ピカソは14歳からの多感な時代をバルセロナで過ごした。
美術教師の父親が、バルセロナで仕事を見つけたのだそうだ。
その頃のバルセロナの面影を残す旧市街にある
邸宅を改装して、ピカソ美術館があった。
少年時代の彼の作品をみると、12歳で
アカデミックな技法をマスターしてしまっていることが解る。
そして、同時にアカデミックな表現にうんざりしていることも
天才のエネルギーが弾ける瞬間に立ち会うような錯覚を覚えた。
宮廷画家になることをあっさりと放棄した少年は
「描く」という行為は、その対象を「愛する」ことだと知っていたのだろう。
19歳でパリに渡るまでの、生意気で未成熟な天才
18歳で「目に映るもの全てを愛したい。」と唄ったのは尾崎豊だっけ
そんなことを思いだした自分に苦笑したけれど
そんな青い感性で、新しいキャンバスに絵を描きたいと思った。
今なら、もっと自由になって、色彩や線を紡ぐことが出来るんじゃないか
人からの評価など気にせず、ただ愛するものを記憶していくために
日曜日はカルロスの家を一歩も出なかった。
そして、ただ静まって、訪れてきた人々と共に
パンを裂き、葡萄酒の杯を分かち合って神に礼拝を捧げた。
礼拝の後、カルロスがパエリアをつくってくれた。
愛情たっぷりの男の料理
バスク地方の白ワインを開けてくれた。
「べつにETA(バスクのテロリスト)からもらった訳じゃないよ。」
と、スペインでしか通じないようなジョークをいいいながら
バルセロナの日曜日が静かに暮れていきました。
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あ~ いいですね。…ピカソ先生ではないですか。僕わざわざ観に行ったこと思い出しちゃいました^^ ;;;;;
バルセロナには足伸ばせませんでしたが、スペイン各地を泊まり歩いたとき、ほんとにシエスタの文化には感動しました。あのゆったりした時間感覚にはいやされました。
>しのッテ
あら、ピカソ巡りをされたのですね。
スペインの時間感覚はほんと良いですよね。
ランチを食べる店は13:30すぎじゃないと
オープンしないので驚きました。