風邪ひき2日目。
良くならないけれど、出勤。
土曜日の選択授業は、
今学期最後なので休むわけにはゆかない。
父親の展覧会が国立のギャラリーで始まっているので、
かけつけたかったが、断念。
ひたすら眠る。
薄い眠りの中で、
記憶と現実のイメージの狭間を行き来する。
「埋葬日記」
’98年の夏休みも残すところ数日となったころに、沖縄・那覇の祖父が急逝し、
葬儀のために那覇から車で一時間ほど北へ上った小さな村を訪れた。
その村は、背丈より遙かに高いサトウキビ畑が村一帯に広がっており、
その畑の小高い丘に、亀甲墓と呼ばれる、ドーム型の巨大な墓がある。
その墓は、自分が生まれ出たところに帰っていく所と信じられ、
子宮を模して造られているのだという。
一面緑色のサトウキビ畑の中に村中の一族が集まり、
肩を抱き合いながら号泣しあう中、祖父はその墓に埋葬された。
それは、泣く者と共に泣く、癒しの共同体の儀式だった。
大叔母と共に、この村から那覇へ戻る際、村議選の公示ポスターを目にした。
この村は、村議選のまっただ中だったのだ。
立候補者の名前が、姓ではなく「ひろし」「よしお」「きみこ」
といった具合に、名前のみのポスターばかり並んでいる。
姓が皆同じ村、故であるのだが、結構奇妙だ。
その、ポスターの前に大叔母が立ち止まり、
懐かしそうに目を細めている。
大叔母は、戦後この村で小学校教師をしていた。
選挙ポスターの立候補者たちは、かつての教え子だ。
「この子は、優しい子だったよ。」といった具合に、昔の頃の話をしてくれた。
「あなたも、仕事やりがいがあるでしょうね、教師になる夢を叶えたのだものね、
こんなに素晴らしい仕事はないよ。」と言われ、ドキリとした。
この仕事に就いて、まだ5年目だというのに、数日後の始業式を思うとき、
憂鬱すら感じていたのだ。
彼女はつづけて「教師という仕事一度も嫌だと思ったことないよ、
今は、難しい時代かもしれないけれど、きっと愛情で色んなことが解決できるよ。」
と、話してくれた。