
私たち人間同士も同じだ。
愛している人からは形式的な言葉や挨拶などほしくない。
「こころ」だけが欲しい。
「教会」と訳された原語ギリシャ語は「エクレシア」だ。
本来の意味は「祝宴の招待状を受け取った人々の集まり」で
教会とはパーティに呼ばれた人たちのグループ、礼拝は祝祭だった。
イスラエル2代目の王、ダビデはこの祝祭にはいつも最高の音楽隊を結成した。
自分も打楽器、すなわちビートに合わせて踊った。
その踊りは「その踊りを観て妻が軽蔑した。」と記されるほど
喜びに満ちた踊りだったようだ。
宗教改革直後、賛美が一般会衆に戻ってきた頃のドイツでは
日曜日の礼拝の時間は平均で8時間あったという。祝祭だったのだ。
イタリアでも、日曜日ごとに司祭であり偉大なる作曲家である
アントニオ・ビバルディは新曲を発表した。祝祭だったから。
その数は楽譜だけでも4000曲残っているという。
ビバルディって、日本では「四季」ぐらいしか有名ではないけれど。
現代ではどうだろうか?と皆で話し合った。
いつしか形式化にのまれていないだろうか?
神は、わたしたちの「霊とまこと」を求めておられる。
誰もが楽しみでしょうがない「祝祭」として
教会では日曜日ごとに会衆の礼拝が行われているだろうか。
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投稿者:uchimura_it|Comments (0)

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