『息もできない』という韓国映画を観ました。結論から言うと
「あなたがもしまだ観ていないのなら、TSUTAYAですぐ借りてきて。」
最近僕の周りでは、邦画ファンであったのに「もう韓国映画しか観ないよ。」
と転向してしまう人が増えているのですが、それも解る気がしました。
うまく表現できないのですが、なんというか「分厚さ」が違うのです。
もの凄い荒削りなキャラクターや物語の設定に、超繊細な表現が散りばめられている。
日本映画が、私小説的で、私と半径5メートル以内の世界を描いているような作品が
多いのに対し、韓国映画は徹底的に「繋がり」や「連鎖」のようなものを描いている。
旧約聖書の、カインとアベルの物語から引き継いでいる哀しさのようなものや
誰が悪人で、誰が善人と二元論に分けない人間観、血縁、友情、男と女といった主題
とはいえ、この作品から北野武作品の影響も感じ取れるし、日韓は互いに響き
合っているのかも知れません。
ネタバレにならないように、感想を描かなければいけないのだけれど、
この作品の肝は、罪人のように生き、死んでいった人によって、残された人々が
結ばれていくという世界観に、キリストの生涯を重ねた部分がありました。
10年前の今日
←今日もそこにいてくださってありがとう。