被災地 山元町へ

20110516-1.jpg
ワゴン車の車体が沈みこむほど、たくさんの野菜ジュース(2500本)を積み込んで
早朝、東京から、宮城県の山元町へと向かいました。
この野菜ジュースの背後には、今回の東日本大震災で大きな被害を受けた人々に
何か少しでも、助けをしたいという、たくさんの人々の「具体的な愛」があるのです。
20110516-2.jpg
東北自動車道は、至る所で路面が波打っていて、今回の震災の痕跡を感じます。
たくさんの災害派遣車両が北上しています。
そして、新緑の東北、田んぼに水が張られた風景は哀しくなるくらい、美しい。
20110516-3.jpg
物資受付所として特設された、山元町の体育館には、たくさんのボランティアの方々が
待機して下さっていて、テキパキと荷物の搬入を手伝って下さりました。
20110516-4.jpg
今回、アマゾンを使っての野菜ジュースプロジェクトに加わって下さったお一人お一人に
心からお礼申し上げます。確かに届けましたよ。一度で運びきれなかったので、来週
さらに2500本を届けます。
ある町では、物資が余っているという報道もありますが、山元町では今も物資を求めています。
今回リクエストのあった野菜ジュース2500本も、二日ほどで無くなってしまうのです。
この町の避難民の方々は、津波で入れ歯も失っている高齢者の方も多く、野菜ジュースを
一日一本摂取することで、必要な栄養バランスを保っていると伺いました。
20110516-5.jpg
荷物の搬入を終え、国道六号線を走ると、突然視界が開け、荒地と海が見えます。
ここにかつて、どのような集落があったのか、想像が出来ません。
震災以前、この場所からは、ひしめく家々や建物の影で、海は見えなかったのだそうです。
20110516-6.jpg
荒地に形をとどめている建物はなんだろうと近づいてい見ると、それは駅のホームの
連絡橋と、公衆トイレでした。でも、鉄道が引かれていた痕跡はもはやありません。
20110516-7.jpg
駅前には、山元町の案内板がひっそりと姿を留めています。
ここは、東北の湘南と呼ばれ、美しい海岸線が、多くのサーファーや観光客に愛され
都会でリタイアした人々が、家を建てて移住する程だそうです。
20110516-8.jpg
遠くから眺めれば更地に見えても、海岸線に降りれば、そこには生々しい
人々の暮らしの痕跡と、津波が残した爪痕が残っています。
20110516-9.jpg
崩れ落ちそうな家屋は、本当は立ち入り禁止なのですが、その家の中でコツコツと
思い出の品を探し出そうとしている住人の姿を、至る所で見かけました。
20110516-a1.jpg
被災地では色々な臭いがする。そう、聞かされていましたが、目の前に広がる
無残な光景とは裏腹に、防塵マスクを外すと、優しくて懐かしい、海風の匂いがしました。
20110516-a2.jpg
誰かが、自宅の跡地に、子供のための鯉のぼりを立てていました。
今までそうしていたように、今年の子供の日も、そのようにしたのでしょう。
20110516-a3.jpg
夕刻から、役場に特設された山元町災害臨時エフエム放送局「りんご ラジオ」に
出演させて頂き、町の皆さん、避難所の方々にメッセージを送らせて頂きました。
今月に入ってからは、糸井重里さんや、松雪泰子さん、長谷川京子さんなどが
ゲスト出演され、多くの人の励ましになっているコミュニティFMです。
パーソナリティの高橋さん(元、東北放送)からは
「被災地は牧師さんの目にどううったのか?」「神様がいるのに何故災害が?」と、
ど直球なご質問も頂きましたが、問いかけに正対し、励ましと慰めの言葉を取り次ぎました。
20110516-a4.jpg
その後、ニュージャージー日本語キリスト教会の錦織牧師のご婦人、範子さん
(今回、二週間にわたり、看護ボランティアとして被災地入りされていた。)と共に
坂元中学校を訪問させて頂きました。
この中学校には、かつてフランス・ストラスブールで交流のあったFさんがこの四月から
新任教員として赴任されています。校長先生が温かく迎えて下さり、良い時間をもちました。
校長先生は「牧師さんが来られたから言う訳ではないのだけれど、信じるものが
与えられているという事が、いま私達には本当に必要だと思います。」と語って下さりました。
20110516-a5.jpg
中学校のテラスからは、山元町の美しい夕焼けが見えました。
被災した集落を見つめながら、祈りの時をもちました。
20110516-a6.jpg
すっかり夜になってから、範子さんが、ご自身が担当されていた避難所へ案内して下さりました。
彼女が、そこにいる方達と築いて下さった信頼関係により、僕のような者も、温かく迎えて下さり
お一人お一人が、大切なお話しを分かち合って下さりました。
多くの人が、ずぶ濡れになったまま助け出され、深夜にここに運び込まれたこと。
その日は、あまりに寒い日であったこと、三日の間は食事が無かったこと、そして
家族を失ってしまった自分を、助け出し、解放してくれた人々を、はじめは恨んだことなどを
せきをきったように話して下さりました。
20110516-a7.jpg
そして、あるご婦人は、ご自身が40歳を超えて授かった息子さん(今年小学校に入学予定)
を亡くされたこと、そして、たった一枚残された、息子さんの写真を見せて下さり、思い出を
語って下さりました。
家も思い出も、なにもかも流されてしまったけれど、あるスーパーマーケットが
開店記念のさい来場客をとった写真に、息子さんの写真があり、そのデータを
プリントアウトすることが出来たのだと、話して下さりました。
そのような、ひとりひとりの大切な話をして頂いた自分には、これから
何が出来る仕事として与えられているのか、そのことを今、考えています。
banner_01.jpg←今日もそこにいてくださってありがとう。

投稿者:uchimura_it|Comments (5)

コメント

  1. Y.I より:

    小さな思いを届けてくださってありがとうございました。
    どうしようもない哀しみの中に何ともいえない温かさが伝わってきました。『人にはできない事が神にはできるのです。』神様だけが人を通して慰めと癒しを進めてくださると信じます。
    また山元町のことお分ちいただけたら嬉しいです。
    本当にありがとうございました。

  2. はちこ より:

    野菜ジュースを届けてくださり、そして現地の様子を知らせてくださり、感謝します。
    範子先生の元気なお姿も拝見できて嬉しいです。
    先生や範子先生が、海外在住者代表として私たちの思いを届けてくださったような気持ちです。
    続けて祈っています。

  3. uttie より:

    >Y.I&はちこ
    今回、アマゾンを使ったプロジェクトで嬉しかったことは、海外在住の方々が多く参加して下さったことです。
    海外から、愛する母国のことを案じる思い、何か具体的にしたいという思いは、皆同じなのだなと感じました。
    共に参加して下さり感謝します。

  4. Rie より:

    後ろになんとウチが建てたテントが写っていて、この野菜ジュースが入ったのですね!(後ろの白い物資搬入用テントです。)私は後方支援で東京からの仕事ですが、こうして繋がっていること嬉しく拝見しました。 ご無理をなさいませんように。

  5. uttie より:

    >Rie
    国連WFPのテント、用いられていますね!
    期せずしてコラボレーションさせて頂いているんですね。
    感謝です。

コメントしてください

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です