ある日以前勤務していた、都立芸術高校の同僚であるマチダ先生から電子メールが届き
一枚の画像が添付されていて、メール本文にはこう書かれていた。
「この絵に心当たりがありますか?キャンバスの裏にS(昭和)61年-内村伸之
と書かれています。学校の地下倉庫を整理していたら見つけました。」
びっくりしたー。もちろん心当たりがある。僕がこの学校の生徒だった17歳の時に
授業の課題で自画像を描かされたときのものだ。
いやはや、突然タイムマシーンに乗って、17歳の自分が訪ねて来たみたいで
添付画像を開いた時は、椅子からエビ反りにのけぞって倒れ落ちそうになった。
この自画像を描いた時のことは、妙に覚えている。
当時付き合っていたガールフレンドから突然フラれた頃
ウォークマンで尾崎豊の『十七歳の地図』を聴きながら
自分が受け入れられなくてもがいていた、イケていない私
「植物と自画像を構成しなさい。」という美大予備校的なテーマを与えられて描いたのだ。
自分の絵の下手さに落ち込んでいた頃で、悶々としながら放課後のアトリエで描いた。
アトリエに差し込んでいた、夕方の光、駒場高校のグランドでサッカー部が練習する音
油絵の臭いが、ついこの間のことのように思い出してしまった。
それにしても暗すぎる。というか、この自画像ちょっと病んでいる。そして致命的に下手だ。
油絵をキャンバスにたたきつける行為を知らなかったらバスジャックとかしたかも知れない。
突然、40歳の僕を訪ねて来た、17歳の不自由だった僕に、こう言ってやりたい。
「君は絵画の技術的な問題なんて、この数年後に結構あっさりクリアして、
希望していた美大の油絵科に一浪してから入学するんだよ。そこから先が
ビジュアルの世界はミステリーなんだ。テクニックは前提であってテーマじゃない。」
「さらに数年後には、今度はこのアトリエに教師として戻ってくる。そのあと、
いろんな世界に行くから英語の授業は、もう少し真面目に受けるといいよ。」
君は、年を重なるごとに自由になるよ。そして、40歳になってから
17歳の自分から、もう一度絵筆を握ることを催促されるようになるんだ。
10年前の今日
←今日もそこにいてくださってありがとう。
「心当たり便」差出人のマチダです。
先日の1年生との会話。
「先生! 私、今日誕生日なんだよ!」
「もしかして、16歳!? 生まれて初めての16歳!?」
「ハハ、じゃ、毎年生まれて初めてじゃん!」
「そうだな、毎年未体験ゾーンにチャレンジしてるんだな」
「ヒャー やべー!」
10月末
3年生は卒業制作を描き上げ、
2年生は、修学旅行で沖縄へ旅立ち、
1年生は、恒例の課題「炭俵」を木炭デッサン。
今日から始まった2009年11月は、
どんな未体験が待っているのでしょうか。
自画像先生そっくりですね!
たしかに昔描いた自画像がいきなり送られてきたらびっくり…
しかし今の修学旅行って沖縄なんですか?!
羨ましい…
思わず、こちらまで をーーー!と声を出してしまいました。
この目線、17歳のリアルな空気をまとっていらっしゃる。
やっぱりいいですよ?。絵は。
自分が確かに存在していた事を確認できるっていいですよね。
見たくない、忘れてしまいたい時期もあるとは思いますが、、。
自分のルーツって覚えているようで全然覚えてないんですよー。
昔の自分に再会。いいですね。新たな出発?になりますね。きっと。
>machida
マチダ先生、17歳の芸高生(私)に会わせてくれて
ありがとう!発掘してくださったスズキ先生にも
よろしくお伝えください。
>おおたに
そうだねー、基本的には17歳の頃と
変わってないかも。芸高は皆さんが卒業してからは
修学旅行沖縄なんですよ!
>gam
そうなんだよねー、17歳はサナギっていう感じだね。
今こんな自画像は描けないな。
>Y.I
スタート地点を再確認できると
目指す方向も見えてきますね。
よっしゃ!まずはスイス(?)
念願の絵を描く部屋を手に入れました。
でもやっぱり狭い(笑)。
いつか、一緒に、lavoratorioを借りたいですね、なんて半分本気で思っています。
是非、もう一度絵筆を握って下さい。
>aako
引っ越されたんですよね。
どのあたりですか?
lavoratorio探したいですね。
年明けには、日本から父の遺品の画材を
こちらに送るつもりです。
なんかこう先生の人生を箇条書きのように読むと、
あぁ先生は本当に素敵な人生を歩んでるんだなぁとしみじみ思いました。
この間、通ってる教会のメッセージでパウロの人生を箇条書きで読んだみたいです。
・牢に入れられたことも多く
・鞭打たれたことは数えきれず
・39の鞭を受けたことが5度
・鞭で打たれたことが3度
・石で打たれ
・難船したことが3度
・いく度も旅をし
・川の難
・盗賊の難
・度々眠られぬ夜を過ごし
・飢え食べ物もなかった
「ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。」(2コリ12:10)
私はパウロの人生を初めてリアルに感じ、泣きました。
先生の生き方も、彼の生き方のようですね。
>takizawa ai
「ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。」(2コリ12:10)
すごい真理ですよね!この御言葉で、僕も何度も復活しています。