仕事を兼ねて、ベネチアに4日間滞在していた。
初めて訪れたこの街にはとかく面食らうことが多かった。
近い将来、海に沈みゆくとも噂されるこの街には重厚な歴史と、
這い回り答えを探し続ける現代が鮮烈なコントラストを放っていて、眼球に痛みをおぼえた。
丹念に、ベネチア派の威光をひもといていく作業と、
今年で一世紀を迎える現代美術の国際展を検証する作業を
並行して行ったせいで、消化不良をおこしたのかも知れない。
ベネチアビエンナーレに関しては、すでに日本のメディアでも
様々な批評が氾濫しているのではないだろうか。
単純に、メディアアート一色に変遷を遂げたビエンナーレに驚愕した。
「絵画はもはや死に絶えた」とでも主張する気なのだろうか?
あるキュレイターが、「映像」という安易な言語に依存しすぎている。
そう、吐き捨ているように言っていた。
映像は果たして安易な言語か?反論もしたかったけれど
うまい言葉が見つからずに4日間が過ぎた。
今回のメインスポンサーは、テレコム・イタリアとマイクロソフトなどの
IT系企業で、液晶プロジェクターの見本市のような印象は確かに拭えない。
作品によっては、上映の頭に[ EPSON ]と言った具合に、スポンサードを
露骨に押し出す作品さえあった。
もっとも美術がスポンサードなしに自立していたことなどないのではないか。
イタリア美術史を紐解けば、それは明白なことだ。
朽ちないものと遷ろうものが隣り合わせする
儚いような美しさに「孤独」を意識させられた街だった。
もっともそれは単にひとりで連泊していた安宿が最上階の部屋で毎晩、
屋根の風見鶏がきしむノイズに悩まされ寝不足気味だったせいにすぎないのかもしれない。