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今年も海には行かないだろう。
物置の中に積まれたレギュレーターやインシュレーターも、きっとカビが
発生しているだろうしオーバーホールしなくては水中での使用に耐えないだろう。
ハウジングもグリスアップせずにほったらかしのままだ。
僕は、いまだに日の目を見ることがない写真家の撮った鯨の母子を思い浮かべた。
その写真家はいつも鯨を追って島にやって来ていた。
まっくろに日焼けし、歯が白くよく笑う頑丈な男だった。
春にその写真家と、人口僅か500人の母島へ渡った。
初めての母島は、あまりにも手つかずで独特の閉塞感のある島だった。
写真家は、島に着くとすぐにチャーターした漁船に乗り換え沖に出た。
僕は知り合いの母島小学校の教員から車を借りて、島をまわった。
正確に言うなら、南北を結ぶ一本の道しかないので、そこを往復した。
次に乳房山へ登った。
とっぷりとしたシダ類の緑の深さが歩き慣れた父島の比ではなかった。
日が暮れかけたので、すこし足早に山を下ることにした。
夕焼けが迫り、山の中腹からはオレンジ色に発熱する鏡のような凪の海面が見えた。
鯨がテールスラップをしている。
激しい水の柱が立ち上がっている。
そのそばに、小さな小舟の影が見えた。
それはとても小さな影だったけれど鯨に挑むようにしてシャッターを切り続ける
写真家の姿だとわかった。
写真家は、母島小学校の体育館で小さな写真展を開いていた。
その日の夜には、レクチャーを開き島の誰もがわかる優しい言葉を選んで
鯨の生態の話を、興味をそそるように話した。
すでに、水中写真家として名が売れていたが気さくで謙遜な男だった。
後に男は毎年春に母島を訪ねては鯨を追っているときいた。
最後のニュースを聞いたのは1年前の春だ。
写真家は船で待たせているマネージャーに「20年に一度のチャンスだよ」と言ったという。
鯨の群が、自ら船に近づいてきて逃げることはなかったという。
写真家は、もっぱらスキンダイブで撮影をしていたが、二頭の母子鯨が近づいてきたときに
珍しくボンベをしょって海に潜ったという。
そしていつまでたっても彼も、彼の愛したニコノスも
二度と浮上してこなかった。
僕は時々想像するんだ。
あんなに海の生命のすばらしさを教えてくれた彼が
「20年に一度だよ」といってシャッターをきった青い写真のことを。
いつか、誰かがそのニコノスを海底から拾いあげ現像するときが来るんじゃないかって。
その写真が、残されたものの心に届き僕らを解き放す時が来ることを今も信じているんだ。

1999年に母島沖で消息を絶った写真家望月昭伸氏に捧ぐ

投稿者:uchimura_it|Comments (0)

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