* LIFEより引用
<ラジオのニュース>米軍も多大の戦死者を出しましたが、ヴェトコン側も115人戦死しました。
女「無名って恐ろしいわね」
男「なんだって?」
女「ゲリラが115名戦死というだけでは何もわからないわ。
一人ひとりのことは何もわからないままよ。妻や子供がいたのか?
芝居より映画のほうが好きだったか?まるでわからない。ただ115人戦死というだけ」
ジャン=リュック=ゴダール「気狂いピエロ」
911テロの映像、崩れ落ちる世界貿易センターの映像をみて僕は泣いたんだっけ
一瞬にして3000人以上の人生が奪われる瞬間の映像
スマトラ沖地震の死者が10万人を越えたことを知ったのに
何故僕は、あの時のように泣かなかったのだろうか。
今回は、決定的な瞬間映像がないからか?
僕の想像力の問題か?(きっとそれは大きい)
とにかく
何かが、欠落しているのだ。
あけましておめでとうございます。
それは、方や人が人を裁く行為をした結果で方や自然の猛威であったからではないでしょうか。
僕は、どちらを見ても結局は予定調和であったようにも見ていたのですが。
すべては、循環するものですから。
僕は、911の映像よりもその報復としてアメリカが中東で行った無差別大量虐殺に涙しました。
あちらのほうが、何倍も人にあらざる行為だと今でも思っています。
>NOISE
報道を通して、映像やジャーナリストのコメントを通して僕は世界を観たような気になるのですが
何もわかっていないのだとも思います。
イラクで行われたこと、どれほど正しく知っているのかと自問する中で、JMMの1月10日号で村上龍が記したコメントが印象に残りました。
以下、転載です。
わたしが今、メディア問題を考えるときのキーワードは「ファルージャ」です。イラクのファルージャのことは、ほとん
ど何もわかりません。今ファルージャをコントロールしているのは誰かもわからない
し、ファルージャの住民が戻っているのかどうかもわかりません。そして、ファルー
ジャの現状がわからないということを、日本の(ファルージャに関しては日本だけで
はないかのかも知れませんが)大手既成メディアは決して伝えません。
たとえばNHKの特派記者はバグダッドにいますが、バグダッドでどうしてファルー
ジャのことがわかるのだろうと思います。現在のファルージャを映した映像が流れる
ことはありません。つまり報道のカメラは、ファルージャに入っていないのです。今
のイラクには報道陣が入れない都市や地域がある、ということを日本の大手既成メディ
アは広く伝えるべきだと思うのですが、なぜかすべては「治安悪化」で済まされてい
ます。