祭壇の火は燃え続けさせなければならない。消してはならない。

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はじめに、今日は聖書のことにちょっと触れるので、宗教的な印象を受ける人が
いるかもしれませんので、あらかじめお詫びしておきます。
金曜日の夜、教会の地下で韓国人青年たちが熱く賛美と祈りの時をもっていて
そこで短くメッセージをして下さいということで、はじめて参加しました。
彼等はとても熱いハートをもっていて、小さな地下の部屋にすし詰めに集まっていて
まるで下北沢のライブハウスに来たかのような、酸欠状態を覚えます。
彼等は、賛美歌を唄いながら、良く涙を流し、自分の罪を互いに言い表したり、
謝りあったりして、日常的に和解の時をもったりします。
日本人同士は、一度でも喧嘩をしてしまったり、こじれたりしたら、関係が終わってしまうことが
多いのですが、彼等はけんかもするけれど、仲直りも良くするようです。
この辺が、イタリア人と韓国人が妙に相性が良い、ポイントなのかなと僕は考えています。
旧約聖書のレビ記6章から「祭壇の火は燃え続けさせなければならない。消してはならない。」
という言葉に着目してメッセージを取り次ぎました。
三千年前の、ヘブライ人の文化が読み取れるレビ記ですが、聖書の中では
難解な箇所と言われることもあります。
「あなた方は○○を、しなければならない。」
「あなた方は○○を、してはいけない。」
だけれども、何故そうであるのかは、あまり説明してくれない。
レビ記の6章13節にはこう書かれています。
火は絶えず祭壇の上で燃え続けさせなければならない。消してはならない。
何故そうなのか?
当時のユダヤ人にとって、祭壇の火は、生贄として捧げられる動物を
焼き尽くすために燃えていました。
残酷な話ですが、捧げられた動物は、人間の罪の身代わりとして、体を割かれ、焼かれます。
それは、人間の罪に対する、神の裁きの厳格さを示す炎でした。
祭司たちは、どんなことがあっても、この火を消すことが許されませんでした。
動物が、焼きつくされる姿を見て、当時の人々は、罪の結末の恐ろしさを知りました。
同時に、恐ろしくも見える祭壇の火は、神様が用意された救いの手段でもありました。
私の代わりに焼かれる動物を、礼拝の中で見て、このことによってのみ、
自分と神様の関係が回復されることを知りました。
この焼き尽くされる動物は、その1000年後、新約聖書に登場する、
イエス・キリストのひな形です。
実は、神が一番望まれた捧げものは、動物のいけにえではありませんでした。
人間の「悔い改めた心」が、祭壇の火に捧げられることを、神は求めたと聖書は記します。
最近誰かが、悔い改める場面に遭遇したことはありますか?
あるいは、あなた自身が悔い改めをしたことはあるでしょうか?
「悔い改める。」というフレーズは日本において、日常的には使われない言葉です。
“悔い改める”という言葉の原語は、新約聖書が書かれたギリシャ語で
“メタノエオ”という言葉から翻訳されたもので 「思いを変える。」という意味です。 
自分の現実に目覚め、今の状態をありのままで理解しようとすることです。 
今までのやり方、生き方における間違った部分を正直に認め、行動を変えてゆくことを指します。
ちょうど、この夜、家に帰ってから、Youtubeで、SMAPの草なぎ君の謝罪会見を見ました。
海外に住んでいても、情報の遅れがない、便利な時代です。
その会見を見て、(それまであまり知らなかったけど)僕は草なぎ君を以前より好きになりました。
変な表現ですが「良い場面を見たなぁ。」と思いました。
失敗したことが問題なのではくて、失敗にどう向きあえるのかが大事なのだなと思いました。
草なぎ君は、自分の失敗を直視して、現実に目覚め、今の状態を受け入れていました。
正直に言葉を選び、今までのやり方、生き方における間違った部分を変えていきたいと
表明していました。
「反省」という言葉を使っていましたが、ギリシャ語の”メタノエオ”
すなわち「悔い改めの告白」に似ていたので、心に届きました。
そういう失敗からの回復が、普通に行われるようであれば良いなと思いました。
人々を失敗から回復させる祭壇の火は、現代においても燃えています。
失敗には、回復がセットになっていることを信じて歩んでいきたいものです。
banner_01.jpg←今日もそこにいてくださってありがとう。

投稿者:uchimura_it|Comments (0)

コメント

  1. Y.imamura より:

    神様は人と人が共に家族の様に親しく付き合って行く事を求められていると思います。でも、自分の存在が重い様に他の人の存在も重いのだなぁと思います。神様の求めていらっしゃる人間関係はクールじゃないと思うのです。でも、人と本気で付き合うエネルギーは自分で努力して達成できるものじゃないですぅ。たとえ衝突してもそこからの意味がとても大切なんだなと思います。あ?やっぱり謙虚さとその先にある希望に期待する勇気って本当に大事ですね。私にはできない事が神にはできる。その力を与えられる様に祈るしかないです。

  2. uttie より:

    >Y.imamura
    神様は、まさに私たちを子どもとしてくださり、
    家族として下さっているのですよね。すごいことです。
    人を愛し抜くことは、自力では出来ないですよね。
    神様に愛を注がれて、その愛で人に接していきたいと
    日々祈ります。

  3. Rumiko より:

    じっくり読みながら学びました。
    。。。
    プリントしました。コメントも含めて、、なんども何度も読み返したいです。

  4. uttie より:

    >Rumiko
    ありがとう。
    レビ記を学ぶと、新約聖書が広がりますよ!

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