日曜日、教会での礼拝の後、いつものように教会のメンバーたちと食堂へ繰り出す。
皆、旨そうに食べるなぁ。家族と共にいるような、くつろげる時間だ。
人間関係は、自動的には深まったりしないけれど、どれだけ一緒に食卓を囲んだことが
あるかは、お互いの繋がりが深まることと相関関係にあると思います。
10年前の今日
←今日もそこにいてくださってありがとう。
日曜日、教会での礼拝の後、いつものように教会のメンバーたちと食堂へ繰り出す。
皆、旨そうに食べるなぁ。家族と共にいるような、くつろげる時間だ。
人間関係は、自動的には深まったりしないけれど、どれだけ一緒に食卓を囲んだことが
あるかは、お互いの繋がりが深まることと相関関係にあると思います。
10年前の今日
←今日もそこにいてくださってありがとう。
「家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。」使徒2:47の現代版ですかね。
>平位全一
平井先生、初代教会の人々も、会堂は持っていなかったけれど、ともに良く食卓を囲んでいたんですよね。
イエス・キリストも食いしん坊なのかな?と思うほど
大切な言葉を残したのは、食事の席が多いですね。