曇り空の月曜日、ハンナの散歩に出かけた公園で
犬のザンナを連れたベニートとアンナに会った。
彼らはそっと寄り添うようにして「日本の様子を見守っている。」と話してくれた。
今は、人々は、いや僕は、共感を求めている。
「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。」(ローマ人への手紙12:15)
仙台も電気が復旧したらしく、心配していた人たちがネットでも近況を聞かせてくれて安心した。
今は震災時の特別措置として、NHKも民放も、ネットで番組が配信されている。
おかげでミラノでも、日本にいる人と同じように被災地の様子が解るが、テレビに釘付けに
なってしまう事もコントロールが必要だ。
民放の報道は、津波で全てを失った人からコメントをとろうとマイクを向ける。ありえん。
今大切な事は「わからないこと」にフォーカスするのではなく「わかっていること」に
焦点をあてること。
「何故こんなことが」といっても、わからない。
「わかっていること」は被災地に情報と食料と毛布が無いこと。
長い戦いになるだろうから、今ここで自分が燃え尽きてはいけない。
いったんバーンナウトしてしまうと、回復に長い時間を要することになる。
いざ私たちの力が必要とされるときに起き上がれない。
そんなことにならないよう、今はいつもより意識的に自分を休ませることも必要。
10年前の今日
←今日もそこにいてくださってありがとう。
共感なんてとてもできていないんだろうけど
でも、少しでもわかりたい。原発事故を日本を責める人なんて私の近所にはいませんでした。それより、私たちも同じだよ。と庭の花を摘んで訪問してくれました。慰められました。与えられた持ち場でしっかり生きて、何か出来るときの為に備えたいです。
>Y.I
与えられた持ち場でしっかり生きること
今の私たちのとるべきベストだと思います。
傍にいる人からの慰めは、本当に嬉しいものですね。