今日は礼拝の中で聖餐式を執り行った。
イエスは弟子たちとの最後の晩餐のなかでパンを取り、「これがわたしのからだである」といい、
次にワインの杯をとり「これがわたしの血である」といって弟子たちに与えた。
そして、これからはパンと葡萄酒を分け合うたびに、十字架で裂かれた自分のからだと
流された血を思い出し、記念としてほしいと語り、教会はこの言葉に従いパンと葡萄酒
を分け合う聖餐のときをもつ
聖餐式を執り行いながら、毎回深い感動をに包まれ圧倒される。
「神に愛されている人たちに給仕をするることの喜び」の感情でもある。
ひとりひとりの顔をみながら「神様はこの人たちと私を、命を捨ててまで愛してくださっている。
その人達にキリストの体と血をあらわすパンと葡萄酒を給仕できるとはなんたる恵みであろう。」
と思わされる。
聖餐式を単なる宗教的な儀式のように行いたくはない。
教会から帰ると、ある女性が今年の1月に他界したことを知らされた。
5年前、東京で暮らしていた頃に旦那さんと三宿の自宅を訪ねてくださったり
品川のグロリアチャペルでお会いしたこと、僕がVJをしていた渋谷のspumaで
明け方4時まで音楽の話をしたことを思い出した。
冷たい霧雨の夜に犬を散歩しながら、そんなことを思い起こしていたら
とてもかなしい気持ちになった。
残された人々のことを思うと、自分は何もできないようにも思えたが
「何かできることがあったら、なんでもいってください。」とメイルを書いた。
←あなたが、そこにいてくださる証として