再びミラノ 金曜礼拝

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昨晩からというか、パリでは完全徹夜だったので飛行機がオルリー空港を飛び立つのを
待たずに、ほぼ失神という感じで眠りに落ちてミラノについた。
シャワーを浴びて、少しの間体を横たえて短く眠り、夜の礼拝に備えた。
金曜夜の礼拝は、熱いコリアンの若者も集まってくる。
彼らには(誰にでもだけれど)ハッタリは通じないので、礼拝場所の教会の地下へ向かう
階段を下りていく時は、ライブハウス会場に向かうミュージシャンのような気持ちになる。
Ⅰコリント9章からメッセージを取り次ぐ
闘技をする者は、あらゆることについて自制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。
ですから、私は決勝点がどこかわからないような走り方はしていません。空を打つような拳闘もしてはいません。(Ⅰコリント9章25-26)

私達は生活の中にあること全てを、何の為にしているか、思い巡らしてみる必要がある。
限られている地上の人生で、決勝点のわからないような走り方はできない。
ゴールがどこにあるか判らないようなマラソンに参加する人はいない。
相手が不明なボクシングはあり得ない。
自分に与えられているゴール、決勝点をしっかり見て、その中で何の為に、
このことをしているのかを明確にしていきたい。
最初に、自分自身に語られている言葉を、そこにいる一人ひとりが受け止めてくれる。
そういう手応えに、励ましと慰めを受け、疲れが癒され、新たに充電される時間となりました。
10年前の今日
banner_01.jpg←今日もそこにいてくださってありがとう。

投稿者:uchimura_it|Comments (3)

コメント

  1. ちさと より:

    「失神」という言葉は神を失うって書くんですね・・・と、今気がつきました。
    心を亡くすと書いて「忙」しい・・・。
    すごく用いられてるのぶさん。でも気をつけてくださいね。
    神様が心と体を守ってくださいますように!!!

  2. uttie より:

    >ちさと
    とりなしの祈りを感謝します。
    忙しくならないように、秋以降は知恵を
    働かせていこうと思っています。
    ちさとさんのご主人が、僕の「よき友」として
    与えられていることも、感謝です!

  3. ちさと より:

    こちらこそ感謝ですよ!!!!! :)

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