イタリアで暮らす中で、これまで何ども受けてきた質問があります。
それは「キリスト教のプロテスタントって何?」という言葉です。
外務省のホームページによると、イタリアは「99%がカトリック教徒の国である。」と書かれています。
私はそのような国で、はじめてプロテスタントの日本人牧師として宣教師ビザを与えられました。
イタリアに来て、外国人局でビザや滞在許可証の申請をする際にも、審査をする担当官から
「プロテスタントは、カトリックと何が違うのか?」
「プロテストというけれど、何を抗議しているのか?」
「そして今も私たち(カトリック)に何かを抗議しているのか?」
「ルターの何を尊敬しているのか?マリアよりも彼の方が好きか?」
そんな質問を受けてきました。
日本で暮らしていたころには、自問してみたこともなかったことです。
2017年はルターが「95か条の論題」とよばれる文章を、教会の扉に貼り付け(たと言われ)てからちょうど500年。
そこから何が始まり、何が変わってきたのでしょうか?
そして何が今も変わらないでいるのでしょうか?
そのことを、いわゆる【学問】としてではなく、500年前に想いをはせて、ルターの足跡を辿る旅に出てみようと思いました。
自分は本当にまだ、何も知らない。そういった真っ新な気持ちで、ひとつひとつ、ルターに縁のある街を巡って観ました。
このブログが、同じようにルターゆかりの地を旅することを願っている方の一助になれば幸いです。
最初に訪れたいのは、アイスレーベンです。
ここは、ルターの生涯のはじまりであり終着の町だからです。
マルティン・ルターが1483年11月10日に生まれ、一時滞在中の1546年2月18日に亡くなりました。
正式な町の名称は「ルターシュタット・アイスレーベン (Lutherstadt Eisleben)
ドイツ連邦共和国ザクセン=アンハルト州マンスフェルト=ズュートハルツ郡に位置し、同郡で2番目に大きな都市です。
1946年以降、都市名に「ルターシュタット(ルター都市)」を冠するようになりました。
アイスレーベンとヴィッテンベルクにあるルター記念建造物群は、1996年からユネスコの世界遺産に登録されています。
ルターが幼少の頃に住んだアイスレーベンには、ルターに関する資料はあまりありません。
しかし実際に訪れてみると、とても小さな街ながら、至る所に、ルターの生き様が深く刻み込まれているのです。