2013年になって最初のフライト、ミラノから定刻通りバルセロナに到着し
ゆっくりと夜の帳が降りてくる時刻にカタルーニャ広場に降り立った。
おそらく今年も、旅が続くのだろう。
自宅を出る際に、涙目で見送る犬のハンナについて考えた。
今日は、いつになく、何か言いたげだったな。なんだろう。
ハンナは僕が旅行鞄をもって出かけるときに、玄関までは見送りに来ない。
いつも、一歩下がって、切ない瞳と、自分には何の選択権もないことを
受け入れた眼差しで、こちらをじっと見つめている。
犬を飼って(というか、共に暮らして、見続けて)はっきりと解ったことがある。
それは、犬が願っていることは「ただ一つ」のことだけだということだ。
それは、僕といつも共にいること。
どんな場所であっても、一緒に連れて行ってもらえること。
僕が旅に出る理由は、僕の周りにいる大切な人々には、言葉で説明できる。
でもハンナにはそれは通用しない。
僕がハンナを置いていくということは、実はハンナと過ごすことよりも優先させなければ
いけないことがある。つまりハンナが、僕にとって一番ではないと、バレてしまうのだ。
僕の旅が多くなると、ハンナは喘息の症状が出る。
ひどい時は、旅行鞄を出しただけで、癲癇を起こしたことがある。
8年前、ミラノに捨て犬を保護する施設があって、そこを訪ねた。
突然、犬と暮らすべきなのだと思いたって、見学がてら、そこへ出かけたのだ。
自分たちで、犬を飼うか、飼わないか、どんな犬を引き取るかを「選ぶ」つもりで。
でも「選ぶ」のは私たちではなかった。私たちは「選ばれる」存在だった。
その施設には冊や、檻の中に、たくさんの犬が保護され、
陳列されているのだろうと考えていた。
でも、行ってみたら違った。
まずは事務所に通され、施設のボランティアたちに面接をされた。
どんな仕事をしているのか?犬と暮らすことをどう考えているか?
経済的な基盤はあるのか?外出はどれくらいするのか?
そして、あなた達は犬を飼っても良いでしょうと、合格の通知をうけた。
(ちなみに、この制度、日本のペットショップでも導入すれば良いと思う。必要じゃない?)
そのあと、「最近生まれたばかりの仔犬がいて、あなた達にぴったりだと思う。」
と言われて、事務所に連れてこられたのが、スヤスヤと眠っているハンナだった。
その時、ボランティアと担当の獣医さんに、こう言われたのだ。
「犬を寂しくさせてはダメよ。あと、この犬の誕生日は1月10日よ。覚えておいて。」
そうかー、忘れていた。
というか、今思い出したよ、ハンナ。
今日はハンナのお誕生日だったんだね。
8年間も一緒にいてくれてありがとう。
お世話していたつもりで、君にお世話されてきたんだね。
週末には帰るから、待っていてね。
Happy Birth Day!!犬のムスメ
10年前の今日
←今日もそこにいてくださってありがとう。