2011年3月11日の事を、僕はいつまでも覚えているだろう。
バルセロナ礼拝を捧げるために僕は早朝、ミラノベルガモ空港へ向かっていた。
ところが空港までの道が予想外の事故でブロックされ、絶望的な渋滞にはまった。
ピクリとも進めなくなった車内で僕は何気なくiPhoneでtwitterのTLを観た。
その時に、震災を知った。日本でも震災から一時間も経過しておらず、
誰もが正確な情報を求めていた。
飛行機のフライトの時間は過ぎていて、僕は渋滞の道を抜け出して
千キロ先のバルセロナに車で向かう事を決めた。12時間の旅だ。
イタリア、南仏のコートダジュールと呼ばれる地中海沿岸をひた走りながら
iPhone経由で、広島の中学生がUstで発信するNHKニュースを聴いた。
阪神大震災の時を想い出した。
あの頃、僕は小笠原諸島の父島に暮らしていて、震災のニュースを
唯一のテレビチャンネルである衛星経由のNHKで受け取っていた。
今は海外で暮らしていても、車を運転していも、iPhoneで全ての情報に
アクセスすることが出来る。
無事にバルセロナに到着し、ホテルではパソコン経由で様々な現地の映像をみた。
疲れた体を休ませるために、夜中の三時にはベッドに入った。
翌日、バルセロナで聖書を開き、ともに礼拝を捧げる人がいることに
深い神の憐れみと恵みを味わった。
その日の午後に、再びミラノに向けて千キロ走った。
スペインでもフランスでも、食堂のテレビは日本の震災を伝えていた。
祈る人々の姿もあった。
僕はきっと、何年後もこの光景を覚えているだろう。
10年前の今日
←今日もそこにいてくださってありがとう。
先生、、、。
やっぱり、1000kmの重みがお顔にしっかり刻まれています。
ゆっくりお休み下さい。
私たちは皆で福島原発のことで祈りまくっています。
祈れる。これ自体が憐れみと慰めです。
東京は今、「計画停電」と言って、1日のうち3時間ほど(日によって時間帯が違う)、地域ごとに停電しています。
不便は不便ですが、被害の大きかった地域のことを思えば、
なんでもないことです。
何かできないのか?
と自答しても、あまりにできることが少なく、
情けないのです。
5歳の娘は津波のニュースを見て、
「ねえ、この中に人はいるの? おうちも くるまも
かわいそうだよう~~」と泣いてしまいました。
写っていないだけで、人もきっと大勢流されている・・・
という、残酷な事実は話せませんでしたが、
娘なりに気付いてしまったのか、ショックを受けたのか、
寝言でまで、同じようなことを言っていました。
テレビを見ているだけでこれですから、
東北の子どもたちはどんなに心が傷ついてしまったのか・・・
海外の方々も、祈ってくれているのですね。
ありがとうございます。
>y.I
顔に出すぎですよね。
自分でも笑いました。
私たちも祈り倒しています。
祈りの手を上げ続けます。
>hattan
子供にとっても、どれほど
恐ろしいことだったでしょうか?
テレビの映像に気を使いますね。
祈っていますよ!