時はバカンスで、月曜日のミラノは死に絶えたように全ての店がシャッターを閉じている。
センピオーネ公園で、ミラノトリエンナトーレが開催されているはずだったが、
案の定閉館していた。
公園でしばらくボーっとした後、ブレラ美術館まで歩いてみたが
これがまた閉館日。美術学校も、開けているアトリエはなかった。
ドゥオモのリナシェンテ地下で、キッチン用品を物色したのち
夕刻の大聖堂内部にはいると、柱がステンドグラスの色に発光していた。
家に帰り、宵闇がおりても、何故か睡魔は訪れず、明け方の4時まで
本棚の文庫本を片っ端から手に取り、日本語の活字を貪った。
三浦綾子の「道ありき」を数年ぶりに読み返した。
先日、大家のアンナに昼食に招かれた時
イタリア語版のこの本を見せられ「とても大切な本だ」と話していたのを思い出したのだ。
三浦綾子の著作は「道ありき」と「塩狩峠」がイタリア語に訳されて出版されている。
彼女の著作は「イタリア人の精神性にフィットしていると思う」
処女作の「氷点」を読んでみたいのだけれど、まだ伊訳されていないの。
アンナはそう言っていた。
「氷点」ってどういう意味なの?と聞かれた。僕は少し頭をひねって
「普段は心の奥底に隠されていて、ある場面で顔を出す、頑ななもの。」と答えた。
「原罪」の性質って言うことかしら、重い話題で、食事向きじゃないわね。
そんな会話を交わしたのだ。
でもデザートを食べているときに、アンナはもう一度僕に訪ねた。
「あなたの育った家には、信じる神がなかったのでしょ?」
「そうですよ。多くの家がそうであるように、両親は無宗教です。」
「じゃぁ、どうやって幼いころ、罪の概念を学んだのかしら?」
僕が再び頭を抱えていると
「ごめんなさい、ジェラードが溶けちゃうわ」
そういって、バニラに褐色のリキュールをかけてくれた。
僕は「道ありき」の再読後、今ならすこしはうまい言葉で説明できるのに
そんなことを考えながら眠りについていた。