20000130

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N美はその島で、ひときわ印象の強い生徒だった。
振る舞いは野生児のようで、初対面でたいそう面食らった。
廊下を裸足で歩いていた。
初めての授業で出席点呼の際、僕が彼女の名を呼ぶと、
歯をむき出して「シャーッ!!」と言った。
それは、猫が敵対するものに出会ったとき威嚇に使う
「シャー!!」と同じだった。思わず後ずさりしたような気がする。
僕のことをよく「ほろくれ」と呼んだ。
あとで知ったのだが、それはこの島特有の表現で
「へんなやつ」とか「へんな顔」みたいな意味らしかった。
休日、塀によじ登って僕の部屋を覗き、目があって腰を抜かした僕に向かってまた
「ほろくれ」と言った。
フリーダ・ガーロの描く自画像のような顔立ちをしていた。
油絵を教えると、タッチもフリーダ・ガーロのそれを思わせた。
「ねえ!私の絵誉めてよっ!!」と、僕の鼻先ににキャンバスを突き出すので
「よ、天才」と誉めた。
美術室に遅くまで残って絵を描き、「そろそろ帰ったら」と言った僕に
「センセイは絶対に漁師にならないんだろうね」と謎の言葉を残して去っていった。
野生児だけど、勉強が学校中でトップだった。この島では珍しく進学を希望し、
関東圏の国立大学へ進学した。
上京した際、島の卒業生達と一緒に、一度だけ集まった。
彼女はもう裸足でなく、女子大生のような出で立ちだったので僕は少しからかった。
そのN美が飛び降り自殺を図った。
幸い一命を取り留めたが、今日がヤマかもしれない。
その知らせを受けて、高速ををとばしてその町へ向かった。
N美はICUで、無数の生命維持装置に繋がれていた。
4年ぶりの再会
規則的に酸素が送り込まれるマウスピースをくわえたN美は
目を見開いたまま、どこも見ていなかった。
「脳だけは機能しているらしい」と聞いたので、久しぶりに名前を呼んでみる。
彼女は鎧のような体に閉じこめられたままで、僕の声を明瞭に聞き取ったかもしれない。
病棟の廊下には、かつての教え子達が眼を赤く腫らして集まっていた。
「センセイに連絡ついて良かったサ」
なつかしいイントネーション
当たり前だけど、みんな少し大人になっている。
帰り道、行楽帰り渋滞の中で、ずっと考えていた。
僕は帰り際にもう一度、ICUに入り「がんばれよ」と彼女に声をかけた。
だけど、N美はここに帰ってくることを望んでいるのだろうか。
僕が、あの島にいた間、ずっと異邦人であったように
彼女は、キャンパスのあるこの小さな町では異質な存在であったのだろう。
現に、大学の友人らしき人間は、ひとりも病院にはいなかった。
服薬自殺未遂を計り、病院に運び込まれ退院の際、家族が眼をはなしたすきに
5階建ての病院の屋上へ向かったという。
何から解放されることを望んだのか。僕には知る由もないけれど、
もう一度話がしたいと思った。
だから、今日がヤマというなら、もう一度、乗り超えてほしい。
帰ってきてくれ。また、いろいろ話そうよ。

投稿者:uchimura_it|Comments (0)

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