日常の仕事をはじめながら、ミラノでの時間を取り戻しつつ、心のリハビリをしています。
春眠暁を覚えず、猫のゾロはよく眠っています。
パソコンに向かうと、ついつい時間が経ってしまいます。
散歩に連れて行ってもらうのに待ちぼうけをくらっているハンナ
時々思うのですが、犬のハンナは、僕に連れだしてもらっているふりをして実は
広い所へ、そして光の射す方へと僕を連れだしてくれているのかも。
お世話していると思っていたら、自分の方がお世話されていた。
赦してあげなければと思っていた人から、実は赦されていた。
人生の中には、そういう関係がたくさん隠されているのかも知れません。
←今日もそこにいてくださってありがとう。
「牛に引かれて善光寺参り」と申しますが、
私も犬がいた頃は、彼の御蔭で散歩に出て街を眺めていた気がします。
犬がいなくなってからは、自分からそれらの場所を
歩くこともなくなってしまいました。
ほんと、連れ出してくれていたのは犬だった、と同感します。。
僕も最近よくそういうことを考えています。
いつの間にか自分を基準にして、「してあげる」目線になっているなと。
でもその自分の高慢さに気付かせてもらったきっかけは、うーせんとのしゃぶしゃぶでした。
今でも感謝しています。
そして、写真が綺麗に撮れるところを教えているのかもしれません。「ここで1枚」!
>馨子
ハンナと散歩していて出会った日本人女性が
その後洗礼を受けて、今は教会のメンバーです。
「犬と歩けば求道者にあたる。」もハンナがおしえてくれたことですね。
>show-J
しゃぶしゃぶで、そんな話題がありましたっけ。
ワタシが偉そうなことを言っていなければ良いのですが
>Rumiko
ハンナを追いかけると、綺麗な写真が撮れますねー
ミラノにこんな方がいらしたのかと、不思議な気持ちで読ませていただいてます。(今日、はじめて)
ボクもミラノで4匹の猫を飼いました。最後のは昨年秋、17才半で大往生しました。飼い猫の歴史は猫をあずかってくれたり、エサをやりに来てくださった,人々のやさしい心のふれ合いと発見の歴史でもありました。
また、お便りいたします。