火曜の夜はビチェンツアのO村さん(伏字になっていない)のお宅で
この街の教会メンバーと集う時をもちました。O村さん、豚汁ごちそうさまでした。
常宿にしているホテル、シングルで予約してるのだけれど
今日は「空いているので、同じ料金でダブルの部屋へどうぞ」
ということで、一人寝には妙に広いベッドになりました。
ところで、このホテルの向かいはサッカースタジアムになっており
今日は周辺がものものしい厳戒態勢になっていて、サポーターたちが
ぞろぞろと歩いていました。
僕がホテルの前に車を停めて降り立つと、サポーター群の一人が
「お、中国人だよ」と言っていた。
この一言で、その街に対するイメージが急降下したりするのですが
そのあと、何故、そう言われると腹が立つのか考えたりしました。
*僕は中国人じゃないから(間違われることが原因か)
*イタリア人にアジア圏に対する無知と差別(特に中国人に対して)があるから
*こちらが、その侮蔑的な響きのイタリア語解らないとても思ってるのか、このヤロー
というところだと思いますが、どうなんでしょう。
僕はイタリアにも中国人の友人は多いし、彼らのこと好きなのに
でもそう言われると腹が立つというのも不思議だなとも思ったり
たとえば、ホテルの前で車を降りたときに「あ、ジョニー・デップ!」と
間違われたらそんなに腹が立たないはずだ(と思う)。
そんなことは一度もないが
ま、いいや。
以前カフェのバリスタ(みるからにイタリア人)に「お前、中国人か?」
と言われたので「違うよ。君はアルバニア人?」とわざと間違えて
聞き返したら、すごく怒っていました。
ね、相手への無理解って失礼なことなんだよ。
気がついてね、イタリア人
←今日も見に来てくださって感謝
確かに「中国人」と間違われて腹が立って、
なぜそうなるのか?
考えることがあるのですが、
いまいちこれといった答えがなくて、
自分が日本人だという事を再認識する瞬間でもあって、
いろいろと理由は出てくるのですが、
一体なんなんでしょうか?
私も韓国人って言われると気になりませんが、中国人って言われるとテンション下がりますね。
台湾や香港出身の友人達は、あくまで自分は台湾人、香港人であり、中国人ではないと強く言います。
アジアン=皆中国人っていう単純さに苛立ってしまうのかもしれませんね。
ふと考えると、日本にもブロンドの人=アメリカ人と思ってしまう人もいたり、外国人=皆英語話せちゃうんだって勘違いして話しかける人もいるから、お互い様なのかもしれません。。。
地域限定ではなくて、「ところで君はどこの出身なの?」っていう質問だったら、相手を不快にしないような気がします。
アルバニア人と言われたバリスタの顔、見てみたかったなぁ。
michelle さんが仰っていること、
特に、日本人の西洋人観とどっこいどっこいのところはあるかと思いました。
私は、考えてみれば、韓国人と言われても、中国人と言われても、日本人と言われても、
同じレベルで、何かいい知れない、frustrating なものを感じていたことに気づきました。
何でだったんだろう?
それも興味深くなりました・・・。
>イケ
ね、なんなんでしょうねー
>michelle
そうだね、人はまず、先入観のようなものを
ぶつけられると不快になるのかも
>馨子
アフリカとか南米のことも、広い国土なのに
全然自分は知らないものだなと、世界地図を
観ながらよく感じます。もっと、知りたいですね。
初めまして。いつも楽しみにブログを拝見しています。(特に犬ムスメさんの大ファン)
私はよくイタリアに行く機会があるのですが、同じことをよく考えます。
多分アジア=中国と勝手に思い込んでいる無知さ、アジア人が何人だろうがどうでもいいという無関心さ、イタリア人が持つ中国人への不満感や軽蔑心などが原因だと思います。すごーーく嫌な気分になりますよね。ヨーロッパの他の国に行って中国人か、と言われるよりイタリアで言われる時が一番腹が立ちます。(モロッコでもなぜかすごく嫌でした。多分理由は同じ)
それに中国人に中国人だと思われても別に嫌な感じしませんよね?
日本に住む非アメリカ人の白人も、いつも「アメリカ人ですか?」って聞かれるのがすごくイヤだって言ってました。でもイタリア人が放つ「チネーゼ!」に相当するような「おお、アメ公だぜ!(そういうニュアンスですよね)」なんて言う人は多分ほとんどいないんじゃないかなあ。。。
ただただ悲しいです。それがなかったらイタリアは大好き(欠点だらけなところも)なんですが。。。
>ks
はじめまして、読んでくださって感謝です。
「アジア人が何人だろうがどうでもいいという無関心さ」
というのは、確かに怒りのポイントですね。
イタリアに広がっている反中国感情も、好きではありません。根が深い問題ですね。