19990908

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一時間目の1年生の授業。
遅刻してやって来たK沢の髪は、ド金髪だ。
きっと、始業式以来何度も生活指導部から呼び出しを受けているだろう。
今学期初のこのクラスの授業は、大半の生徒が去勢された宦官のように、
うつろな目をしている。
k沢もその例外ではない。
美術室がうだるように暑いせいだけじゃないだろう。
昔だったら、ツッパリと呼ばれた生徒もいただろうに、
今は大人や教師に刃向かうような生徒は皆無だ。
一時間目の授業を終えたとき、美術室で弁当を広げたk沢に
「美術室は飲食ダメだよ」と注意した。
「なんでダメなんだよ」
小声でそういっただけで、廊下に移動してベタ座りで弁当を広げた彼に、
別の教師が「こんなとこで弁当を食べるな」と注意する声を僕は背中で聞いた。
2時間目の授業には、彼の姿はなかった。
彼らは、何に抵抗するべきなのかを知らない。
自分たちを包み込む孤独の正体を知らない。
「さみしい」と言う感情は、一人であることから来るのではなく、
自分のテリトリーが、自分に不適切で馴染まないと感じるときに起こるのだそうだ。
誰かが、そんなことを言っていた。
「ここにいて良いんだ」
そう言ってやりたいけれど、よく解らない。
「学校なんかにこだわっているなよ」
そう言ってやりたい時もある。
午後は長い会議が続いた。
いつもそんなに大切な事を話し合っているだろうか?
僕のテリトリーは、僕に馴染んでいるだろうか。

投稿者:uchimura_it|Comments (0)

コメント

  1. Y.I より:

    何だか凄く十年前の先生にも十年前の生徒にも同感してしまいました。
    自分の高校生の時の感覚が一瞬にして呼び戻されてしまいました。
    「学校なんかにこだわっているなよ」
    って先生から言われたとしたら凄くホッとしたりして、、。
    と思ってしまいました。私は自分の子供に思わず言ってます。
    ついでに「友達なんかにこだわるなよ。」とも言ってしまいます。
    子供達はきっと思っているでしょうね。
    「そんな事分かってんだよ!」って。あー思春期。
    懐かしい様な、思い出したくもない様な昔、昔の記憶です。

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